「japan」と言えば「蒔絵」

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お正月のおせち料理を重箱に詰めたり、特別な日に使う食器やお椀などに漆器を使う場面をよく見かけると思います。漆器は英語で「japan 」と呼ばれていたこともある、日本を代表する工芸です。その漆器の表面に漆で模様を描き、金粉を蒔きつける技法を「蒔絵」と言います。

蒔絵は、1000年以上も前から完成している日本独自に発展した伝統的な技法です。漆で模様を描き、その漆が乾かないうちに金粉を蒔きつける、といった細かい作業を何度も繰り返します。金を蒔くから蒔絵なんですね。ストローのような小さな筒に金粉を入れて、軽く叩きながら必要な分量を落として濃淡をつける地道な作業です。

鑑賞のポイントは、その金の粒を見ることです。金の粒の色や大きさで奥行きが変わります。撒き散らした金を筆で払いながら整えて密度をコントロールし、遠近感を出します。平目粉という不均一の粉を使えばきらきらした質感を表現でき、丸粉という金粉を使えばやわらかくぼやけた感じを表現することができます。

食器の他にも昔から、手箱、印籠、かんざし、万年筆、めがね、最近ではスマホケースなど、高級感を出したい小物に幅広く蒔絵は登場します。海外でも人気で、16世紀後半にキリスト教文化と共に鉄砲やワインなども日本へ来ましたが、それと同時に日本からも蒔絵が大量に注文され、輸出されました。蒔絵を施したものはヨーロッパ貴族のステータスだったのです。今でもヨーロッパの教会に行くと当時の漆器が大事に保管されていると言います。 近年は工業化によってプラスチック製品が横行していますが、日本の美術品としては外せない蒔絵がこれからも続いていってほしいものですね。

お湯を沸かすだけなのに、特別な存在感【鉄瓶】

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お茶やコーヒー、料理など、お湯は毎日の生活に欠かせません。健康に気を遣って、白湯を飲むことを習慣にしている方もいらっしゃるかもしれません。お湯を沸かすための道具は色々なものがありますが、過去百年から二百年にわたって広く普及した「鉄瓶」に注目してみたいと思います。

江戸時代、岩手県盛岡市の周辺でよく取れる砂鉄を使った製品が多く作られていました。同じ頃、煎茶の登場がきっかけでお茶が手軽に楽しめるようになります。そこで、使いやすい湯沸かしの道具が必要になり、日本の茶道で用いられる茶の湯釜を小さくして、取っ手と注ぎ口をつけるというアイデアから「鉄瓶」が誕生し、たちまち全国へ広がります。

鉄瓶は丈夫で長く使われやすく、広く普及して種類も多いので、保存状態は気にしなければいけませんが、比較的見つけやすい骨董品かもしれません。戦前にはどの家庭にも一つはあったもので、古い鉄瓶は今では大変貴重なものとなっています。

査定や鑑賞で確認しておきたいポイントとして、「鉄瓶のつまみ」があります。「象牙」や「翡翠(ひすい)」が使われている場合、富裕層が財をつぎ込んで作らせた「嗜好品」である可能性が高く、「希少性」と「芸術性」から高価値になりやすいとされています。「つまみ」や「取っ手」は作者の遊び心やこだわりがよく反映されるので、よく観察してみましょう。また、鉄瓶の内部に白っぽいものがある場合、それは水に含まれるカルシウムが付着したものになります。カルシウムは赤錆を防ぎ、お湯の味を良くするものなので、必ずしも価値が落ちるものではなく、こすって落とす必要はありません。 重厚な存在感を持つ鉄瓶を生活に取り入れると、お湯を沸かすだけで特別な儀式を行っているような、厳かな気持ちになれそうです。

意外な価値があるかもしれない陶磁器「盆器」

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最近は日本だけではなく、海外でも緑のアートとして盆栽が人気です。欧米では「BONSAI」という表記で認知されるようになりました。年配の方の趣味のように思われることが多いですが、モダンなインテリアとして若い世代にも受け入れられてきています。

盆栽の始まりは中国で、お盆の中に石と共に花や木を並べて山水を再現するというものでした。日本では平安時代に広がり始め、貴族が趣味として楽しみました。盆栽を本格的に楽しむには、背景に広がる景色や四季までを想像するという心構えが必要とも言われています。

盆栽は木にばかり注目が集まりがちですが、鉢もまた木と共に育てていくものです。時間が経つほど味が出てくるため、木やテーマに合った選び方が重要になってきます。近年では盆栽鉢は「盆器」とも呼ばれ、美術品として扱われる場面も少なくありません。中国清の時代に長江の泥で作った鉢には、数千万円の値が付くこともあるそうです。

