ティーカップをお洒落にディスプレイする方法

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アンティークのティーカップは種類も多く、ソーサーとの組み合わせも華やかなので、食器棚に並べて飾っておくだけでもインテリアとして映えるものです。たくさんのティーカップをコレクションする場合、飾ったり収納するには大きめの食器棚が必要になると思いますが、そのような大きな家具を用意できなくても「バスケット」を使ってお洒落に飾る方法をご紹介します。

手頃な大きさのバスケットに柔らかい布を敷いて、色々なソーサーをずらしながら縦に重ねて立てて、手前にカップをそっと置きます。ソーサーが花びらの様に広がって見え、バスケットに入れるだけでもとても可愛らしいインテリアにすることができます。複数のバスケットに分けて、同系色で集めてみたり、バラバラの配色にしてみたりするだけで違った印象を作り出すことができるので、シーンによって組み合わせを変化させてみましょう。テーブルや小さめのキャビネットの上に置いて飾ることができるので、お部屋のちょっとしたアクセントになります。

ソーサーやティーカップ同士の重なりで傷がつかないか心配な場合は、バスケット内に小さなスタンドを入れて立ててもいいかもしれません。フラワーアレンジメントのように大きさや形、布のデザインなどでも変化もつけられるので自由自在のティーカップアレンジメントが楽しめます。生花や造花を一緒に挿してみたり、小さなお菓子なども並べてみれば、そのままピクニックに行けるようなワクワク感が演出できますよ!

こちらの記事がとても参考になります。(英語の記事なので、グーグルのページ翻訳機能などを使って閲覧することをおすすめします。)

【Le Meurice】芸術家たちが愛したパリ最古のホテル

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芸術の街とも呼ばれるパリには、昔から変わらない風景や建物が至るところに残されています。その中でも、アート好きの方なら必ずチェックしておきたいのが、パリ最古のホテル「Le Meurice」です。

1835年に現在の場所にオープンした「Le Meurice」は、パブロ・ピカソ、アンディウォーホル、サルバドール・ダリなど、数多くの芸術家が愛した場所で有名です。特にダリは強烈なエピソードを残しており、30年間毎年1、2か月をこのホテルで過ごし、あらゆる種類のいたずらを行いました。彼はスイートルームをアトリエにし、自分の部屋に動物を連れ込み、さらにはホテルの廊下を自転車で走るのも頻繁に見られたと噂されています。スイートルームから外に向かって絵の具をバラ撒き、「これがアートだ」と言ったこともあるそうです。

ダリが常連だったことが名前の由来になっているレストラン「ル・ダリ」の天井には、巨大な天井画が設置されています。世界で最も有名なインテリアデザイナーの一人として知られているフィリップ・スタルクと、その娘のアラ・スタルクがオペラ座を参考にしてデザインしたものです。他にも、「女性を美しくさせる唯一の飲み物」という言葉を残したポンパドゥール侯爵夫人の肖像画が優雅に飾られている「ポンパドールの間」と名付けられたサロンは、1917年に同じくピカソが結婚披露宴を開催した部屋でもあり、シャンデリアや壁などは重要文化財になっています。

社交の舞台であるレストラン「ル・ダリ」とは反対で隠れ家のような空間である「Bar 228」で、ダリはお酒を楽しみながらくつろぎました。かつての巨匠たちが愛した芸術の塊のようなホテルで、優雅に時間を過ごしてみたいものですね。

【川端康成 x 東山魁夷】美術を通じた交友

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「秋の野に 鈴鳴らし行く 人見えず」

1968年に日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成が、その知らせを受けた夜に詠った有名な句です。言葉遊びが隠されていて、「野(ノ)」「鈴(ベル)」で「ノーベル」と表現しています。川端康成は、この書を友人である画家の東山魁夷に贈りました。東山魁夷はこの歌を屏風に仕立て、その裏に秋の野を描いたそうです。

川端康成といえば、「雪国」「伊豆の踊子」など多くの名作を残した文豪です。文学だけでなく美術にも深い理解がありました。絵画や工芸品の他に、土偶や埴輪まで、様々なものを収集していました。彼の小説は、いわゆる王道とも言える文体で書かれていることが特徴です。客観的で少し離れた位置から見ているような視点で、抽象的でありながらリアリティを表現して読者を引きつけます。

