【価値感の転換が新しいアートを生み出す】

こんにちは! 初心者大歓迎の《骨董・美術品専門のオークションサイト》サムライオークション、スタッフの利休です。

ポストコロナの世界が話題になることが多くなってきました。予想もしなかったパンデミックは、私たちの社会や意識に大きく影響を与えたのは間違いありません。そんな中、骨董から現代美術まで美術市場は拡大しているようです。若者が多く参加しているアートオークションの様子や、アート作品を共同購入する新しい投資サービスの紹介などが、毎日のように報道されています。

多くの展覧会が中止になり、美術館も休館となる中、なぜ美術市場が拡大しているのでしょうか? さまざまな分析がされていますが、やはりこれまであたりまえだった日常が崩壊し、ある種の価値観に疑いの目が向けられたことが影響しているのでしょう。常識を疑い、疑問符を投げかけ、そしてそれがある種の救いやエネルギーにつながっていく効用がアートにはあります。

1980年代初頭、ニューヨークのゲイ・コミュニティでHIVウィルスによる免疫不全症候群=エイズが流行しました。感染力は強くありませんでしたが、治療薬の無い病としてエイズの恐怖は社会に蔓延していました。そのタイミングで、キース・ヘリング(1958〜1990年)やバスキア(1960〜1988年)といった前衛アーティストが登場してきたことは、ある種の社会不安と無関係ではない気がします。

そのキース・ヘリングにルーツを持ち、バスキアも描いたのがバワリー壁画。現代アートの本場、ニューヨークで認められたアーティストだけが描くことが許されるこの壁に2019年、作品を描いた日本人アーティストが松山智一(まつやま・ともかず:1976年〜)です。

ニューヨーク在住の松山ですが、ここ数年日本のメディアにも多数登場しています。早朝のロードワークから1日をスタートし、アトリエでは経営や人事マネジメントの本を読み、建築施工さながらに作品制作の工数を緻密に管理し、曰く『アーティストとして成功するために才能は全く必要ない』『届けることができなければアートはゴミ』ととても新鮮で刺激的です。 全くの独学でアート制作を学び、ニューヨークでトップアーティストとして認められるようになった彼は、リアルタイムで現代アートの文脈を更新しているのだと思います。その作品は北斎やピカソ、ポロックなど東洋と西洋、具象と抽象、古典と現代をリミックスした表現。コロナ禍でも上海で大規模な展覧会が開催されるなど、今後ますます世界の美術市場で注目される存在だと思います。

【ピカソに想う、アーティストとモチベーション】

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5月13日、パブロ・ピカソ(1881〜1973年)の『窓辺に座る女』がクリスティーズにて、1億340万ドル(約113億円)で落札されました。ピカソ作品で1億ドルを超えたのは6点目で、最高額は1億7940万ドルの『アルジェの女たち』。

以下、2位『夢』(1億5500万ドル・2013年)、3位『パイプを持つ少年』(1億3000万ドル・2004年)、4位『裸体、植物と胸像』(1億1550万ドル・2010年)、5位『ドラ・マールと猫』(1億1180万ドル・2006年)です。[2021年5月ネット調べ]

この2位と4位、そして今回落札された『窓辺に座る女』のモデルになっているのが、マリー・テレーズ・ウォルター(1909〜1977年)です。ピカソは最初の結婚の後に4人の愛人を作りましたが、彼女は最初の愛人でした。マリー・テレーズがモデルとなった作品の多くには、柔らかな印象があります。正妻オルガとの二重生活ではあるものの、ピカソの人生の中で最も安定した穏やかな時期だったのではと想像します。

その後、『ゲルニカ』制作中のピカソのアトリエで、愛人2号のドラ・マールと鉢合わせになり、その時ピカソがどちらに肩入れすることもなく『闘え』と話し、目の前で大喧嘩をする二人を見て喜んでいたという逸話は有名です。確かに、あまり友達にはなりたくない性格のようですね。