盆栽鉢作家でもっとも有名な鉢職人といえば、平安東福寺です。その生涯は貧しく、他人の窯を借りて鉢を焼き続けたそうです。素朴で控えめなデザインが特徴的で、当時はあまり見向きもされませんでしたが、死後10年ほど経ってから価値が見直されてきました。

海外でのブームが広がるにつれて、今後「盆器」の価値も上がっていくのでしょうか。奇抜な配色やオシャレな形をしているものも多く、雨風に耐える強度が必要で丈夫な作りになっているので、陶磁器の焼き物食器とは違ったコレクションとしても楽しめそうですね。

おかっぱ頭に丸い眼鏡と派手な服装【藤田嗣治】

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Webメディア上での人気コンテンツと言えば「猫」ですよね。「猫」は最強のコンテンツと言っても過言ではないほど人気があることは、ほとんどの方が納得するのではないでしょうか。近年はSNSの普及もあり、世界各地から発信される猫の画像や動画を好きなだけ楽しむことができますが、絵画の猫もまた、実物とは違った癒やしを与えてくれます。

猫の絵を得意とした画家に藤田嗣治という人物がいます。パリで活躍し、戦後日本の画壇から追放された悲劇の画家としても知られており、フランス国籍を取得後にカトリックの洗礼を受け、フランス人「レオナール・フジタ」となります。

父である藤田嗣章は、森鴎外の後任として陸軍に所属する軍医のトップにまで昇進した人物でした。その交流から藤田嗣治は森鴎外と面識があり、「画家になるにはどうしたらいいか」と相談したそうです。そして、森鴎外の薦めから東京美術学校の西洋画科に入学した後、紆余曲折あって画家として成功することになります。

1913年に渡仏してパリのモンパルナスに住むようになりますが、モンパルナス界隈は家賃が安く、画家が多く暮らしていました。そこで、後に「親友」と呼ぶことになるアメデオ・モディリアーニやシャイム・スーティンらと知り合い、さらにはピカソやシャガールなど有名画家とも交友します。

藤田は、猫を裸婦や自画像のワンポイントとして描き始めています。モデルと猫が並んでいる作品が多数あり、重要なモチーフとなりました。自身も猫を飼っており、猫たちは良きパートナーとして藤田の活躍を見守り続けてきたのかもしれません。気まぐれだけど甘えたがる猫の様子と柔らかさが、とてもよく表現されています。猫が好きな方は、ぜひ藤田嗣治をチェックしてみてください。

一本の木を思い起こさせる家具【李朝家具】

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韓流ブームが起こったこともあり、韓国の映画や歴史ドラマなどを見かけることが増えました。韓国の王朝時代を舞台にしたドラマなどでは、書き物をするときの低い机や、「卓子」という書物を乗せる本棚のような台、「文匣」という文房具や紙をしまう棚など、生活家具に書斎道具がよく出てきます。そのような、朝鮮王朝時代の生活家具のことを「李朝家具」と呼びます。文芸に携わる人々に愛された貴重な骨董品で、日本人の目利きたちをも魅了したと言われています。

14~20世紀初めまで支配が続いた李王家の時代で、学問や芸術が発展します。その文化を支えたのが両班(ヤンバン)という高級官僚で、彼らが好んで使用していたのが李朝家具でした。李朝家具は優雅で簡素であることが良しとされ、釘を使わない方法で組み立てる技術を使うなど、見えないところに財がつぎ込まれました。

李朝家具の価値や魅力は、その製造段階から見ることができます。材料を同じ素材で統一する家具が一般的な中、李朝家具は色々な種類の木材を適材適所に取り入れて作られています。例えば、重心がのしかかる家具の下部には、木の根元の部位を使用します。この部分は、重い木を支えるため固く締まっているからです。また、材料の接続部分などには、木目の細かい幹の上の部分を使用します。さらに家具の正面にあたる部分には、日光のよく当たる木の南側部分を使用します。

自然の姿に逆らわない組み立て方で作り上げられる李朝家具は、まるでそこに木が立っているかのような、自然なバランスと温かみが感じらる家具なのです。

金魚は縁起物

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夏の風物詩といえば金魚すくいですね。

金魚は、長い年月をかけて品種改良される「生きた芸術品」や「動く彫刻」などとも呼ばれます。「金」運をもたらす「魚」として人気で、癒やし系の存在でもあり、昔から庶民にも親しまれてきました。