交友の深かった東山魁夷は、文化勲章も受賞した、戦後を代表する日本画家です。作品『道』で風景画家としての地位を確立しました。川端との交流は、1955年に東山が川端の本の装丁を手がけたことをから始まりました。川端が東山の作品を購入したり、東山が川端に絵を贈ることが頻繁にあったようです。手紙のやり取りが100通を超えるともされていて、歌に言葉遊びを含めるところからも伺えるように、とても親しい間柄だったと言えます。

東山も川端と同様に、古美術から近現代美術の作品を収集していました。川端の何かを鑑賞しているかのような文体は、東山と美術品を通じて対話する中で磨かれたのでしょうか。また、幻想的な作風の東山の美学は川端と似ているところがあり、それぞれの存在が創作に大きく影響していたことは間違いないでしょう。美術と文学を越えた二人の交友が、素晴らしい作品に繋がったのかもしれませんね。

絵を飾るときのちょっとした工夫

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絵画を飾るときは、以下のポイントを押さえることでキレイな空間に仕上げることができます。

目線の高さに合わせる

立ったときに自然に目に入る位置が良いとされています。日本人の平均身長は、男性で172cm、女性で158cmほどなので、壁にかけた絵の中心が目の高さに来る「床から140~150cm」の辺りが、顔の角度を意識せずに鑑賞できるので最適です。

空間の形に合わせる

絵画を飾る壁面が縦長であれば縦長の絵、横長であれば横長の絵を飾ると、視覚的に違和感が無く鑑賞できます。また、絵が壁の長さの方向に合わない場合は、複数の絵を長い方の向きに並べることで、目の動きに合わせた流れを作り出すことができます。このとき、それぞれがバラバラの雰囲気の絵であっても、額縁の色やデザインに統一感を出すことで、お互いが主張しすぎることなくまとまって見えます。

フォーカルポイントを意識する

視線を集めたい場所へピンポイントに配置する方法は定番です。ソファやキャビネット、玄関の正面や下駄箱の上などに飾ると、絵の存在感がグッと増します。上級テクニックとして、お気に入りの椅子を置いて、その上に絵を座らせて飾るというのも、おしゃれなお店のような演出ができますよ。

生活に合わせる

普段活動する場所であるリビングや、一日の締めくくりを過ごす寝室など、絵が持つイメージに合う場所に飾ることで、その空間へ与える効果も変わってきます。また、周囲の家具の色やテイストに合わせることで、その空間へ馴染ませることができます。家具と合わないと感じる場合でも、絵の雰囲気と合う布や小物などを周囲に少し加えてみることで、絵が孤立することを防ぐことができます。 このようなちょっとした工夫で、絵が持つメッセージをより引き出すことができるので、ぜひ試してみてください。

経済成長と子どもの成長を見てきた「ブリキのおもちゃ」

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日本の成長とブリキの関係

ブリキとは、鉄鋼にスズのメッキ加工を施したもので、一昔前の缶詰や看板、おもちゃの主要な材料となるものでした。1800年代後半の明治に登場し、輸入が盛んになったことで日本にも広く普及します。第一次大戦まではドイツが生産量世界一でしたが、ドイツが敗戦した後は日本への注文が殺到し、海外へ輸出するようになりました。そして第二次大戦後は、復興の柱として「ブリキのおもちゃ」の輸出が支えになります。資源が乏しい中、材料を集めて加工し外貨を稼ぎます。「ブリキのおもちゃ」には復興への願いが込められていたため、当時の時代背景を知る世代や、その子どもたちにとっても思い入れの深い、共に苦難を乗り越えて成長してきた特別な存在だったと言えるでしょう。

