【古い掛け軸が活かせるリビング】

こんにちは! 骨董・古美術ファンの味方《古美術専門オークションサイト》サムライオークションです。

日本家屋には、基本的に床の間つきの和室があり、季節に応じた掛け軸がかけられる、そんな暮らしが確かにありました。

現在販売されている住宅は、マンションはいうにおよばず、戸建て住宅でも和室の比重が減って床の間はなくなり、さらに家族団らんという言葉も死語のようで、夕飯後には家族それぞれが個別に時間を過ごすご家庭が多くなっているようです。

昔の和風建築が良かったとかそのような話題ではなく、やはり骨董・古美術の持つ力がどのように活かせるかと、そんなテーマについて考えてみたいのです。

確かに住まいのカタチが人間関係におよぼす影響は大きく、個室ができれば個人で過ごす時間が多くなりますし、床の間がなくなれば花器を置いたり、掛け軸を飾ったりするレギュラースペースはなくなります。デザイン性の高い現代的な欧風リビングになれば、なかなか日本画や掛け軸を飾るという発想にもなりにくいのもわかります。

それでも、少し視点を変えて考えていただきたいのですが、現代的な明るいリビングだからこそ古い時代の掛け軸が活きる、そんな空間演出が可能なのではないでしょうか。

確かに、古びた木造の日本家屋の床の間に飾って、しっくりくる掛け軸というのも難しいですし、なかなか素敵には見えないと思います。古びた住まいに古びたものを飾るだけでは気持ちの良い雰囲気にはならないですし、むしろみすぼらしい印象になってしまう可能性が高そうです。

最新のデザインマンションのリビングにこそ、古びた浮世絵、あるいは表具を少しアレンジした掛け軸、日本画、書画などをワンポイントで飾ってみれば、おしゃれな印象のお部屋になるのではないでしょうか。 サムライオークションでは、個性的な書画・掛け軸もたくさん出品されています。お値打ち品も多いので、ぜひ一度、ゆっくりサムライオークションをのぞいてみてください。

【古美術品のビジネスへの活用はいかがでしょうか?】

こんにちは! 今年も残すところあとひと月になってしまいました。初心者大歓迎の《古美術専門オークションサイト》サムライオークションです。

そんなそろそろ年末のタイミングで、骨董・古美術ビギナーの皆さんへご提案したいのが、古美術品のビジネスへの活用です。

わかりやすいところでは、飲食系、理美容系、販売系など、店舗を使って商売をしている皆さまのお店に、版画や絵画を飾ってみるということ。備前の一輪挿しにお花を生けて飾ってみたり、バーカウンターの後ろにおしゃれな古伊万里のお皿があっても個性的なお店の雰囲気が演出できるのではないでしょうか。

和風の店舗ではなくても、表具を工夫した掛け軸を使って、和モダンなテイストを取り入れるなどいろいろ考えられますね。サムライオークションのサイトをご覧になっていただけばおわかりいただけるとおり、骨董・古美術品は程度の良いものであってもかなりお手頃な価格で入手できる作品ばかりです。また、ビジネスにご活用になるのであれば、経費での処理も当然可能です。

センスで勝負している経営者の皆さまであれば、キラリと光る個性を演出できる、量産品にはない特別な一品が必ずあります。お食事あとのくつろぎ時間などに、サムライオークションのサイトをゆっくりご覧になってみませんか? 

お金をかけずに、柔軟な発想とアイデアで個性的な店舗演出を! サムライオークションは、販売強化を目指す経営者の皆さまへ、骨董・古美術品の力でお役に立ちたいと願っております!