そんな金魚を心から愛した陶芸家が「宇野仁松」という人物です。20世紀を代表する彫刻家イサム・ノグチに陶芸の手ほどきをしたこともある陶芸家で、焼き物で稼いだお金の大部分を金魚につぎ込み「宇野系らんちゅう」という品種をも生み出しました。

ガラスの鉢が無かった時代では、金魚は陶器の器に入れて上から鑑賞するものでした。そのデザインは様々で、ツボのような大きいものだったり、平べったいフリスビーのような底の浅い丸いものだったり、ユニークな形をした金魚鉢が出回ります。

ガラス製品が普及してくると、「金魚玉」と呼ばれる風鈴やヨーヨーのような、手のひらサイズの透明なガラス玉に金魚を入れて吊るして鑑賞することもありました。金魚を手に入れて移動する際の手頃な入れ物がなかったため、水が漏れないガラス製の玉が重宝されたのです。

江戸時代頃には、日常の様々な生活道具に金魚を描いたものをよく見かけるようになってきます。うちわ、小物、着物の柄、食器だったり、屏風一面に金魚が描かれたものをインテリアとして飾って涼しさを演出しました。このように、金魚が描かれている骨董品はたくさん見つけることができると思います。

骨董も金魚も好きという方であれば、コレクションしやすいひとつのジャンルであると言えます。金魚を描いた骨董品は縁起も良く人気があるので、ぜひチェックしてみてください。

文芸と絵画と本【武者小路実篤 x 岸田劉生】

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日本では江戸時代に出版文化が開花します。その背景には、本の装丁の技術や芸術性も深く関わっていたと考えられます。木版画を用い、表紙を一枚一枚刷り上げるため、仕上がり方に微妙に違いが出ることが味わい深く、人々を魅了しました。

このような本の装丁には、画家などの芸術家も関わりがありました。小説家であり画家でもあった武者小路実篤は、自身の著作の表紙装丁も手掛けます。武者小路実篤は、当時の日本では珍しかったゴッホやセザンヌなどの絵画を紹介するなど、文学・美術・思想の面で大きな影響を与えた文芸雑誌「白樺」を創刊したメンバーの一人です。

武者小路実篤ら白樺派との出会いに大きな影響を受けた、岸田劉生という人物がいます。岸田劉生は、大正から昭和初期にかけて活躍した洋画家です。新聞記者であった父の血を引いていて文業でも成果を残している人物ですが、14歳で両親を亡くした頃から独学で絵を描き始め、展覧会で油絵が入選されるなど絵画の才能を開花させます。白樺に出会ってからは印象派ゴッホの影響を受けた画風になり、その後はゴヤなどの影響を受け、写実的な画風へと変化していきます。

岸田劉生は武者小路実篤へ、小説に敬服したことを手紙にするなど親密な関係であったとされています。また、白樺10周年記念号にて、「僕に思想や何かの固まる時代に白樺を友とすることが出来たのは本当に幸福」という言葉を残すほど、個性を重視する白樺という媒体があったからこそ今の自分があると感じていたようです。このような深い交友があり、武者小路実篤の小説『友情』は、岸田劉生が本の装丁を手掛けています。白樺という文芸雑誌が引き合わせた文学と絵画は融合が興味深いです。

アーティストが集まったカフェ「ル・セレクト」

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文学にしても美術・芸術にしても、作品の創作というものは、作家自信が精神を削るような孤独な作業の果てに生み出されるものです。では、作家たちは社会との接点が無く、自分の世界の殻に篭もってばかりいるのでしょうか。世の中を俯瞰して見る客観的な冷静さと、自分の中に湧き上がる感情をぶつける熱量の両方が必要な芸術家たちは、孤独な時間以外にどのように社交性を磨いていたのでしょう。

その様子を映画の中に再現した「ミッドナイト・イン・パリ」という映画があります。有名なアーティストたちが、熱い語らいの中から社交を楽しみ、芸術について意見を交わしている様子が描かれています。たとえば、ヘミングウェイとピカソ。ヘミングウェイは、独特でシンプルな文体で20世紀の文学界に大きな影響を与えた人物。ピカソはご存知の通り、20世紀最大の芸術家ですね。「ル・セレクト(Le Select)」という、映画にも登場した1924年創業の歴史あるカフェには、ヘミングウェイが座っていた椅子が今もカウンターにあります。そして奥の席はピカソの指定席だったといいます。カフェでの会話を通じて、二人は交友関係を深めていきました。 ヘミングウェイはとても強い倫理基準を持っていました。第2次世界大戦を取材したり、終戦間際のパリ解放に立ち会って、旧友であるピカソとの再会を喜びあったと言われています。ピカソは、「芸術作品は飾るためではなく戦うためにある」という言葉を残しています。反戦や抵抗のシンボルとなった「ゲルニカ」はあまりにも有名です。二人はそれぞれ表現の分野は違いましたが、交友の中でお互いの価値観を確かめ合い、創作意欲を高めていったのかもしれません。