「ブリキのおもちゃ」のその後

ブリキにはデメリットもありました。鉄鋼が材料なので重さがあり価格も高く、表面の加工にスズを使用するため子どもが口にすると健康にも良くないとされていました。そのような理由で、軽くて健康への影響も小さいプラスチック製品のおもちゃが現在の主流となります。ブリキは現在ではほとんど作られないので、希少価値があり人気になりやすく、さらに、箱に入れたままなど製造当時の状態を保っている場合は価値が跳ね上がることもあります。 おもちゃは観賞用の絵画のような骨董に比べると、誰にとっても身近な存在であり、個々人が懐かしさを覚えやすいため、突然コレクターに目覚める方も多いようです。ブリキ製品は骨董品として扱われるものの中では比較的最近のものと言えるので、探すと意外に見つかるかもしれません。たとえそれが保存状態が悪かったとしても、希望を背負いながら日本の成長を牽引してきた背景を知ったうえで手に取れば、その重量以上の重みを感じることができるでしょう。

【偉大な孝行娘!:葛飾応為】

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実は、私には娘がいるのですが、ここ数年はたまに仕事帰りに二人で飲んだりして、聞きたくなかった男の話を聞くことがあったとしても、良いものだなあとしみじみ感じています。

皆さんは、北斎(1760〜1849年)の娘、葛飾応為(かつしか・おうい:生没年不詳)をご存知でしょうか。

改めるまでもなく、画狂人北斎は、LIFE誌の『この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人』に日本人として唯一選ばれているほどの偉大なアーティスト。

《LIFE・この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人》

生涯に製作した作品は3万点以上とも言われています。その創作意欲は晩年になっても衰えることを知らず、死の床にあって、あと5年生かしてくれれば本当の絵描きになれたと言い残すほどでした。他界した年にも傑作を数点描いています。

そこで、応為です。北斎には2人の息子と3人の娘がいたとされていますが、応為は3女。父親譲りの画才があり、嫁いだ亭主の絵を嘲笑したため、離縁されてしまいます。いわゆるシャクレ顔であり、北斎に『あご』と呼ばれていたのだとか。

出戻った応為は、北斎の創作活動のサポートをするようになりますが、例えば女性の指先など、細かいディテールの描写において、その表現力は北斎を上回るほど。光と影を巧みに使った構図など、そのオリジナルの作品も父親に肩を並べるほどの魅力を感じます。

実は、北斎没年(1849年)の作品『雨中の虎』は、作品の筆跡に応為の特徴が出ていると分析する研究もあります。虎は北斎のメタファーと考えられています。

《雨中の虎・太田記念美術館所蔵》

応為については不明な点も多く、はっきりと応為作と認識されている作品の数は少ないようです。

まだ女絵師の存在が社会的に受け入れられにくい時代に、豊かな才能を持った応為がどのような気持ちで北斎をサポートし、自分自身の作品に向き合っていたのか、空想するのも楽しいですね。

常設ではありませんが、応為の作品は太田記念美術館に所蔵されています。ご興味のある方は、開館スケジュールや作品公開のタイミングなど、お問わせの上、ご訪問ください。

《太田記念美術館》

サムライオークションにも、浮世絵作品が出品されています。ぜひ作品ページもご覧になってください!

イギリス陶芸の父「ジョサイア・ウェッジウッド」

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海外のアンティークといえば、ティーカップなどの陶磁器が思い浮かびます。ティーカップで有名なブランドといえば、世界最大の洋食器メーカー「ウェッジウッド」でしょう。海外のアンティーク市でもよく見かける人気の商品です。そのウェッジウッドの創業者「ジョサイア・ウェッジウッド」はどんな人物だったのでしょうか。

見習い時代

ジョサイア・ウェッジウッドは1730年生まれ。ヨーロッパの陶芸史を変えた人物です。17〜18世紀にイングランドのスタッフォードシャーという町の小さな製陶所の見習いとして、地元の粘土を使ったものづくりをしていました。当時の技術は素朴で家庭向けの分厚い陶器が主流でした。

研究熱心

1754年にトマス・ウィールドンという名工とパートナーになったことが転機となり、飛躍的に技術が向上します。当時の陶器産業は衰退しており、立て直すには科学を取り入れた技術革新が必要だと考えたジョサイアは、素地、釉薬、彩色、形にこだわるようになりました。研究者さながらの試行錯誤の末、薄くてキレイなデザインの新種の彩色陶器を次々に生み出します。その探究心が数々の成功へと導きました。

