【フランシスコ・ゴヤ、月岡芳年、浜田知明などが向き合ってきた「出来事との距離」】

現在『出来事との距離 ―描かれたニュース・戦争・日常』展が開催されている、東京都町田市にある〈町田市立国際版画美術館〉を訪ねました。

本展では、フランシスコ・ゴヤ、月岡芳年、四代歌川国政、浜田知明など、国も活躍した時代もさまざまな作家の作品が並びます。

これらの作家たちに共通するのは、作品から伺える「出来事との距離」。本展は1~5章でテーマが分けられ、それぞれにとても興味深いものでした。いくつか紹介していきます!

■第1章「ゴヤが描いた戦争」

フランシスコ・ゴヤは、宮廷画家として活躍する一方で、社会風刺画も手掛けたスペインの巨匠です。

本章では、フランス軍によるスペイン侵攻の惨状を1810~1820年に渡ってエッチングの手法で描いた『戦争の惨禍』を展示。政治体制の転換期にゴヤが見た不条理な戦争のありさまが、生々しく描かれていました。

さて、そんなゴヤの作品のどこに「距離」があるのか? それは『戦争の惨禍』という版画集が1863年に出版されたこと。ゴヤが没して35年後にようやく、当時の出来事として公にされたことになります。

版画集の出版時、もしゴヤが生きていたとしたら。何を思い、どんな気持ちで出版日を迎えたでしょうか。

第2章「戦地との距離」

版画家・彫刻家として、さまざまな名作を世に残した浜田知明。本展では、日本軍に入隊し、中国で軍務を行った際に観た風景、戦争の残酷さ、野蛮さ、愚劣さを訴えるエッチング作品が多く展示されています。

なかには目を覆いたくなるような信じがたい惨状の版画も……。また、一部の指導者が世界を操るという、核と戦争の構造を見抜いた浜田知明の代表作『ボタン(B)』も展示されています。

さらに、藤森静雄、前川千帆、畦地梅太郎、北岡文雄などが戦時中に手掛けた中国、台湾、朝鮮に関連する作品も。戦地との、物理的、精神的、嫌悪的、友好的な「距離」が本章では示されていました。

第3章「浮世絵と報道」

彰義隊と官軍の闘いを歴史上の人物に当てはめて描いた、浮世絵師・月岡芳年による『魁題百撰相(かいだいひゃくせんそう)』をはじめ、さまざまな錦絵がずらりと並ぶ本章も見ごたえたっぷりです。

ニュースや事件を直接的に報道することが禁じられていた江戸時代。絵師たちは事件を故事や古典になぞり、表現していたといいます。

また、噂が誇張・美化されて報道された「西南戦争錦絵」も。薩摩軍に女隊があるという噂が流れると、ある種の「美人画」として描かれ、人々の関心を集めたのだとか。

幕末から明治にかけての報道の特殊なあり方を目の当たりにした章でした。

昭和・平成・令和の時代の報道から得たインスピレーション

第4章では、昭和から平成にかけて活躍したアーティストの滑稽でユーモラスな作品が並ぶ「ニュースに向き合うアイロニー」、第5章の「若手アーティストの作品から」は、展覧会テーマと響き合う制作を行う令和時代の若手作家4名の作品が紹介されています。

第5章で特集されている松元悠さんは、法廷画家としても活動するアーティスト。さらには、当事者の追体験を試みるために事件現場に足を運び、当事者が見ていたかもしれない風景と、マスメディアやSNSで得た素材を継ぎ接ぎした作品を制作しています。

ほかにも、SNSなどから発信される情報にインスピレーションを得て、情報との距離をそこはかとなく感じさせる若手作家の作品を鑑賞していると、冷やかさ、滑稽さ、不確かさといったさまざまな情報が頭の中を駆け巡るようでした。

時代によって報道のあり方はこんなにも違うのか……と興味深く楽しめる本展。高名な作家の作品がさまざまに鑑賞できるのも魅力です。

日常にあふれる報道と自身との距離はどれほどでしょうか。それは本当に確かな情報でしょうか。また自分事に思える報道とそうでない情報の違いとは。そんなことを改めて考えるきっかけをもらった展覧会でした。

