【「竹久夢二」の多才な表現に触れる!大正ロマンの「描き文字」展】

東京大学のほど近く、東京都文京区に〈竹久夢二美術館〉があるのをご存じでしょうか。弁護士・鹿野琢見(1919~2009年)によって設立された私立美術館です。

創設者である鹿野琢見は、美少女・美少年・美人画で一世を風靡した高畠華宵(1888~1966年)の作品に魅了され、所有する多くのコレクションを公開すべく、1984年に〈弥生美術館〉を創設。

また竹久夢二のファンでもあり、多くの夢二コレクションも所蔵していました。1990年に〈弥生美術館〉の同敷地に〈竹久夢二美術館〉を創設しました。

同館では年に4回、さまざまな切り口による夢二の企画展が開催されています。2023年4月1日(土)~6月25日(日)の期間、『竹久夢二 描き文字のデザイン ―大正ロマンのハンドレタリング―』と題した展覧会を開催中。

グラフィック・デザイナーとしても才能を発揮した夢二の、手描きによるレタリング(デザインされた文字)に焦点を当てた本展。ポスター、雑誌や楽譜の表紙、書籍の装幀などに描かれた独創的なフォントがさまざまに紹介されているとのことで、お邪魔してきました。

まずはこちら、夢二が表紙を多く手掛けた「セノオ楽譜」です。

こちらの楽譜は、大正時代に設立された〈セノオ音楽出版社〉が、古今東西の名曲を楽譜に落とし、出版したもの。当時は音楽に親しむ手段として、「ピース楽譜」と呼ばれる小曲1編だけを収めた楽譜が多く出版されていたようです。

それらの楽譜の表紙の多くを手掛けていたのが、夢二だったのだとか。

文字の太さ、形状、文字の強弱も、実にバリエーション豊富。そのフォントに優しさや慰めを感じさせるものもあれば、強さや刺々しさを感じさせるものも。文字だけで、さまざまな心象を表現できる夢二の匠さに驚かされます。

また、「涙」「鳥」「花」「月」「日」といった文字の図案化のユニークさ。特に「花」は美しさのなかに刺々しさも含まれ、「花かそもなれ」の歌詞にも通じるものが。

「歌」という漢字ひとつにしても、こんなにも表現が可能とは! 見ているだけで楽しくなってきます。

「春」という描き文字にもフォーカス。四季のなかでは特に「春」を好み、その季節特有の感傷を、絵画や詩歌などで表現していたという夢二。暖かな季節ということもあって、赤系の色づかいも多い様子。

また、書籍の装幀も多く手掛けていた夢二の、いくつかの作品も展示されていました。その中で、個人的に好みだったのが、こちらの『凧』。

表紙をめいっぱい埋めつくす「凧」の字のダイナミックさ。一瞬、幾何学模様のような装飾かなと思ったのですが、よくよく眺めているなかで「ハッ…!」と気づかされるその意匠。この潔さに心掴まれました。

ほかにも『恋愛秘語』の文字のおもしろさと、それらを分解して装飾にした表紙もかっこいい。

さまざまな夢二の描き文字に触れつつ、直筆の書画、恋人や知人などに宛てた手紙など、夢二の多彩な文字の表現を楽しめる展示になっています。

また、館内で続く〈弥生美術館〉には、創設者・鹿野琢見がコレクションした、美人画の巨匠・高畠華宵の作品展示も。

「夢二式美人」という言葉が確立されるほど、美人画で有名な竹久夢二ですが、彼の意匠は描き文字をはじめ、ありとあらゆる部分で表現されていることを発見。改めて、彼の多才さを思い知る展覧会でした。

〈竹久夢二美術館〉と〈弥生美術館〉が併設され、それぞれの企画展と常設展を同時に鑑賞できる同館。現在は、1980~90年代に活躍した伝説のファッション・イラストレーター『森本美由紀展』も6月25日(日)まで開催されています。

年代を超えたさまざまなアーティストの作品を一度に楽しめる同館を、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

Information

『竹久夢二 描き文字のデザイン ―大正ロマンのハンドレタリング―』

場所:弥生美術館・竹久夢二美術館(東京都文京区弥生2‐4‐3)

会期:2023年4月1日(土)~6月25日(日)

開館時間:10時~17時(入館は4時30分まで)