独立と功績

トマス・ウィールドンと5年働いた後に独立し、アイビー・ハウス製陶所を設立します。最初の功績として今までに無い緑の釉薬を発明し、スタッフォードシャーの窯業は有名になります。18世紀半ばの頃、出来上がった作品を馬で運んでいたため破損率がとても高かったのですが、強い反対を押し切り運河の建設へ乗り出し、この運河の完成が陶芸を含む各産業の発展へと繋がることになります。また、彼の工房は労働者への待遇が良く、健康と福祉を重視したものでした。さらに、奴隷廃止運動でも活躍。陶芸にとどまらず、社会を良くするために幅広く活動してきました。

死後も愛されるブランドへ

ジョサイア・ウェッジウッドは1795年1月3日に死去します。その後も工房は150年維持され、後継者の職人が伝統を守り続けながら新しい製品も生み出してきました。1950年になると工房は閉鎖され、現在のバーラストン工場に移されます。伝統技術を残しながら最新の技術も取り入れて共存させ、美術と産業の融合に取り組んだ偉大な人物だったと言えるでしょう。

天才贋作者のモチベーションとは?

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『好きこそものの上手なれ!』とは、よく使われる言葉です。確かに夢中になれることがあれば、知識や技術は自然に身につくはず。そして、その夢中になったことに市場性があれば、なお良しです。

野球やサッカーなどのプロスポーツは、それを見ることが大好きなファンの存在があってこそ、ビジネスとして成立します。観客がゼロになってしまうと、市場が成立せず、今や大きなクラブでも経営危機になっているのだとか。無理矢理開幕をすすめるプレミアリーグで感染爆発が起こらなければ良いのですが…。

さて、今回は《美術館を手玉にとった男》という映画の話です。30年に渡って、米国20州、46の美術館を騙した天才的な贋作専門画家のドキュメンタリー映画です。

2008年に主人公マーク・ランディスの贋作事件はニュースになるのですが、彼は捕まることはありませんでした。

《美術館を手玉にとった男》

なぜかというと、彼はお金もうけのために贋作を描いたのではなく、専門家が本物と見紛う絵画を自ら描き、慈善活動と称して寄贈しただけだったから。なんとも妙な話なのですが、彼の飄々とした語り口やその人となりを見れば、少し納得できる気もします。

ポール・シニャック(1863〜1935年)、スタニスラス・レピーヌ(1835〜1892年)、ルイ・ヴァルタ(1869〜1952年)などなど、中世の時祷書までも、ウォルマートで購入した安い画材を使って、楽しみながら贋作をしている様子をカメラが捉えています。

なぜ自らオリジナルの作品を作らないのか『この世界にオリジナルなものなんてないのさ』と彼は語っていました。そして、なぜ贋作を作るのかという質問に対しては『贋作を作るのが好きだから』と話します。

もちろん、単純にその言葉どおりに受け取ることはできないのですが、その言葉の中には確かに本音があったような気がします。

彼がどのように画を描いているか、その屈折した精神を知ることは、アートファンの皆さまにとって、何かの刺激になるかもしれません。

複雑な現代社会の病理の中にある、決して評価されることの無い才能を知り、皆さん自らの真贋を見極める力につなげていただければ幸いです。

サムライオークションとしては、決して贋作製作者をリスペクトしているわけではありませんので、念のため (*´ω`*)

「かるた」が嫁入り道具?

こんにちは!《美術品・骨董品専門のオークションサイト》サムライオークションスタッフ井戸です。

映画やアニメでも大人気の、競技かるたが題材の「ちはやふる」というマンガをご存知の方は多いのではないでしょうか。競技かるたとは、かるたの一種である百人一首を用いた競技のことです。小さい活動を含めると競技人口が100万人を超えるスポーツ競技となっており、「畳の上の格闘技」とも言われるそうです。バシバシ叩かれてボロボロになる、そんな誰もが知るかるたですが、昔は惜しみなく財をつぎ込まれる高価なものでもありました。

かるたの歴史

トランプのようなカードのことをポルトガル語で「carta(カルタ)」と言います。そのカルタが、室町時代後期にキリスト教や鉄砲と一緒にポルトガル人によって日本に伝えられました。日本にはそれ以前から「貝覆い」という二枚の貝殻に絵柄を書いて同じものを見つける、という遊びがありました。この貝覆いとカードゲームであるカルタが融合され、日本独自のカード型のゲームとして「かるた」が誕生したと言われています。