【織部焼】ひょうきんな焼き物を好んだ古田織部

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お茶の神様とも言える千利休が好んだのは、装飾が削ぎ落とされた黒茶碗であることは有名です。一方で、その千利休に弟子入りした茶人の古田織部が好んだのは、極端に歪んでいびつな形の茶碗でした。師匠の千利休とは対象的なアプローチで美を追求した古田織部の焼き物は、「ひょうきん・ふざける」の意味である「へうげもの」とも呼ばれ、美意識の変革をもたらしました。この「へうげもの」という言葉がタイトルの古田織部を主人公にした漫画は、第14回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞作を受賞、その後テレビアニメにもなっており現在でもとても人気のある作品となっています。

「人と違うことをせよ」という利休の教えに応えた古田織部は、1544年から1615年の桃山時代に活躍した大名であり茶人です。千利休の死後、茶の湯の第一人者となり多くの大名に茶を伝授しました。当時は古い価値観と新しい価値観が交差する大変革の時代。人々の格好や振る舞いが主張の強い奇抜なものへ変化していく中、焼き物の世界にも時代の流れを写し込んでいったのです。織部が好んだ焼き物は、いつしか「織部焼」と呼ばれるようになります。

織部焼はそれまでの陶器と違って奇抜な形や色使いをしており、特に染み込んだような深い緑が特徴的です。南蛮貿易で中国や東南アジアから入ってきた緑の焼き物に魅了され、緑色を焼き物へ取り入れることになったのです。自分の思い通りの緑を作ることは現在の陶芸家でも難しいとされます。しかし、思い通りにならなず失敗したかのような模様も、日本人は「けしき」と言って自然な表情を楽しみました。これは、不均一な釉薬の流れを失敗と評価する中国とは違う日本人独特の感覚でもあります。

心のどこかで自分も「へうげもの」でありたいと思っている方、ひねくれた歪みと遊び心のある織部焼を手にすると、肩の力がすっと抜けていきますよ。

宝石に並ぶ極上の美【七宝焼き】

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2019年6月1日、天皇、皇后両陛下が即位後初の地方訪問先として、愛知県あま市の「七宝焼き」を展示する施設を訪問されました。七宝焼きは世界が絶賛する美しき日本の伝統工芸であり、気が遠くなる試行錯誤の末に生み出された職人の技術の結晶です。

七宝焼きとは

「七宝」とは、仏教において極楽浄土の荘厳さを表現する七種の宝のことです。

明治時代、金属の素地にガラス質の釉薬を焼き付けた工芸品が海外に輸出されるようになります。宝石が散りばめられたように光輝くその工芸品が「七宝焼き」です。ガラスのように光るヨーロッパの器のようにも見えますが、模様はとても日本的な柄をしているのが特徴です。

途絶えつつある伝統

七宝の起源は3500年前の古代エジプト時代とされおり、強大な権力を持っていたファラオが自分たちの副葬品を七宝で飾ったのが始まりとされています。その後ヨーロッパや中国、そして飛鳥時代の日本にもシルクロードを渡り、他の文化と共に七宝焼きの技術が伝えられます。江戸時代になると、刀の鍔(つば)やサヤの装飾、神社仏閣の釘かくしなどに使用されますが、幕府や大大名が独占するようになります。その製法は武士階級の没落とともに失われていきますが、幕末に梶常吉というメッキ職人が偶然手に入れた舶来品を研究し、独自に七宝で器を飾る技術を完成させます。美しい日本の図柄を取り入れた七宝は海外に飛ぶように売られ、日本はたちまち世界一の七宝生産国となりました。しかし、近年では変化する社会情勢や文明ともに技術が失われつつあるのが現状です。 作品の多くは海外向けに作られたため、最高傑作と呼ばれる七宝焼きは日本ではなかなか見ることができないと言われています。世界には様々な美術品が存在しますが、その中でも特に一見の価値がある美しさであることは間違いありません。