【骨董ファンの夢! グローバル版】

こんにちは! 骨董・古美術ファンのための《古美術専門オークションサイト》サムライオークションです。

サムライオークションを訪ねてくださる皆さん! もうご存知かもしれませんが、その日は私もだいぶ興奮しましたので、ぜひこの気持を共有させてください。

10月28日にAFP通信発で世界に配信されたニュース
《仏住宅の台所で見つかったチマブーエの絵画、29億円で落札!》です。

チマブーエ(本名はチェンニ・ディ・ペーポ/1240年頃〜1302年頃)は、13世紀イタリアにおける最も偉大な画家の1人と言われています。ヴァザーリ(1511〜1574年/画家・建築家)が著した西洋美術史の重要な基礎資料《美術家列伝》では、最初に記されている画家であり、イタリアの詩人ダンテの《神曲》でも『絵画の世界の覇者』と表現されているほど、イタリア絵画の創始者として重要視されているアーティストです。

一節には世界に11点しか存在していないといわれているその画家の貴重な絵画が、フランス北部の一般家庭の台所で、ガスコンロの上に飾られていたのだとか。所有者の女性は、作品の来歴を知らず、ほとんど価値のない古い宗教画だと思いこんでいたようです。

オークション関係者がこの画を見つけ、鑑定に出すように持ち主に勧め、赤外線鑑定を行った結果、チマブーエの作品と判断されたそうです。発見された画のタイトルは《軽蔑されるキリスト》。この作品は祭壇画の連作として制作され、ロンドンのナショナル・ギャラリーに1幅、ニューヨークのフリック・コレクションに1幅が残されています。

オークションを手掛けたアクテオン・オークションハウスでは、当初600万ユーロ(約7億2600万円)程度での落札を予想していたそうですが、予測の4倍2400万ユーロ(約29億円)で落札されました。中世絵画の落札価格としては史上最高値のようです。

現時点での、海外ニュースメディアの報道では、持ち主がこの絵画をどのように入手したのかは書かれていないのですが、フランスの庶民的な地区で開催される蚤の市で『5千円くらいで買いました!』となったら、なんだか痛快な感じがするのは私だけでしょうか。元気と勇気と希望がもらえた、そんな話題でした! サムライオークションの骨董・古美術ファンの皆さまも、ぜひ物置の探索や身近な骨董の再評価をしてみましょう!

【初心者のための、骨董・古美術用語紹介!】

こんにちは! 初心者大歓迎の《古美術専門オークションサイト》サムライオークションです。

今回は、骨董・古美術の専門用語、俗語や隠語のたぐいについて、耳にしがちな初歩的な基本用語をご紹介しているシリーズです。

【織部焼・おりべやき】

桃山時代の末期(1600年頃)から1624年頃まで、主に美濃地方(現在の岐阜県)で生産された陶器。美濃焼の一種で、基本的に同種の志野焼を含めていう場合もあります。武将で利休門下の茶人古田織部の好みで作られたといわれているが、古田織部がこの焼物に関わったという確証は無いようです。文様や形状などの違いによって、黒織部、織部黒、赤織部、青織部、総織部などの区別があります。

・使用例→『織部焼は国内外で人気があって、欧米にも多く輸出されている』など。

【織部好み・おりべごのみ】

戦国時代から江戸時代初期の武将にして茶人だった古田織部。彼は、当時の茶道具の評価軸にはなかったゆがみの造形や抽象文様など、新しい感覚を茶器に取り入れました。また、傷物を修復してその中に茶道の美学を見出すなど、その後の茶道に大きな影響を与えています。この織部独特の美意識が織部好みと呼ばれています。茶器や建築、庭園などにわたって、織部好みは大流行しました。

・使用例→『はっきりした織部好みの茶碗だ』など。

【梅花皮・かいらぎ】

茶碗の腰周りや高台付近にできた粒状・縮れ状の焼き斑。刀剣の柄に巻くエイの皮を『梅花皮』といい、その表面の質感に似ていることからこの名前で呼ばれるようになりました。本来、技術的には欠陥ですが、茶人などはこれを一つの見どころとして鑑賞します。井戸茶碗では、この梅花皮が約束事とれているため、現代陶芸においても意図的に梅花皮を現している場合があります。

・使用例→『あの井戸茶碗の梅花皮は、味わい深かった』など。

少しずつ覚えていきましょう。サムライオークションは、骨董・古美術ビギナーを応援しています!

