【国宝の絵画「十六羅漢像」とは】

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国宝「十六羅漢像(じゅうろくらかんぞう)」をご存じでしょうか?

羅漢とは、仏教において修行を完成させた聖者のことを指します。羅漢の中でも、十六羅漢と呼ばれる16人は釈迦が亡くなった後もこの世に長くとどまるとされて、仏教を守り人々に広めることを託された特別な存在の人たちのことを指します。

十六羅漢像は、この羅漢を描いた作品にあたります。滋賀県大津市の聖衆来迎寺旧蔵のもので、現存する中では最古の十六羅漢像となります。

羅漢をはじめとした人物の表情は他の作品よりも穏やかに捉えられていて、たくさんの色を使用して明るめにまとめられているのが特徴的です。実は、この作品は絹に描かれているのですが、絹の裏から色を塗る技法が取られていて、裏からの絹目を通して見えることによって穏やかな色調となり、柔らかな肌の質感なども表現されているということです。

このような明るく柔らかい雰囲気の表現が11世紀における日本仏画全体の特徴ともいえるのです。 東京国立博物館で開催された「国宝展」で唯一絵画で全期間掲示されました。機会があればぜひお目にかかることをおすすめします。

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【名刀と呼ばれる「天下五剣」の中から国宝に指定されている3点を紹介】

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皆さんは、日本の名刀「天下五剣」についてご存じでしょうか?

天下五剣とは、数ある日本刀の中でも最高傑作と呼ぶのにふさわしい5点のことです。具体的には「童子切・鬼丸・三日月・大典太・数珠丸」のことをいいます。 この中から今回は国宝にも指定されている3つを紹介いたします。

まずは、「三日月(みかづき)」です。

三日月が作刀されたのは10〜12世紀で、長さは約80cmで幅は幅は細めです。天下五剣の中で最も美しいと評判の刀です。

三日月を作刀したのは、平安時代の刀工である「三条宗近」という方です。足利将軍家の秘蔵の名刀として継承され、その後、豊臣秀吉が所持して、徳川秀忠に送られて以来徳川将軍家の所蔵となりました。 現在は、東京国立博物館に収蔵されており、展示も時々行われているようです。

続いて「童子切(どうじぎり)」です。

童子切の由来は、鬼退治の伝説からきています。平安時代に京を暴れまわっている鬼を源頼光が見事に討ち取りました。「酒呑童子」という鬼を切ったので、童子切というネーミングになったのです。

切れ味がもの凄く良く、ファンの間でも人気の高い1点です。童子切を作刀したのは、平安時代の刀工である「大原安綱」という方です。足利将軍家から豊臣秀吉、徳川家康、徳川秀忠、松平忠直に継承されて越前松平家の高田藩から津山藩に継承されました。 現在は、東京国立博物館に収蔵されており、展示も時々行われているようです。

最後に「大典太(おおでんた)」です。

大典太は、霊力の宿る日本刀として知られています。霊力を発揮した話はいくつかあるのですが、その中の一つを紹介します。

武将「前田利家」の娘が重い病に苦しんでいた時に、前田利家は枕元に置いて治癒祈願をしたそうです。すると、前田利家の娘はみるみる病気が治ったとのことでした。これ以外にも何個も逸話があり、本当に霊力が宿っているのかもしれません。

大典太を作刀したのは、平安時代の刀工である「三池典太光世」という方です。足利将軍家の家宝でしたが、没落後、豊臣秀吉の所有となり、前田家第一家宝として代々伝えられました。 現在は、前田利家の子孫が設立した「前田育徳会」に収蔵されており、石川県立美術館で展示も時々行われているようです。

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【国宝「春日権現験記絵」とは?令和3年最新国宝に迫る】

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今回は令和3年に国宝指定された「春日権現験記絵」について紹介していきます。

春日権現験記絵とは、藤原氏一門の繁栄を祈願するために氏神である春日明神から受けたご加護と霊験を描いた鎌倉時代の絵巻物のことです。絵は鎌倉時代の宮廷絵師である「高階隆兼」が描き、詞書は鷹司基忠とその息子である冬平、良信、冬基の3兄弟で執筆しました。

