【自由で優しく美しい《良寛の書》】

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衆議院が解散し、選挙戦がスタートしました。本来、政治とは人間集団の利害を調整するもの。ですから、例えば経済を軸に考えれば、お金持ちのための代表と貧乏な人の代表が実現を目指す政権公約は、異なっていて当然です。

それなのに、どこの政党も給付金が一番大きな政策として話題になっていて、なんだかなと思います。お金を配ると訴えれば、ほいほい投票すると思っているのでしょうか? 自分が当選するためだけの人気取りをする政党や政治家の本質を見抜く目が欲しいところですが、人間の良し悪しを判断するのは、とても難しいです。

骨董や美術品の良し悪しについても、同様の印象があります。特に書の良し悪しを判断するのは難しい。例えば、今回ご紹介するこちらの書、ご存知の方も多いかもしれませんが率直に初見でどのような印象をお持ちでしょうか? まるで子どもの習字? 市場価値があるの? ヘタウマ的魅力? そんな評価も聞こえてきそうです。

こちらの書は、曹洞宗の僧侶であり歌人、書家としても有名な良寛(1758〜1831年)の書です。子どもたちにせがまれて、凧に書いたものだそうです。どの文字を画数が少なく、子どもたちにもわかりやすい言葉。ただ、文字の大きさや文字間隔がアンバランスな印象もあります。

何の知識も持たず、自分だけでこの書の価値判断をせよと言われたら、思い切り安い値段をつけてしまいそうですが、魯山人はその著作の中で良寛の書を『近世では他にその比を見られないまでのずば抜けた書』と評し、自分ごときが評価できないとまでへりくだっています。その根拠として、唐の書家との比較や書の文化・歴史的な背景、そして技術的には筆の運び方などのポイントを指摘しながら、総合的に良寛の書の卓越性を解説しています。

それを読んでから改めて見てみると、なるほどと思えるようになるのが不思議です。魯山人という権威のお墨付き、そしてその評価の裏付けを知り、ふむふむとわかったような気になってしまいます。その時点でも半信半疑な面がまだあるのも事実なのですが‥‥。

ただ、魯山人の良寛の書への評価で、最初から最後まで繰り返し述べられていることは、良寛の人間性です。良寛の書には真善美が兼ね備えられており、その書の価値とはすなわち良寛の人格の価値であると断じています。何ごとにも囚われずに自由で、誰に対しても分け隔てなく優しい。そのありようが本来の芸術表現に最も求められることであり、美しさを生み出すための秘訣のようです。

サムライオークションにも多くの《書》が出品されています。

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作者の人間性や歴史、そして物語が感じられる魅力的な作品との出会いがあるかもしれません。ぜひ、一度アクセスしてみてください。

【現代人がアートに求めるもの《11時/エドワード・ホッパー》】

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『ひとつ一人じゃ寂しすぎる、二人じゃ息さえもつまる部屋』♪ という歌い出しで始まる数え歌があります。松本隆作詞、吉田拓郎作曲の『あゝ青春』。タイトルはベタなのですが、作詞家の才能を感じる言い得て妙の表現です。

自粛生活が長引いて、人と会うことが極端に減りました。コロナ禍以前は、友達同士でも家族でも、ちょっと1人になりたいなと、そんな瞬間がそれなりにあったと思います。でも、特に一人暮らしの方、1人の時間がこれだけ続くとそれはそれで堪えます。

孤独について学んだのは、福永武彦の名著『愛の試み』でした。孤独とは人間存在のベースであり、努力なしでも孤独が満たされている状態にあるのは赤ん坊だけ。つまり、赤ちゃんは心から自由に振る舞っても許される、愛される存在であるけれども、自我が目覚めた瞬間から人は自分と向き合い、さまざまな努力をしながら孤独と付き合っていくしかないと、そのように理解しました。

人間は、成長し社会化していくとともに何らかのコミュニティーに所属し、人と出会い、コミュニケーションをとりながら孤独を埋め合わせる、あるいは孤独を豊かな存在にしていく、そんな存在です。時に対立したり、鬱陶しかったりしますが、いざ所属するコミュニティーの存在が無くなってしまえは、目の前には茫漠たる孤独が広がっていくだけです。

現代社会に生きる私たちの、等身大の孤独を描いた画家、エドワード・ホッパー(1882〜1967年)。とても人気のあるアーティストですが、ホッパーの絵の魅力は《誰もが知っている》心象風景にあると思います。友人と一緒にいてもなぜか寂しい、あるいは賑やかで楽し気な場所にいても心の中では全く別のことを考えている、でもその理由にはなかなか自覚的になれない。そんな寂寥感は現代人特有のものであり、孤独との向き合い方にその原因はあると思います。