【技が拙いから拙宗と名乗ったの??】

こんにちは! 初心者大歓迎の《古美術専門オークションサイト》サムライオークションです。

10月27日の朝日新聞に、雪舟の三幅対の水墨画が国内で初確認されたニュースが掲載されていました。そのニュースの中で初めて知ったのですが、雪舟(せっしゅう・1420〜1506年)が若き日に拙宗(せっしゅう)を名乗っていたという事実。

記事では、雪舟の三幅対(三幅の掛け軸が一組になった作品)として現在確認できる作品は、米ボストン美術館が所蔵する「三教蓮池図」だけであることや個人の所蔵者からの依頼によって、山口県立美術館が鑑定して若き日の雪舟(拙宗)筆と認定したことなどがまとめられていました。

三幅対は、中央に宗教性の強い主題の画を配置し、左右に宗教性の希薄な主題の画を取り合わせて楽しむ鑑賞方法のひとつで、室町時代に将軍家などの上流武家の間に広まっていたそうです。いわゆる仏画、宗教画に位置付けられます。

それよりも私が気になったのは、若き雪舟の名前「拙宗」。それで、少し調べてみたのですが、雪舟と拙宗は別の人物だと考えられていた時代もあったようです。備中国(現在の岡山県)に生まれた雪舟は京都、そして周防国(現在の山口県)と住み替え、1467年(応仁元年)に遣明使として中国に渡り才能を開花させたと言われています。この周防国時代、30代後半頃までの名乗りが拙宗だったようです。

拙宗時代の作品には、のちの雪舟作品に見られるモチーフや筆法が見られるようですが、まだ穏やかで柔らかいタッチが多く、如拙(じょせつ・生没年不詳)や周文(しゅうぶん・生没年不詳)の影響が指摘されています。どうやら、まだまだ技が拙いと感じていたから拙宗を名乗っていた、というわけではないようです。

今回確認された拙宗筆の三幅対の作品は、山口県立美術館【雪舟の仏画ー初公開の《騎獅文殊・黄初平・張果老図》を中心にー】展〔11月2日(土)〜12月8日(日)〕で公開されます。

【ジェフ・クーンズのうさぎで考える、現代アートの価値について】

こんにちは!《古美術専門のオークションサイト》サムライオークションです。

今年5月、ジェフ・クーンズのステンレス製の彫刻作品「ラビット」が、クリスティーズのオークションで約9100万ドル、日本円に換算して約100億円で落札されました。存命中のアーティストの作品では史上最高値だそうです。

ジェフ・クーンズは、アメリカの現代アーチストで64歳。ポップカルチャーを代表する作家として作品が高値で取引されていますが、この100億うさぎが作られた当初、1986年に所有していたギャラリーは、約4万ドル(約440万円)で購入したそうです。

30数年かけて価格が約2270倍になった計算です。なぜこういう価格高騰が起こるのでしょうか。実はアメリカの美術市場では、ギャラリーと批評家、そしてコレクターがチームとなって、推しアーティストの評価を高めていくシステムができているのだとか。

たとえば、村上隆のオブジェ「ロンサムカウボーイ」やZOZOの元社長さんの所有するジャン・ミシェル・バスキアの作品など、既存の価値観や評価軸では評価の仕方がわからなかったりした場合、その価値を担保する役割を担っているのが有名批評家です。

批評家が作品にお墨付きを与え、有名コレクターが高値で購入する、それにより作品の価値が確定し、高値で取引されるようになるということですね。ビンテージワインの市場と同じようなしくみです。

アート作品をお金という評価軸だけで価値判断するのは違和感があるのですが、資本主義経済では、やはりこれも確固たる客観的な評価ではあります。

サムライオークションでもいつの日か、日本のアーティストを見出して育てていくことができれば嬉しいですね!