休館日:月曜、展示替え期間中、年末年始

入館料:一般1000円/大・高生900円/中・小生500円

※2つの美術館は同じ建物内で見学ができ、上記料金で2館あわせてご覧いただけます

TEL:03‐5689‐0462

サイト:弥生美術館・竹久夢二美術館 サイトはこちら

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【「渋沢栄一」ゆかりの施設に有り!今昔を自由自在に行き来する「山口晃」作品〈バッタリ出合った名画シリーズvol.1〉】

出かけた先で、たまたま大好きな作家の作品に出合うこと、ありませんか? 「ここに、こんな名画が⁉」と、驚きとともにしばらく鑑賞し、なんだかホクホクした気分になったり。近くを訪れたら、つい立ち寄るスポットになっていたりして。

今回は、サムライオークション・スタッフが個人的にバッタリ出合い、つい足を止めて見入ってしまった、弊社独自の視点による「名画」をご紹介します。

その作品とは、山口晃さんの「養育院幾星霜之圖」(2013年)。飾られているのは、東京都板橋区にある〈東京都健康長寿医療センター〉の1階。エレベーター前の広々とした空間で、やさしく淡い色彩ながらも、威風堂々とした存在感を放っています。

山口晃さんは、日本の現代美術家、現代浮世絵師。大和絵、浮世絵、鳥瞰図、合戦図など、日本古来の絵画様式を油彩で描くなど、古くて新しい視点と、じつにユーモラスで心くすぐる作品を手がける画家です。

2019年のNHK大河ドラマ「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」のオープニング・タイトルバックを担当したことでも話題になり、ご存じの方も多いのではないでしょうか。

そんな山口さんの原画作品を、こんなにも間近で見られるとは! たまたま病院を訪れて、ふいにこの大作と出合ったときは、胸が高鳴りました。

横幅2m以上はあるであろうキャンバスには、昔ながらの長屋や西洋様式の建物、そのなかで過ごす人々の姿が描かれています。丁髷に着物姿の人、洋装の人、白衣や作務衣を着た医師らしき人や看護師など、過去と現代が融合したような世界観。

じつはこちら、〈東京都健康長寿医療センター〉と、その前身である〈養育院〉を、歴史の年表と共に描いた作品になっています。

明治5年、救貧施設として本郷に開設された〈養育院〉は、神田和泉町、本所長岡町、上野護国院跡、大塚辻町、現在の板橋と、都内あちこちに拠点を移してきました。その変遷が絵と文章で描かれています。

「ヤレヤレ マタ移動ダ」と引っ越しをする人物のボヤキ、昭和45年11月に提供されていた食事の献立内容も。山口さんの描くモチーフや視点がなんとも面白く、ついニンマリしてしまいます。

ところで、この作品のモチーフである〈養育院〉は、かの渋沢栄一さんが大きく尽力した施設。養育院開設の7年後には院長に就任し、半世紀以上に渡って同院の維持・発展に貢献したといいます。

それらの功績を示すべく、〈東京都健康長寿医療センター〉の2階には「渋沢記念コーナー」が設置されています。渋沢さんによる書や手紙、書籍や資料も多々。〈養育院〉の歴史、関わった人物、医療・福祉の発展の経緯などを知ることができ、もはやひとつの資料館。

山口さんの作品とあわせて覗いてみると、日本における医療や福祉の起こりや、その変遷など、興味深く感じられるはずです。

そして、「渋沢記念コーナー」には小さな図書室もあり、病院を利用する人に向けてさまざまな本の貸出を行っているようです。

さて。 話は山口さんの作品に戻り、絵画の以下の部分を見て、もしかしたら……と思っていたことがありました。〈東京都健康長寿医療センター〉の1階にはカフェがあるんです。

病院を出て「やっぱり!」と確信。絵画には現建物とその内部が描かれているのでした。

この円柱部分の1階はカフェ。そしてさきほど紹介した「渋沢記念コーナー」と小さな図書室はこの2階にあります。リアルとイマジネーション、現在と過去とを自由自在に行き来する山口さんの作品に、改めてノックアウトされてしまいました。

〈東京都健康長寿医療センター〉という場所柄、入院されている方々、そのご家族や関係者などを、クスッと笑顔にさせているであろう山口さんの「養育院幾星霜之圖」。病院を訪れる機会はないに越したことはありませんが、もしも訪ねる際は、本作品を探してみてはいかがでしょうか。