Information

『出来事との距離 ー描かれたニュース・戦争・日常』

会場:町田市立国際版画美術館(東京都町田市原町田4-28-1)

会期:6月3日(土)〜7月17日(月・祝) 

※月曜休館、ただし最終日7月17日(月・祝)は開館

開館時間:平日10時~17時、土・日・祝日10時~17時30分(入場は閉館30分前まで)

観覧料:一般800円、大・高生400円、中学生以下無料

TEL:042-726-2771

サイト:町田市立国際版画美術館

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【NHK朝ドラ『らんまん』のモデル・牧野富太郎の書斎が再現された〈牧野記念庭園〉へ】

“植物分類学の父”と呼ばれる植物学者・牧野富太郎博士の生涯をユーモラスに描く、NHK朝の連続テレビ小説『らんまん』を毎朝楽しみにしている人も多いのではないでしょうか。かくいう私もそのひとり。

ドラマのモデルとなった牧野博士は、大正15年~昭和32年に逝去するまでの約30年間、東京都練馬区の大泉で過ごしました。その居住地が〈練馬区立 牧野記念庭園〉として無料公開されているのをご存じでしょうか?

博士愛用のさまざまな道具、執筆した書物、描いた植物図などを展示した「常設展示室」や、年に3~4回展示内容を入れ替える「企画展示室」と、博士の遺品や関連資料が展示された記念館になっています。

生涯のなかで発見・命名した植物は1500種にも及ぶという、日本の植物分類学の礎を築いた博士の偉業に触れたいと、〈牧野記念庭園〉にお邪魔してきました。

門をくぐると、さまざまな植物が青々と茂った庭園が広がっています。高・中・低木、さまざまな山野草、シダ類が植栽され、各植物には和名の名札がつけられています。

研究用にと設けられたスペースなのか、3画に分けられた見本園も。ここにはドラマのオープニング曲の一番最初に映し出される黄色い花「ジョウロウホトトギス」が植えられていました。

現在はまだ蕾もついていませんが、10月の開花期に訪れれば、しおらしく俯く貴婦人のような黄色い花に出会えるかもしれません。

園内には博士が名付けた植物も多々。彼の研究を支えた妻・壽衛(すえ)さんの名をとった「スエコザサ」も、博士が詠んだ句と一緒に植栽されています。

さて、庭園をぐるりと巡ったら「常設展示室」へ。ここには、博士の生涯とその解説、愛用していたさまざまな道具類が展示されています。

19歳で初めて上京した際に買い求めた顕微鏡も。ドラマでも描かれていましたが、実話だったんですね!

画力にも恵まれていた博士。植物画を描く際に使用していた絵筆も展示されています。どうやら蒔絵職人が使う極細筆「根朱筆(ねじふで)」を愛用していた様子。

さらに、博士の落款印も展示されていました。自身で作印したもののほか、数多くの書画を残した僧侶・一路居士(いちろこじ)による印も。

下の写真の一番右にある、ひらがなの「の」をぐるぐる巻きにしたような印、ちょっと面白いですよね。どうやら「巻いた“の” = 牧野」という洒落をきかせた印なのだとか。博士のお茶目っぷりがうかがえます。

同園には、博士が晩年に使っていた書斎と書庫の一部が「鞘堂」として残されています。ここに当時の「書斎」を再現するプロジェクトが進められてきましたが、2023年4月に一般公開されました。

4万5千冊もの書籍を所有していたという博士。当時を模した書斎には、足の踏み場もないほどに蔵書が積み上げられています。愛用の電気スタンド、ガラスの「活かし箱」、双眼鏡などが置かれ、晩年の博士が研究に勤しむ臨場感が立ち現れるようです。

今話題のスポットとあって、多くの来園者でにぎわっていた〈牧野記念庭園〉。植物好きな人、歴史好きな人、古物好きな人と、楽しみ方もさまざまです。ぜひお出かけしてみてはいかがでしょうか?

Information

練馬区立 牧野記念庭園

場所:東京都練馬区大泉6‐34‐4

開館時間:9時~17時

休館日:火曜、年末年始

入館料:無料

TEL:03‐6904‐6403

サイト:練馬区立 牧野記念庭園

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