【広がる物語《「疲れ果てて」の習作/ゴッホ》】

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2021年は、ビンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890年)が度々話題となり、注目を集めた年でした。12月12日までは、ヘレーネ・クレラー・ミュラー美術館のコレクション展が東京都美術館で開催されていましたし、11月にはニューヨーク、クリスティーズのオークションで、ゴッホの水彩画が3590万ドル(約41億円)で落札されました。

1888年に制作されたこの水彩画は、最後に展示されたのが1905年。ゴッホの自殺後に弟のテオドルス・ファン・ゴッホ(1857〜1891年)が所有し、第二次大戦中にナチス・ドイツに接収され、一時期は行方不明になっていたそうです。厚塗りの油絵が特徴的なゴッホが、紙の上に水彩絵の具を使って描いた作品は珍しく、モチーフもゴッホが2年ほど暮らしたアルルの干し草の山ということで、希少性や物語性からか予定落札価格よりも600万ドル程度高くなりました。

そして、私の21年ゴッホニュースナンバーワンは、9月にゴッホ作として認定されたスケッチ画の公開です。発見されたのは、ゴッホ29歳の1882年に制作された『「疲れ果てて」の習作』。画家になって2年目に、描写力向上を目指して描かれた鉛筆画とされています。1910年頃に購入したオランダ人コレクターの家族が、ゴッホ美術館に鑑定を依頼し、分析の結果、ゴッホの未公開作品であることが確認されたようです。

先程の水彩画もそうですが、この制作年から所有者の遍歴にかかわる時間軸に想像力をかきたてられますし、歴史を旅するある種の旅情のようなものを感じます。骨董品も、心的な効用として同様のものがありますね。

そのゴッホの習作、描かれているのは人生に疲れ切ったように頭を抱える老人。構図としては『悲しむ老人』に近い印象です。聖職者になることをあきらめて、ゴッホが画家を目指したのが1880年。1882年は、キャリアチェンジしたばかりのタイミングです。この頃、ゴッホはオランダのハーグに住んでおり、親族で画家としての師匠でもあった、アントン・モーヴ(1838〜1888年)からアドバイスを受けていました。

描写力は低いように思いますが、食べる物も控えて美術館で模写をしながら絵を学んでいたゴッホが、モーヴからの『生きた人間をモデルにせよ』というアドバイスによって、身近な農民や労働者たちの暮らしをモチーフとして描き始めた時期のこの作品には、画家ゴッホが誕生した瞬間を感じ取ることができます。 まだ将来が見えず、時に不安も抱えていたであろう29歳のゴッホ。描かれている老人には、ゴッホ自身の姿も重なります。やはり魅力的なアートには物語がありますね。『「疲れ果てて」の習作』は、今年最も物語の広がりを感じさせてくれた作品でした。