Information

地方独立行政法人 東京都健康長寿医療センター

東京都板橋区栄町35番2号

※病院という場所柄、作品鑑賞のためだけに訪れるのはご遠慮ください。

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【7つの魂を解き放つ、杜昆さんの個展「七魄」〈ミヅマアートギャラリー〉にて開催中】

日本及びアジア圏における独自の感性を持ったアーティストを発掘・支援・紹介する〈ミヅマアートギャラリー〉。1994年に東京・青山にギャラリーを開いて以降、2008年に北京に、2012年にはシンガポールにも開廊。近年はアートフェアにも積極的に参加し、国際的に活躍する作家を多数輩出しています。

現在、新宿区に置かれた〈ミヅマアートギャラリー〉では、2023年4月8日(土)まで、中国人アーティスト・杜昆(Dù kūn/ドゥ クン)さんの個展「七魄」が開催されています。

4歳の頃から絵を描き始め、北京の中央美術学院油絵学科を卒業。現在は北京を活動拠点とし、独創的で卓越した技法でその名を知られる、国際的なアーティストです。

同ギャラリーのサイトで知った杜昆さんの個展。そこに掲載されている作品画像は、一見すると中国の伝統的な山水画。でも、なにか底知れぬ特異さがモニター越しにも感じられ、どんな作品に出合えるのかワクワクしながら個展を訪ねました。

そして、実際にギャラリーに足を踏み入れた瞬間、なにか時間が止まったような、精神的というのか、信仰的というのか、そこに漂う空気さえも少し緊張しているような雰囲気が、会場を包んでいました。

展示されているのは、数メートルにおよぶ巻物作品や、軸の14点。そして、ギャラリー中央にはバネや金属棒などがさまざまにつけられた奇妙な木箱。

おもに正絹に墨と岩絵具によって描かれた風景画が、それぞれ美しく表具されています。モチーフは、霞む仙境や渓山、港に停泊する船、荒波を縫う帆船、静寂の霊廟や寺院、暗雲と龍など。その幽玄な世界は緻密な筆致で見事に描かれ、作品を眺めるのにも思わず息を潜めてしまうほど。

ギャラリーのスタッフの方から「こちらの映像を見ていただくと、作品の制作について理解が深まります」と案内され、映像が流れる部屋へ。

モニターには杜昆さんと思われる人が、あのギャラリー中央に置かれていた木箱を操って音を奏でています。ということは、あの箱は「楽器」!?

そして、この映像を見て気づいたのが、今回展示されている作品は、古来の山水画の技法を踏襲したものではないということ。むしろ、まったく新しいアイデアと手法で描かれています。

下の写真の「蝉噪」と書された巻物作品を見て、なにかしらの既視感を抱く人がいるでしょうか?

たとえば、心電図のパルス信号。なにかの実験で示された波形。そんなイメージを持つ人も多いはず。

じつは杜昆さんの作品は、彼自身が作曲し、奏でた音楽を“音波”として視覚化し、その音波を風景に当て込み、画を描いているのです。

美術学院在学中にロックミュージシャンとしてプロデビューした杜昆さん。アーティストとして音楽と絵画のふたつの要素をいかに結合できるかを求め続けてきたといいます。その到達点として、音楽を視覚的に作品に落とし込む風景画シリーズが誕生したのだとか。

そして、本展にむけてオリジナルの楽器「Seven Souls」を設計・製作。それがギャラリー中央に配置された木箱です。

縦バネ、伸縮自在のバネ、鋼の棒、カリンバ、小古筝、テルミン、カホンという7種の楽器がこの箱に融合されています。この「Seven Souls」を音源とし、そこから発せられる音楽的要素を音の波に変換し、巻物上に描いています。

本展タイトル「七魄」は、日本語に訳すと「7つのタマシイ」。道教の魂と精神の解釈である「魂魄(Soul/Hún pò)」をコンセプトに、陽のエネルギーに属する3つの「魂」と、陰の側に属する7つの「魄」をこの楽器に宿し、演奏することで、閉じ込められた「魂」が解き放たれる、と杜昆さんは「作家ステートメント」に記しています。

つまり、今回展示されている作品は、この「Seven Souls」という楽器で演奏された14の音楽が変換された作品であり、それぞれが魂の開放の試みであるということ。なんだか深遠な世界……。