ホッパーの絵には物語があり、そのどれもが強度をもっています。つまり、話の先が知りたくなるのです。舞台はいい感じのレストランだったり、高級ホテルだったり、大人のための場所。登場人物はミニマムに設定され、経済的に自立した人間に思えます。必要なものは手に入れたけれど、それでもなお満たされない、そこに鑑賞者はある種の共感をもち、自分のストーリーを重ね合わせます。 奥行きのある物語と共感性、現代人がアートに求める本質は、そんなところにあるのではないでしょうか。

【想像力はネガティブにも働く《わが子を喰らうサトゥルヌス》】

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日本政府の借金は、今年1200兆円を超えました。世界ダントツのNO1。日本が1年間で生み出す生産財(GDP)の2倍を超えています。単年度の予算で考えても20年以上、国が1年間に支出するお金の1/3が毎年借金で賄われている事実があります。コロナ対策で借金は爆発的に増え続けています。

(財務省HP)

MMTなどの金融理論によって、先進国はいくら債務が増えても大丈夫だという考え方は、政府要人の中にもあります。金融業界のプロ達は、それぞれの立場によって、イケイケ型から不安を煽る人までさまざま。プロでも未来は全く予測できません。

『思考は現実化する』とは、どこかの啓蒙書のセールスコピーだったでしょうか。似た言葉に『人間が想像できることは、必ず実現できる』(ジュール・ヴェルヌ)や、『一念岩をも通す』という故事もあります。いずれにしても、人間の思念のエネルギーをポジティブに表しています。

想像することは、確かに強いエネルギーを生み出します。ただ、ある種の怒りや不安、妬みなども空想や思い込みから生まれることを思えば、人間の想像力は時に強力なネガティブパワーにもなりえます。金融市場は、実態経済以上に思惑や予測という名の『想像』によって、プラスにもマイナスにも変化し、ひとたび勢いがつくとなかなか止まらない巨大船舶のようなもの。凡庸な庶民としては、金融恐慌などが起こらないように祈るばかりです。

ローマ神話に登場する農耕神サトゥルヌス(ギリシャ神話のクロノス)は、時をつかさどる神。農業の神様が時をコントロールする設定に、深い含意を感じます。自らの父親を鎌で去勢した後に殺したサトゥルヌス(ちなみに、去勢された男性器から誕生したのがヴィーナス)。死にゆく父親ウラノスから、『おまえも自分の子供に殺されるだろう』との予言を与えられ、その言葉から勝手に想像をたくましくして恐怖におののいた結果、自らの子供5人を食らうという暴挙に出ます。

《我が子を食らうサトゥルヌス》は、ゴヤ(1746〜1828年)晩年の連作「黒い絵」の中の1点。予言という不確かな未来予想から、自らの子供を殺してしまうサトゥルヌスは、真に大切なものを理解していない愚かさの象徴として、あるいは想像力の誤った使い方による悲劇として、読み解くことができます。

スペイン国王に仕える宮廷画家でありながら権力者に媚びず、風刺画を通じて一般民衆に真理や正義を問うたゴヤの作品の中で最もインパクトがあり、同時にさまざまなインスピレーションを与えてくれる絵画だと思います。

【本当の革新が世界を変える《アビニヨンの娘たち》】

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この夏、バットマンシリーズのロビンが実はバイセクシャル(両性愛者)だった、というユニークなニュースがありました。コミック『バットマン/アーバンレジェンズ』最新刊の中で、3代目ロビンのティム・ドレイクが男性からのデートのお誘いをはにかみながら受け入れるシーンが描かれています。東京オリンピック2020でもゲイのメダリストのスピーチが話題になったり、LGBTQについての認知は先進国を中心に着実に広がっているようです。

2006年のアカデミー賞3部門を受賞した『ブロークバック・マウンテン』は、普遍的なラブストーリーとして鑑賞できる優れた映画ですが、60年代アメリカのホモフォビア(同性愛嫌悪)の様子がリアルに描かれていて、そんな社会背景の中でのゲイカップルの愛憎劇という設定が物語の緊張感や魅力を高めていました。

人間は自分の理解を超えたもの、得体の知れないものについて、本能的に嫌悪する特性があるようです。それは、生物学的にも社会学的にも、進化論(受け継がれてきた遺伝的特質)として説明がつくようですが、アートの世界も同様です。

ルネサンスを経て、新古典主義、ロマン主義と、近世に完成されたと思われていた絵画芸術に、全く新しい表現技法を取り入れてバージョンアップさせた印象主義。印象派の登場によって、絵画表現はアーティストの主観を取り入れて、画家の個性をより投影するように発展してきました。