目録巻を除く全20巻に93節の詞書と挿絵が収録されていて、朝廷の貴族を中心とした説話集と興福寺の僧を中心とした説話集の2部構成となっています。美術的価値だけでなく、中世の日本信仰を知れる貴重な宗教文学作品となっているのも特徴的です。

春日神社の造営様子から土蔵、天井など記録として残っている日本美術の中では始めて描かれたものと言われています。「春日権現験記絵」はやまと絵の集大成として名高いのです。春日社の神々にまつわる物語を20巻にわたって細かく描写し、絹に描かれた巻物として現存するものでは最大規模と言われています。当時は、宮中の絵師「高階隆兼」が筆をとって歴史的な大事業として作られ、天皇を始め限られた人しか見ることができなかったようです。そんな国宝「春日権現験記絵」は宮内庁に収蔵されています。

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【国宝「山水屏風(せんずいびょうぶ)」とは?】

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日本の国宝の一つである「山水屏風(せんずいびょうぶ)」をご存じでしょうか?

中国的風俗を描いた唐絵の山水屏風で、かつて東寺に伝来したものです。真言宗の密教で儀式を行う時にその道場で用いられるものですが、元々は平安貴族の邸宅で用いられたらしいです。平安時代の屏風絵としては唯一の遺品です。

絵が分かれているように見えますが、6面の扇から構成されていて、全体としては横長の図になっています。近景には、人物とそれを取り巻く景観や木々をやや大きめに描かれていて、遠景には山や水景が描かれています。

山の頭に青緑色をかける手法は、唐絵の青緑山水に属するものですが、平坦な山並みや明るい色などは日本風に改変された様式のようです。彩色は薄く、下書きの線がそのまま見えるような工夫がされていて、近景から遠景までの景観をつなぐために霞があり、その輪郭はあいまいで柔らかくいきいきとした表現を見せているのも特徴です。 京都国立博物館で保管されていますが、公開されることはあまり多くないようです。大きい展覧会などあればそちらに出展されることもあるそうです。京都国立博物館では、年に1回(数週間)程度公開されています。興味のある方はぜひチェックしてみてください!

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【国宝「曜変天目」とは?歴史や魅力について解説】

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皆さんは世界に3碗しか存在しない「曜変天目」茶碗をご存じでしょうか?3つとも日本にあって国宝にも指定されています。

今回は「曜変天目」の歴史や特徴などについて解説していきます。

中国の南宋時代(12〜13世紀)に福健省の健窯で焼かれた黒釉の碗のことを建盞(けんさん)と呼びます。たくさん焼かれた建盞(けんさん)の中でも偶然に斑紋とその周囲に美しい光彩が生じたものを「曜変天目」と呼びました。室町時代には茶碗で最高峰のものとして位置づけられていました。現在では世界で3碗だけしか残っておらず、奇跡的な工芸品として取り扱われています。

曜変天目の魅力として、

・茶碗の内側に浮かび上がっている瑠璃色の斑紋

・ランダムに広がる星紋

・星紋の周囲を取り巻く光彩

が挙げられます。

茶碗の内側に浮かび上がっている瑠璃色の斑紋は、薄い水色から紫がかった濃い青色までのグラデーションを形成していて、まるで天の川を連想させるかのような美しい色合いになっています。また、ランダムに広がる星紋は大小の斑点が散りばめられていて、瑠璃色と相まって宇宙のようにも見えてくると評価されています。

曜変天目の星紋の周囲を取り巻く光彩も特徴的です。光を当てる角度によって無限に変化する光彩は、七色の虹となって反射するようで見る人を虜にするとされています。 そんな国宝「曜変天目」を所有するのは、大徳寺龍光院(だいとくじりょうこういん)、静嘉堂文庫美術館藤田美術館の3箇所です。定期的に展覧会などでお目にかかれるようなので、興味のある方はぜひ足を運んでみてください。

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【日本の芸術家「岡本太郎」の生い立ちについて】

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岡本太郎の名言「芸術は爆発だ!」というフレーズは誰もが一度は聞いたことがあると思います。岡本太郎の作品といえば、少し奇妙だったり、奇抜な配色であったりして、変な人というイメージがあるかもしれません。