杜昆さんは1982年生まれ。その卓越した画力、技法、独創的な視点は、今後も深く掘り下げられ、今後ますます世界的に名を轟かせる存在になるのではないでしょうか。

Information

杜昆「七魄」

場所:ミヅマアートギャラリー(東京都新宿区市谷田町3-13 神楽ビル2F)

会期:2023年3月8日(水)~4月8日(土)

休廊日:日・月曜、祝日

時間:12時~18時

観覧料:無料

TEL:03-3268-2500 リンク:ミヅマアートギャラリー

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【国宝の絵画「十六羅漢像」とは】

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国宝「十六羅漢像(じゅうろくらかんぞう)」をご存じでしょうか?

羅漢とは、仏教において修行を完成させた聖者のことを指します。羅漢の中でも、十六羅漢と呼ばれる16人は釈迦が亡くなった後もこの世に長くとどまるとされて、仏教を守り人々に広めることを託された特別な存在の人たちのことを指します。

十六羅漢像は、この羅漢を描いた作品にあたります。滋賀県大津市の聖衆来迎寺旧蔵のもので、現存する中では最古の十六羅漢像となります。

羅漢をはじめとした人物の表情は他の作品よりも穏やかに捉えられていて、たくさんの色を使用して明るめにまとめられているのが特徴的です。実は、この作品は絹に描かれているのですが、絹の裏から色を塗る技法が取られていて、裏からの絹目を通して見えることによって穏やかな色調となり、柔らかな肌の質感なども表現されているということです。

このような明るく柔らかい雰囲気の表現が11世紀における日本仏画全体の特徴ともいえるのです。 東京国立博物館で開催された「国宝展」で唯一絵画で全期間掲示されました。機会があればぜひお目にかかることをおすすめします。

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【名刀と呼ばれる「天下五剣」の中から国宝に指定されている3点を紹介】

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皆さんは、日本の名刀「天下五剣」についてご存じでしょうか?

天下五剣とは、数ある日本刀の中でも最高傑作と呼ぶのにふさわしい5点のことです。具体的には「童子切・鬼丸・三日月・大典太・数珠丸」のことをいいます。 この中から今回は国宝にも指定されている3つを紹介いたします。

まずは、「三日月(みかづき)」です。

三日月が作刀されたのは10〜12世紀で、長さは約80cmで幅は幅は細めです。天下五剣の中で最も美しいと評判の刀です。

三日月を作刀したのは、平安時代の刀工である「三条宗近」という方です。足利将軍家の秘蔵の名刀として継承され、その後、豊臣秀吉が所持して、徳川秀忠に送られて以来徳川将軍家の所蔵となりました。 現在は、東京国立博物館に収蔵されており、展示も時々行われているようです。

続いて「童子切(どうじぎり)」です。

童子切の由来は、鬼退治の伝説からきています。平安時代に京を暴れまわっている鬼を源頼光が見事に討ち取りました。「酒呑童子」という鬼を切ったので、童子切というネーミングになったのです。

切れ味がもの凄く良く、ファンの間でも人気の高い1点です。童子切を作刀したのは、平安時代の刀工である「大原安綱」という方です。足利将軍家から豊臣秀吉、徳川家康、徳川秀忠、松平忠直に継承されて越前松平家の高田藩から津山藩に継承されました。 現在は、東京国立博物館に収蔵されており、展示も時々行われているようです。

最後に「大典太(おおでんた)」です。

大典太は、霊力の宿る日本刀として知られています。霊力を発揮した話はいくつかあるのですが、その中の一つを紹介します。

武将「前田利家」の娘が重い病に苦しんでいた時に、前田利家は枕元に置いて治癒祈願をしたそうです。すると、前田利家の娘はみるみる病気が治ったとのことでした。これ以外にも何個も逸話があり、本当に霊力が宿っているのかもしれません。

大典太を作刀したのは、平安時代の刀工である「三池典太光世」という方です。足利将軍家の家宝でしたが、没落後、豊臣秀吉の所有となり、前田家第一家宝として代々伝えられました。 現在は、前田利家の子孫が設立した「前田育徳会」に収蔵されており、石川県立美術館で展示も時々行われているようです。

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【国宝「春日権現験記絵」とは?令和3年最新国宝に迫る】

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今回は令和3年に国宝指定された「春日権現験記絵」について紹介していきます。