しかし、1870年頃、ポール・セザンヌ(1839〜1906年)やクロード・モネ(1840〜1926年)、ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841〜1919年)などが自然の光を主観に忠実に写し取ろうと試行錯誤していた当初、画壇の主流派は彼らを酷評し笑い者にしました。まだ評価の定まっていない画家にとって、力のある評論家から『作りかけの壁紙の方がまし』と書かれることは、どれだけ大きな言葉の暴力となったでしょうか。

そして、印象主義以上の革新がキュビスムです。パブロ・ピカソ(1881〜1973年)とジョルジュ・ブラック(1882〜1963年)によって生み出された絵画革命。それまでの具象絵画が一つの視点に基づいて描かれているのに対して、多視点から見た対象を面によって解体し、単純化して平面上に再構成する表現技法です。抽象ではなく、あくまでも具象絵画。それまでのあたりまえだった遠近法ではなく、全く新しい表現で現実の対象を捉えなおしています。

キュビスムの出発点とされる『アビニヨンの娘たち』(1907年)を描き上げた時、ピカソはすぐには絵を発表せず、一部の画家仲間にだけ見せたそうです。その時、アンリ・マティス(1869〜1954年)は腹を立て、アンドレ・ドラン(1880〜1954年)は、ピカソが首を吊るのではないかと心配したのだとか。専門家にもすぐには理解されなかったのですから、一般公開された美術展でも、観衆から『醜悪な作品』と非難され、1930年を過ぎてもまだ評価は確立されていなかったようです。

西洋美術史の文脈で考えれば、印象主義もキュビスムも絵画を超えたあらゆる芸術表現へ大きな影響を与え、現在ではその革新性ははっきりしています。そしてどちらの革新もおそらくは19世紀に写真が発明されたことに影響を受けているのだと思います。写真と絵画の違いについて、アーティストたちは考えたはずです。 500年を超える長い時間をかけて積み上げられてきた常識を壊して、新しい表現を追求し承認してもらうことの難しさといったら、恐らく凡人にはなかなか想像できないようなエネルギーが必要だったことでしょう。それでも本当の革新は、いつか世界を変えていくのだと思います。

【ジャンヌ・エビュテルヌの献身と絶望】

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相変わらず感染症の拡大はおさまらず、重症者や死者数が毎日発表されています。他の災害時も同じですが、単なる数字としか認識できない人と、たとえ知り合いがいなくても、当事者の痛みを感じて悲しい気持ちになってしまう人がいます。

この差は、どこにあるのでしょうか? 私は感受性がキーワードだと思います。言い換えれば他者への想像力や共感力。人に感染を広げないようにマスクをしよう、ワクチンを打とう、外出を控えようと言った行動も根っこは同じです。

感受性がどのように育まれるか、確かなことはわかりません。裕福な家庭で教育を受けても、他人の哀しみを理解できない人がいる一方、貧しい家庭に生まれても誰に対しても気持ちの優しい人がいます。ひと頃、感受性を豊かにすると話題の幼児教育が流行していましたが、成果のほどはどうだったんでしょうか。

ただ、生きる上で豊かな感受性が幸福につながるのかどうか、時にそれが悲劇を生むこともあります。アメディオ・モディリアーニ(1884〜1920年)とジャンヌ・エビュテルヌ(1898〜1920年)のストーリーは、そんなことを考えさせます。

彫刻家を志し、その才能にも恵まれながら、資金不足と結核によって途中で断念せざるを得なかったモディリアーニ。その後、彫刻の視点を絵画に応用し、フォルムの単純化によってその本質を浮かび上がらせる独自の表現を生み出したものの、なかなか評価が定まらず作品は売れず、そんな焦りを感じていた頃に、二人は出会いました。

二人が共に過ごした時代のパリは、画家や彫刻家をはじめ文学者や俳優なども多く暮らす芸術家の街でした。その中で手応えを感じながら、目が出ない苛立ちと悔しさにまみれていたであろうモディリアーニの姿を勝手に思い浮かべてしまいます。

ジャンヌは、そんな彼の才能を理解し、そのネガティブな感情も共有して、献身的に支えました。ただ、本来は彼女自身も豊かな才能を持つ画家であり、もう少し利己的に考えることができれば、彼女の人生もきっと大きく変わっていたはずです。

道半ばで病に倒れてしまったモディリアーニの死を受け入れることができず、彼の死の翌日に後を追ってしまったジャンヌ。他者を全人格的に自分ごととして受け入れる感受性は、喜びを倍に哀しみを半分にもしてくれますが、時に絶望に陥れることもあるようです。 彼女の墓碑銘には、《究極の自己犠牲をも辞さぬほどに、献身的な伴侶であった》と標されています。

