【作為のない純粋な想いのカタチ《縄文土器》】

こんにちは! 初心者大歓迎の《骨董・美術品専門オークションサイト》サムライオークションスタッフの利休です。

200万年前〜紀元前1万年頃までが旧石器時代と呼ばれます。その頃の日本は縄文時代(紀元前1万〜紀元前300年頃)。人々は内陸から海岸部に少しずつ移動していき、同時に食物も変化していったと考えられます。

食生活が変われば調理のための道具も進化します。煮炊きや食料保存のための土器が作られました。縄文土器です。日本の美術史では縄文時代からスタートするのがスタンダードですが、その理由はこの縄文土器に独創性があり、そこに魅力を感じる人が多いからだと思います。

骨董市でも縄文土器は出品されています。土器のカタチや文様はとても多様で、さらにそれらの文様には現代人が考える作為的なものはなく、恐らくはその作り手たちの『おもしろい』、『楽しい』と言ったような純粋な想いから発想されたものである、というところがとても面白いと感じます。新しい表現をとか、もっと売れるものをとか、考える必要がなかったわけですから、当然と言えば当然。プリミティブアートに共通する魅力です。

縄文時代は、焚き火のような野焼きによって土器を焼成していました。この場合、炎の温度はだいたい600℃。弥生時代には焚き火を土や藁で覆って焼く方法が用いられるようになり、古墳時代に窯を用いて土器を焼くようになったと考えられています。窯を使うと焼成温度は約1000℃。低い温度で土器を焼くと表面が素焼きのような茶色味を帯びるのに対して、窯を使って焼くと灰色がかってきます。

土器に意図的に作ったデザインが表現されるようになるのは弥生時代頃。その頃から色つけされたものが見られるようになります。使われている土によっても色は変化しますし、その変化に気づいた弥生人たちは少しずつ土器のカタチやデザインを愛でたり、楽しむようになっていったのだと思います。 市場原理と無関係ではいられない私たちだからこそ、作為のない純粋な想いから生まれた土器のカタチに一層魅力を感じてしまうのかもしれませんね。

【美意識の革命につながる利休の《見立て力》】

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この春先に足を運んだ骨董展でユニークな花器を見つけました。と言っても最初はそれが花器なのかどうか、はっきりはわかりませんでした。約10cm角、高さはだいたい50cmくらい。もともとは家の柱だったようですが、くり抜いて花器として使われだしてからどのくらいの時間が経っているのか、定かではありません。

ただその表情は味わい深く、和室はもちろん、モダンなリビングでも十分におしゃれなインテリアとして成立すると思います。私にとっては、住宅建材としての柱を花器に見立てるのは斬新だったのですが、考えてみれば縦長で柱状のフラワーベースはたくさんあります。言われてみれば確かにそうだけど、提示してもらってはじめてなるほどと気がつく、それが見立てる力、発想力です。

名前をお借りしているのがお恥ずかしい次第ですが、千利休(1522〜1591年)は漁師が腰につけていた魚籠(びく)や瓢箪(ひょうたん)を花入れとして、茶会に持ち込んだという逸話があります。見立てによって、日常に潜んでいる《美》を発見する、発想力が豊かな人だったんですね。その見立て力の高さにも通じますが、私にとって利休の最大の魅力は、自らの美意識を信じて価値観の転換、美意識の革命を行ったこと。つまり、それまでの常識を疑って、自分の美意識によって新しい《侘び茶》という様式を確立させたところです。

書画も茶道具も、当時の先進国である中国(明の時代・1368〜1644年)から輸入され、貴ばれていたのは珍しくて豪華な『唐物(からもの)』でした。道具は青磁や天目茶碗が最も珍重されていたようです。そんな富裕な商人たちの贅沢な遊びの中に、利休は朝鮮半島由来の日用の茶碗や、信楽や備前の陶器など素朴で新しい価値観を取り入れたり、わずか2畳の『草庵茶室』を生み出しました。

歴史上の権力者たちがその住まいとして建てた建造物というのは、その権力が強ければ強いほど、それに比例して大きくなります。絢爛豪華で大きければ大きいほど良いというのが、世界中の専制君主に共通してみられる価値観ではないでしょうか? その価値観に対して、真っ向から異を唱えているのが利休の作った《草庵茶室》です。

誰もが同じように頭を下げて小さな入口から入って、質素で狭い部屋の中でお茶を飲む文化というのは紛れもなく唯一無二。その精神は禅宗の影響を受けているようですが、確かに今・ここ・自分に集中することはできそうです(笑)。諸行無常を体得した先に誕生したスタイルなのかもしれません。 サムライオークションのサイト内には、あなたの発想力を豊かにしてくれる、そんなユニークな出品があるかもしれません。お時間のある時にぜひアクセスしてください!

【作家の心象を知り、作品を深く味わう】

こんにちは! 初心者大歓迎の《骨董・美術品専門のオークションサイト》サムライオークション、スタッフの利休です。

後悔先に立たず。無理をしてでも時間を作って行くべきでした。神奈川県立近代美術館から松濤美術館へと巡回展示される予定だった【フランシス・ベーコン:バリー・ジュール・コレクション】展が、緊急事態宣言延長を受けて閉幕しました。盲亀浮木と言いますか、とても貴重な機会を逃してしまったようです。

20世紀で最も重要な画家の一人と評価されているフランシス・ベーコン(1909〜1992年)。

専門の美術教育を受けていない彼が、どのように強烈なオリジナリティを確立させていったのか。あるいは、生前に(下絵としての)ドローイングは描かないと話していた彼の習作らしきドローイングから、その創作プロセスを知ることができる日本初公開の貴重なコレクション展だっただけに、展覧会の中止はとても残念です。

怖れとか恐怖とか、そういう感情を呼び覚まされるベーコンの作品。そこに現代社会に生きている自分の中にあるリアリティや実感みたいなものを感じてしまうからこそ、どこかに答えが埋もれているようでもっと見たいという気持ちになるのだと思います。未だに強い力を持ち続けている作家の創作の秘密を少しでも知りたくて、せめてもにと展覧会の公式カタログを入手しました。

改めて実感したのは、やはり作家の情報に多く触れる事は作品の理解を深め、想像世界の楽しみを広めるのだなということ。つまり、作家本人は見せたがっていなかった創作過程や、ライフワークとも呼べるような日常の創作物を知ることで、作品の意図や思い入れ、気持ちの変化などを確かに感じ取ることができました。

作家の人格と作品を関連付けるべきではない、という意見にも一理あるとは思いつつ、同時代を生きていた現代作家だからこそ、いま目の前にある不条理や混乱、苦悩といったテーマがベーコンの人生からどのように立ち上がってきたかは想像がしやすく、作品の答え合わせをしているような気分になりました。これが中世以前の作家の場合には、こうはいきません。 自分の死を予見していたかのように、ゲイの愛人を追ってスペインに向かう当日、友人であるバリー・ジュールに預けた作品と創作活動の断片たちは、独特の表現を生み出すプロセスやモチベーション、エネルギーを感じさせると同時に、ベーコンの純粋な人間性やその絶望や切望にも触れることができる一級のコレクションだと思います。