春日権現験記絵とは、藤原氏一門の繁栄を祈願するために氏神である春日明神から受けたご加護と霊験を描いた鎌倉時代の絵巻物のことです。絵は鎌倉時代の宮廷絵師である「高階隆兼」が描き、詞書は鷹司基忠とその息子である冬平、良信、冬基の3兄弟で執筆しました。

目録巻を除く全20巻に93節の詞書と挿絵が収録されていて、朝廷の貴族を中心とした説話集と興福寺の僧を中心とした説話集の2部構成となっています。美術的価値だけでなく、中世の日本信仰を知れる貴重な宗教文学作品となっているのも特徴的です。

春日神社の造営様子から土蔵、天井など記録として残っている日本美術の中では始めて描かれたものと言われています。「春日権現験記絵」はやまと絵の集大成として名高いのです。春日社の神々にまつわる物語を20巻にわたって細かく描写し、絹に描かれた巻物として現存するものでは最大規模と言われています。当時は、宮中の絵師「高階隆兼」が筆をとって歴史的な大事業として作られ、天皇を始め限られた人しか見ることができなかったようです。そんな国宝「春日権現験記絵」は宮内庁に収蔵されています。

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【国宝「山水屏風(せんずいびょうぶ)」とは?】

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日本の国宝の一つである「山水屏風(せんずいびょうぶ)」をご存じでしょうか?

中国的風俗を描いた唐絵の山水屏風で、かつて東寺に伝来したものです。真言宗の密教で儀式を行う時にその道場で用いられるものですが、元々は平安貴族の邸宅で用いられたらしいです。平安時代の屏風絵としては唯一の遺品です。

絵が分かれているように見えますが、6面の扇から構成されていて、全体としては横長の図になっています。近景には、人物とそれを取り巻く景観や木々をやや大きめに描かれていて、遠景には山や水景が描かれています。

山の頭に青緑色をかける手法は、唐絵の青緑山水に属するものですが、平坦な山並みや明るい色などは日本風に改変された様式のようです。彩色は薄く、下書きの線がそのまま見えるような工夫がされていて、近景から遠景までの景観をつなぐために霞があり、その輪郭はあいまいで柔らかくいきいきとした表現を見せているのも特徴です。 京都国立博物館で保管されていますが、公開されることはあまり多くないようです。大きい展覧会などあればそちらに出展されることもあるそうです。京都国立博物館では、年に1回(数週間)程度公開されています。興味のある方はぜひチェックしてみてください!

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【国宝「曜変天目」とは?歴史や魅力について解説】

こんにちは!《美術品・骨董品専門のオークションサイト》サムライオークションスタッフの利休です。

皆さんは世界に3碗しか存在しない「曜変天目」茶碗をご存じでしょうか?3つとも日本にあって国宝にも指定されています。

今回は「曜変天目」の歴史や特徴などについて解説していきます。

中国の南宋時代(12〜13世紀)に福健省の健窯で焼かれた黒釉の碗のことを建盞(けんさん)と呼びます。たくさん焼かれた建盞(けんさん)の中でも偶然に斑紋とその周囲に美しい光彩が生じたものを「曜変天目」と呼びました。室町時代には茶碗で最高峰のものとして位置づけられていました。現在では世界で3碗だけしか残っておらず、奇跡的な工芸品として取り扱われています。

曜変天目の魅力として、

・茶碗の内側に浮かび上がっている瑠璃色の斑紋

・ランダムに広がる星紋

・星紋の周囲を取り巻く光彩

が挙げられます。

茶碗の内側に浮かび上がっている瑠璃色の斑紋は、薄い水色から紫がかった濃い青色までのグラデーションを形成していて、まるで天の川を連想させるかのような美しい色合いになっています。また、ランダムに広がる星紋は大小の斑点が散りばめられていて、瑠璃色と相まって宇宙のようにも見えてくると評価されています。

曜変天目の星紋の周囲を取り巻く光彩も特徴的です。光を当てる角度によって無限に変化する光彩は、七色の虹となって反射するようで見る人を虜にするとされています。 そんな国宝「曜変天目」を所有するのは、大徳寺龍光院(だいとくじりょうこういん)、静嘉堂文庫美術館藤田美術館の3箇所です。定期的に展覧会などでお目にかかれるようなので、興味のある方はぜひ足を運んでみてください。