岡本太郎は芸術の域を超えて私たちに何かを訴えかけている画家です。どのような人生を送り、作品にどのような影響を与えているのかを見ていきましょう。

1911年に生まれた岡本太郎は幼少期から「自我の強さ・妥協できない性格」で小学校を1年で退学した経験があります。(その後再入学)岡本太郎は「文学は知識が必要、音楽は歌唱力が必要、芸術は何をしても良い」といった趣旨の発言をしており、芸術の道へ自然と足を踏み入れたようです。

18歳になると、1人でパリに渡りました。理由としては、日本人画家だけで固まって、同じような風景画を描いている姿に失望したためです。フランス社会で自立したいと考え、11年ほどパリにいました。もっとも彼の心を揺さぶったのはピカソだったようです。自分の描きたいものを自由に表現するピカソに感銘を受けたようです。

その後は30代で戦争の徴兵に呼ばれるなどした後、自分の作品で数々の賞を受賞してきました。また、岡本敏子と出会い生涯の良きパートナーとなりますが、結婚はせず、養女として受け入れたそうです。その理由としては、幼少期の家庭環境が悪く独身を貫きたかったからだとされています。

代表作「太陽の塔」に関してのエピソードとしては、大阪万博博覧会の「人類の進歩と調和」というテーマに納得ができず、屋根を突き破る設計にあえてしたそうです。岡本太郎は「調和なんて卑しい、本当にぶつかり合わなければ調和などは生まれない」と言っています。「太陽の塔」は大阪万博終了後も永久保存されることとなりました。

そして、84歳で急性呼吸不全により生涯に幕を閉じました。

「死は祭りだ」と言って葬式を嫌っていた岡本太郎に配慮して葬式は行いませんでした。 最後まで自分を貫き通した岡本太郎ですが、「人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発し続けるべき」でありそれが人間本来の生き方だと伝えています。

岡本太郎の名言の数々、改めて見てみると深いです。刺さります。

現在、東京都美術館にて「展覧会 岡本太郎」が開催中です。会期中に是非足を運んでみてください。

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【フェルメールとは?生い立ちや作品の魅力や代表作について】

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フェルメールとは、17世紀を代表するオランダの画家です。1632年にオランダのデルフトという場所で生まれ、15歳で画家に弟子入りしました。

20代で父の家業を継ぎ、結婚もしました。画家と父の継いだ家業の二足のわらじを履く生活をはじめたのですが、フェルメールは存命中よりも死後に評価が高くなった画家で、借金の記録が残っているなどフェルメール一家は決して裕福な生活を送っていませんでした。1672年にフランスがオランダに侵攻したことでオランダの経済状況が悪化し、フェルメール一家の生活は破綻。家と店を失ったフェルメールはその3年後の1675年にデルフトにて亡くなりました。

フェルメールの生きていた17世紀のオランダは、貿易、科学、軍事、芸術などの様々な面で世界中から評価を受けた「オランダ黄金時代」と呼ばれる時代でした。市民はほとんど中流以上の生活ができていたようです。

フェルメールは光の表現に長けていた画家で、当時「光の魔術師」という異名がつけられたほどです。フェルメールは17世紀にはとても人気で高い地位を得ていましたが、18世紀には存在感を薄めました。

フェルメールの魅力が再発見されて、人気に火が付いたのはフェルメールが亡くなって200年後の1880年代後半のことです。

理由としては、フェルメールの作品数自体が生涯で30〜40点しかなかったことや18世紀はロココ美術と呼ばれる華やかなアートが盛んだったことが挙げられます。 フェルメールの代表作である「真珠の耳飾りの少女」は一度見たら忘れることができない絵画でレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」に対抗して「北方のモナリザ」と呼ばれています。

日本でもとても人気のあるフェルメールですが、残された資料が少なくまだまだ謎の多い画家です。その謎が、作品の神秘性を高めてより魅力的にしてくれているのかもしれません。

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【横山大観とは?富士山の画といえばこの男】

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横山大観(1868〜1958)は、生涯に1500点もの富士山を描いたといわれている画家です。近代日本画の巨匠としても崇拝されていて「大観といえば富士」といわれるほど今でも人気が続いています。

絵の世界に足を踏み入れたのは20歳と、語り継がれる偉人としては決して早くないスタートでした。20歳の頃、英語学校で英語を学んでいましたが、美術学校が創設されると聞いて心が動き、画家を目指すことを決めて父の友人から3ヶ月のみ学んで受験に挑み、見事合格するのでした。そこで生涯の師となる岡倉天心と出会いました。