【ラグビーワールトカップとポール・ジャクレー】

こんにちは! 初心者大歓迎の《古美術専門オークションサイト》サムライオークションです。

ラグビーワールドカップ、終わっちゃいましたね〜! 全国的に盛り上がりました。日本代表の顔ぶれを見ると多様性に富んだメンバーですが、今では多様な人種から構成された日本代表チームに、違和感を感じる人も少なくなってきていると思います。

社会心理学では、接触効果という概念があり、繰り返し接触したり見たりすることで、親近感や好感度がアップすると考えられています。日本にも徐々に外国の人が増えてきたし、どこの国でもナショナルチームは多様な人種で構成されていることが多いですよね。

ただ、それが明治時代となると、日本人の意識はどうだったのでしょうか。

没後60年記念「ポール・ジャクレー展ー浮世絵に魅せられたフランス人画家ー」の展覧会が今月11月24日(日)まで、栃木県の那珂川町馬頭広重美術館で開催されています。

ポール・ジャクレー(1896年〜1960年)は、パリで生まれた生粋のフランス人。家族と共に3歳で来日し、その後日本文化を学んで日本語、書道、そして黒田清輝からデッサンを学びました。1907年、11歳の時に浮世絵の流れを組む池田輝方に師事し、日本画を習得。「若札」の雅号で作品が残っています。

当時、外国人などほとんどいない日本で、苦労もあったように思うのですが、江戸の風情が残る下町を愛し、とりわけ浮世絵に強く惹かれていたそうです。浮世絵の技法による伝統的な木版画が制作されており、浮世絵、洋画、日本画の合わさったような独特のタッチがユニークで魅力的です。

作品には、南洋諸島や韓国、中国の女性風俗を描いたものも多く、多様な文化への憧れのような気持ちがあったのかもしれませんね。閉鎖的な当時の日本社会でも、それを楽々と飛び越えて、日本文化を愛していた彼の心の自由さに思いを馳せる時、桜ジャージを着て日本のために戦う日本代表チームの面々の印象が重なって、自然と感謝の気持ちが湧いてきました。

サムライオークションでは、多様な個性の骨董・古美術品を取り扱っています。これからもどうぞご贔屓に!

【売れるものを創るから、売れない】

こんにちは! 初心者大歓迎の《古美術専門オークションサイト》サムライオークションです。

日本を代表する木彫作家平櫛田中(ひらくし・でんちゅう/1872〜1979年)。田中の出身地、岡山県井原市にある『井原市立田中美術館』では、11月10日(日)まで《没後40年平櫛田中美の軌跡》展が開催されています。

田中の作品で有名なものに、井原地方の古い伝承に基づく《転生》があります。生ぬるい人間を、口から吐き出す鬼の木彫。絵面的には、フランシスコ・デ・ゴヤの《我が子を食らうサトゥルヌス》と同様のインパクト! でも、表面的な意味合いは真逆という面白さ。また、田中のアーティストとしての意志が表されている《尋牛》という作品も表現の奥行きが広く、大変に魅力的です。

田中が岡山県から上京し、高村光雲のもとで仏師を目指したのが1898(明治31)年。ただ「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」運動の影響で、仏像の需要はほとんどなくなってしまいました。そんな時、田中は岡倉天心(おかくら・てんしん)と出会います。

彫刻家としてどのように生きてゆけばよいか、彫刻の実用性に目を向けてどのような作品を作れば売れるのかを相談した時、天心は「売れるものを(と考えて)創るから売れない、売れないものを創れば必ず売れる」と諭したそうです。そのアドバイスがあってかその後、売れる作品作りではなく、アーティストとして自らの表現を追求する道を選択した田中。《尋牛》という作品には、自分の求める道を模索する田中自身の姿が投影されていると考えられています。

アーティストにその生き方までを諭す岡倉天心、そして素直に納得し自らの表現者としての意志を定めた田中。二人の出会いと田中のその後の運命が大変に感慨深い逸話です。

サムライオークションも、古美術ファンの皆さんの指針になれるようなサイト運営を目指していきたいと思っています!