国宝は無くとも、サムライオークションであなたのお宝を見つけてみてください。サムライオークションはこちら

【日本の芸術家「岡本太郎」の生い立ちについて】

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岡本太郎の名言「芸術は爆発だ!」というフレーズは誰もが一度は聞いたことがあると思います。岡本太郎の作品といえば、少し奇妙だったり、奇抜な配色であったりして、変な人というイメージがあるかもしれません。

岡本太郎は芸術の域を超えて私たちに何かを訴えかけている画家です。どのような人生を送り、作品にどのような影響を与えているのかを見ていきましょう。

1911年に生まれた岡本太郎は幼少期から「自我の強さ・妥協できない性格」で小学校を1年で退学した経験があります。(その後再入学)岡本太郎は「文学は知識が必要、音楽は歌唱力が必要、芸術は何をしても良い」といった趣旨の発言をしており、芸術の道へ自然と足を踏み入れたようです。

18歳になると、1人でパリに渡りました。理由としては、日本人画家だけで固まって、同じような風景画を描いている姿に失望したためです。フランス社会で自立したいと考え、11年ほどパリにいました。もっとも彼の心を揺さぶったのはピカソだったようです。自分の描きたいものを自由に表現するピカソに感銘を受けたようです。

その後は30代で戦争の徴兵に呼ばれるなどした後、自分の作品で数々の賞を受賞してきました。また、岡本敏子と出会い生涯の良きパートナーとなりますが、結婚はせず、養女として受け入れたそうです。その理由としては、幼少期の家庭環境が悪く独身を貫きたかったからだとされています。

代表作「太陽の塔」に関してのエピソードとしては、大阪万博博覧会の「人類の進歩と調和」というテーマに納得ができず、屋根を突き破る設計にあえてしたそうです。岡本太郎は「調和なんて卑しい、本当にぶつかり合わなければ調和などは生まれない」と言っています。「太陽の塔」は大阪万博終了後も永久保存されることとなりました。

そして、84歳で急性呼吸不全により生涯に幕を閉じました。

「死は祭りだ」と言って葬式を嫌っていた岡本太郎に配慮して葬式は行いませんでした。 最後まで自分を貫き通した岡本太郎ですが、「人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発し続けるべき」でありそれが人間本来の生き方だと伝えています。

岡本太郎の名言の数々、改めて見てみると深いです。刺さります。

現在、東京都美術館にて「展覧会 岡本太郎」が開催中です。会期中に是非足を運んでみてください。

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【フェルメールとは?生い立ちや作品の魅力や代表作について】

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フェルメールとは、17世紀を代表するオランダの画家です。1632年にオランダのデルフトという場所で生まれ、15歳で画家に弟子入りしました。

20代で父の家業を継ぎ、結婚もしました。画家と父の継いだ家業の二足のわらじを履く生活をはじめたのですが、フェルメールは存命中よりも死後に評価が高くなった画家で、借金の記録が残っているなどフェルメール一家は決して裕福な生活を送っていませんでした。1672年にフランスがオランダに侵攻したことでオランダの経済状況が悪化し、フェルメール一家の生活は破綻。家と店を失ったフェルメールはその3年後の1675年にデルフトにて亡くなりました。

フェルメールの生きていた17世紀のオランダは、貿易、科学、軍事、芸術などの様々な面で世界中から評価を受けた「オランダ黄金時代」と呼ばれる時代でした。市民はほとんど中流以上の生活ができていたようです。

フェルメールは光の表現に長けていた画家で、当時「光の魔術師」という異名がつけられたほどです。フェルメールは17世紀にはとても人気で高い地位を得ていましたが、18世紀には存在感を薄めました。

フェルメールの魅力が再発見されて、人気に火が付いたのはフェルメールが亡くなって200年後の1880年代後半のことです。

理由としては、フェルメールの作品数自体が生涯で30〜40点しかなかったことや18世紀はロココ美術と呼ばれる華やかなアートが盛んだったことが挙げられます。 フェルメールの代表作である「真珠の耳飾りの少女」は一度見たら忘れることができない絵画でレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」に対抗して「北方のモナリザ」と呼ばれています。

日本でもとても人気のあるフェルメールですが、残された資料が少なくまだまだ謎の多い画家です。その謎が、作品の神秘性を高めてより魅力的にしてくれているのかもしれません。

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