その後、岡倉天心を中心に日本美術院を設立します。しかし、そこで描いた作品は世間から非難を浴びてしまいます。新しいタイプの日本画は世間の理解が得られなかったのです。

その後も作品はほとんど売れず、妻、弟、娘を失い、美術院は経営難となってしまいます。新築の家は全焼し、生活は貧しく不幸続きでした。

横山大観は当時のことを「私と菱田君は餓死寸前まできていた。しかし、私たちはそれに屈しないで自己の信ずるところに進んだ」と語っています。

明治から大正に元号が変わるころには横山大観の芸術作品も世間に広く認められるようになってきます。以前は新しいタイプの日本画として非難されていたものが、時代が追いつき世間の関心を集めだしました。

また、横山大観は「春・夏・秋・冬だけでなく朝・昼・夜とまた異なっている」と富士山の絵をたくさん描きます。生涯描いた富士山の画の数は1500点にも及びました。亡くなる直前に仕上げた作品も富士山だったようです。 最後まで自己の信ずるところに進んだ結果だったのでしょう。

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【エドヴァルド・ムンクとは。代表作「叫び」の裏に隠された真実】

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1863年生まれのエドヴァルド・ムンクはノルウェーの画家・版画家です。1893年に作成されたムンクの「叫び」は、日本人でも誰もが知っているような名作となっています。

亡くなる1944年までムンクはノルウェー国内だけでなく、フランスやドイツなど国際的に活動していました。ムンクは虚弱体質な家系で5歳の時に母を、14歳の時に姉を亡くし、幼い頃から死が身近にありました。特に、姉の死は幼少期のムンクにはトラウマとなり、病床の光景が繰り返し作品にも現れるようになります。また、ムンク自体も病弱で冬の時期の大半は慢性気管支炎を患うなど学校を休みがちでした。

ムンクの父は信心深い性格で、ムンクや子供たちに悲観主義を投げかける要因になったとされています。ムンクは父について「神経質で異常なほど宗教的だった。自分は父から狂気の遺伝子を受け継いだのだろう。恐怖、悲しみ、死は私が生まれた時から身近だった。」と話しています。ムンクは自分自身の慢性的な精神疾患、遺伝的欠陥などの人間性や死について関心を持っていた芸術家で、こうした主題を強烈な色彩や半抽象的なフォルムで描く傾向がありました。

内面を表現するのに説得力のあるポーズを研究した結果、両手で頭を抱えたりなどのオーバーアクションで描かれている点が他の画家と大きく違う点です。 ムンクの内面不安の表現方法は、その後の新しい世代の表現主義作家に大きな影響を与えたとされています。

現代では当たり前となっているこのポーズ、ムンクが存在していなかったらどんなポーズになっていたのでしょうか。

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【ミケランジェロとは?生い立ちや万能人と呼ばれた理由を解説!】

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世界的に有名な芸術家の一人にミケランジェロがいます。芸術に興味がある人もない人も一度は聞いたことがある名前なのではないでしょうか?今回はミケランジェロについて掘り下げてみたいと思います。

ミケランジェロは、1475年〜1564年に活躍したイタリアのルネサンス芸術全盛期の彫刻家であり画家であり建築家であり詩人でもある社会活動家です。西洋美術史に大きな影響を与えた芸術家として評価されています。

ミケランジェロ自身が本業と考えていたのは彫刻分野のため、他の分野の作品は多くはないですが、色々な分野で優れた作品を残した多才さからレオナルド・ダ・ヴィンチと同様にルネサンス期の典型的な「万能人」と呼ばれています。

ミケランジェロの代表作に「ダヴィデ像」があります。この作品はなんと彼が20代の時の作品です。このダヴィデ像がミケランジェロが持つ才能、技量、想像力の評価を決定的なものにしたそうです。

絵画作品を軽視していたミケランジェロですが、西洋美術界に大きな影響を与えた「システィーナ礼拝堂」「最後の審判」の2点を描いています。また、建築家としてもフィレンツェの図書館でマニエリスム建築の先駆けといえる様式で設計をしており、多才さを存分に発揮していたようです。

このようにミケランジェロは万能人すなわち天才であると言わざるを得ません。 レオナルド・ダ・ヴィンチがライバルと呼ばれるのも納得ですね。

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