惜しみなく財をつぎ込む

かるたが誕生した頃は遊ぶものというよりも、貴族が嫁入り道具として贅を尽くしたり、教養や観賞のためにコレクションするものでした。そのため、一枚の絵や縁に金箔を贅沢に使い、裏一面には銀を使用するなど細部にこだわります。また、かるたを入れる箱は職人が絵を描き、漆を塗った豪華なものに仕立て上げるなど、各分野のプロによってひとつのかるたが作られていました。そこに集約される財や技術からわかるように、当時のかるたは間違いなく美術品としての役割を担っていました。現代ではお正月に遊ぶ子どものゲームというイメージがありますが、昔は大人の嗜好品だったのです。

遊ぶだけではもったいない!

小さい頃よく遊んでいた、家の引き出しにしまってあるその「かるた」。年季の入ったものであれば、もしかするととても価値のあるものかもしれません。遊ぶだけではなく、鑑賞して楽しんでみてはいかがでしょうか。

初心者のための骨董・古美術用語シリーズ!

こんにちは! 初心者大歓迎の《美術品・骨董品専門のオークションサイト》サムライオークションです。

美術品、骨董品を楽しむためにご紹介している基本用語集。不規則・不定期に掲載しています。今回は〈掛軸〉にまつわる言葉について、まとめてみました。ご参照ください。

【掛物:かけもの】

床の間にかけるように作られた書画のこと。掛軸は、掛物の一種です。仏画、浮世絵、山水画、花鳥画などのジャンルがあります。連作となる複数の画を同じ表装で仕立てたものを〈対幅(ついふく)〉と呼びます。床の間は本来、掛物や生花などを飾る日本独自の専用スペース。その建築文化が失われてきたことで、掛物を飾る機会が減っているのは、寂しい限りです。

【表具:ひょうぐ】

書画を飾るために、布や紙などによってつくられたベース、額に相当する部分。掛軸、屏風、ふすま、衝立、巻物などのことを指します。それらを仕立てることを表装(ひょうそう)といい、表装を仕事にしている人を表具師(ひょうぐし)と呼びます。

【本紙:ほんし】

掛軸や屏風、巻物などに飾る作品本体。書画の描かれた紙や絹のことを指します。鑑賞の中心となる対象物ですね。本来は、〈本紙〉が鑑賞のメインではあるのですが、掛軸などは〈表具〉も含めた全体を作品としてとらえる場合も多いです。

【上・下:じょう・げ】

掛軸の上の部分と下の部分。それぞれ、天・地とも呼びます。掛軸を床の間に飾った時、本紙が鑑賞の中心となって、違和感がないようにバランスをとるのが上・下の役割です。日本文化に特有の余白ですね。

【中廻し:ちゅうまわし】

掛物の上・下の間の〈本紙〉をとりかこむ部分を指します。〈本紙〉のバックに重なるところで、書画の印象に影響するのでとても重要なため、上等な〈裂(きれ)〉が使われます。

【風帯:ふうたい】

掛物の上部に上部の軸から下に向けて垂らす細い紐状の布のこと。一般的に〈一文字〉と同じ〈裂〉を使うことが多いです。

【一文字:いちもんじ】

〈本紙〉の上と下の部分に貼る幅の狭い〈裂〉のことを指します。面積は小さいのですが、〈表具〉の要といわれる大変に重要なポイントです。通常は〈中廻し〉や〈上・下〉よりも上等な〈裂〉を使います。上の〈一文字〉が、下の倍の幅で作成されます。

【八双:はっそう】

掛軸の一番上に付いている、棒状のものを〈八双〉または、〈半月(はんげつ)〉、〈表木(ひょうもく)〉と呼びます。多くの断面はかまぼこ形ですが、江戸中期以前のものには、三角形のものもあります。

〈本紙〉と同様に奥深い〈表具〉の世界。まずは、〈上・下〉〈風帯〉〈中廻し〉のスペースのバランスを評価すること、そしてそこで使われている〈裂〉を見て、自分なりの価値判断をすること。そんなところから、掛軸コレクションを楽しんでください!