1940年にマリー・テレーズはピカソの元を離れますが、ピカソは彼女に経済的な支援を続けたとされます。その点、ピカソと関わった他の女性に比べると大切にされていたようにも感じますが、ピカソの死後に首吊り自殺をした事を思えば、幸福な人生とは言えないのかもしれません。彼女の他にもピカソの愛人や親族には、自殺者が多く出ています。

ピカソを天才と称賛するアーティストは多いですが、その人間性についての評価は親族の発言などから知る限り否定的です。確かにアーティストは、生み出す作品によって評価されるべきだと思います。ただ、作品を通して遠くの誰かに力を与えるけれども、身近な人間を自分のためのモチベーション(道具)としてだけ利用し、不幸にしてしまうアーティストという構図には疑問が残ります。 凡人に比べて何らかの巨大な過剰、あるいは欠落があって、それを満たすための表現が強く素晴らしいものになるとすれば、そんなアーティストの創作活動を自分自身を犠牲にしながら身近で支える人々は、ある種の犠牲者とか生贄とか、そんな存在として必要なのでしょうか。少なくとも現代社会では、表立ってはなかなか許容されにくくなっている気がします。

【骨董イベントで感じた豊かになるための秘訣】

こんにちは!《骨董品・美術品専門のオークションサイト》サムライオークションスタッフの利休です。

5月1日土曜日、東京プリンスホテルにて開催された『ザ・美術骨董ショー2021』に行ってきました。

《▼ザ・美術骨董ショー2021》

フジテレビ後援、サントリー・JAL協賛、国内外から約200店の美術・骨董商の方が出店されていて、コロナ禍であるにも関わらず自分が想像していた以上に盛況の印象でした。

このイベントの最大の特長は、その出店ジャンルの多様性にあると思います。西洋、東洋の骨董・古美術、書画、絵画、コインや貴金属、宝飾品から一部エリアでは現代美術作家の出品もありました。馴染みのある陶器から、仏教美術、自在置物、根付、香合、洋食器とじっくり見ようと思ったら時間がいくらあっても足りません。必然的に一番興味のあるところ、仕事に関わりある出品者を中心に回り見ることになりました。

ただ、このような大規模イベントの魅力は、見る気がなくても視界に入ってくる情報が豊富なことです。本屋さんでの立ち読みと感覚的には一緒ですね。例えば、骨董か現代かに関わらず、人形やパワーストーンと呼ばれる紫水晶など鑑賞石の類は、個人的には取り扱いの経験や知識もないので普段は目にする機会がほとんどありません。それが今回の会場では複数店舗の出店があり、中には賑わっているブースもありました。

間近に見れば興味もわきます。日常的に接点がなかっただけで、そこに何かを感じることもあり、それがセレンディピティ(偶然からの幸運)につながることも当然あるでしょう。興味がない、(美しさや良さが)わからない、これはひとえに自らの思い込みや単純に接触機会が無かった、知らなかったというだけの場合が多そうです。自分の知らないものに積極的に出会おうとする、それが大切なのだと気がつきました。

時節柄人との接触、外出を避けるのが望ましい世界になってはいますが、やはり目線は外に向けていかないと新しい情報・刺激はなかなか入って来ませんし、精神の変化も起こりません。意識を拡大させることは、心理的な豊かさにつながっていくこと。内面的な豊かさとは、多様性ということであり、最近流行りの言葉で言うところのレジリエンス(復元力・回復力・強靭性)力にもつながるのだと思います。

人間=生物の生存戦略として、ストレスや環境変化に対応して生き残っていくためにも、多様な《価値感》や《美》を積極的に自分の中に取り入れて意識を拡大していきたい、そんなことを感じた骨董イベントでした。 新しい出会いや意識の拡大は、ネット上でも可能です。サムライオークションのサイト内には、あなたの内面を豊かにしてくれる、そんな可能性のある出品もあるはずです。お時間のある時に、ぜひ遊びにきてください!