【好きを仕事に《ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪》】

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ウィズ・コロナ時代の未来が多く論評されています。普通の風邪のようになるという専門家の意見もありますが、果たしてそうなるのでしょうか。全くわからないですね。健康なのにマスクをつけて部屋を出る時、今だに笑ってしまうことがあるんですが、誰がこんな未来を予測できたでしょうか。

人間はどんなに過酷な状況におかれたとしても、希望さえあれば耐えることができると言われます。では、希望とはどこにあるのでしょうか。私は自分が好きなもの、大切にしているものの中にあるような気がします。昔、将来やりたい仕事がわからないとそんな話題で時間を潰していた時期もありましたが、今思えば日常の中に好きなことはいくつかあって、その延長線上に今の自分の仕事や生活スタイルがあるなと感じます。若い時は、いろいろと自意識に悩まされるわりに、自分の内面にしっかりと目を向けることはできないものです。

ドキュメンタリー映画『ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪』(2018年日本公開)という作品があります。オリジナルタイトルは『Art Addict』。こちらの方がしっくりくるのですが、初公開された本人の肉声で語られる自分史を軸に、アーティストや美術関係者、評論家など、彼女を知る証言者たちがペギー・グッゲンハイムの人物像を多視点で丁寧に解説しています。

自分の最大の功績はジャクソン・ポロックの発見と語り、マルセル・デュシャンがモダンアートの先生だったこと、アルベルト・ジャコメッティやサミュエル・ベケット、サルバトール・ダリなど、幅広いジャンルのアーチストとの色恋話や買付時の逸話を紹介。そしてパブロ・ピカソやジャン・コクトーとの親交などなど…現代美術史の教材になるような貴重な映像が盛りだくさんに編集されています。

資産家の家に生まれた女性が道楽としてアートを蒐集し、権力の力で市場価格を釣り上げていったのでは? という穿った見方をしがちなのですが、そもそも彼女がモダンアートと関わり始めた1920〜30年代のヨーロッパでは、モダンアートは全く評価されていませんでした。40年に戦争の激化を恐れてパリから脱出する際にも、コレクションの一時避難先としてルーブル美術館に相談した彼女に対して、フェルナン・レジェやピカソ、ピート・モンドリアンの作品はルーブルで守る価値はないと断られたそうです。

確かに彼女が買い集めた、偉大なモダンアートコレクションの中心作品は、総額約4万ドル。今では、その中のどんな小品1点でも、4万ドルで買える作品はありません。当時、買付に臨む彼女は、アーチスト達からでさえ、裏では冷笑と軽視の対象だったようですが、それでも直感に従う勇気を持ち、それを貫き続けたことで他に類を見ない偉大なコレクターとして成功したわけです。

特にハンス・ホフマン、クリフォード・スティル、マーク・ロスコ、ロバート・マザーウェルなど、アメリカ抽象表現主義の画家が世に出たのは、彼女の功績が大きいのは間違いありません。その他にも、ヨーロッパとアメリカのモダニズムを結びつけ、シュールレアリスムと抽象表現主義が発展していく中で、彼女が果たした役割はとても大きなものだったと思います。 美術界だけではなく、一般的なビジネスの世界にも女性が活躍するフィールドがまるでなかった時代、彼女はどんな希望をもってその厳しい世界を生き抜き、成功をつかんだのか。ロールモデルにするのは難しいでしょうが、コレクターとはなんぞやを知るヒントにはなる映画だと思います。モダン・アートの分野ではありますが、骨董コレクターの方にもオススメです。

【ドラマのあるところ《舞台のバレエ・リハーサル》】

賛否の中開幕したオリンピック。それどころではないという事業者の方も多いとは思いますが、やはり始まってしまうと日本人選手の活躍に連日の報道です。

歳を重ねて涙腺が弱くなり、さっき知ったばかりの選手の金メダルにもウルウルしてしまったりします。本番の緊張感、対戦相手との相性、有力選手の棄権、気象条件などさまざまな不確定要素によってストーリーが生まれます。

大舞台で1番活躍した人が注目されるのはある意味当然なのですが、私はむしろ本番の舞台裏やこれまでの成長のプロセスに興味があります。舞台裏という意味では『江夏の21球』や、成長のストーリーと言えば『巨人の星』など名作は数多あります。

バレエの画家と評されるエドガー・ドガ(1834~1917年)。印象派に分類されますが、屋外で描かれた名作が多い印象派の巨匠たちに対して、ドガの作品はほとんどが室内。一説によれば眼の病気の影響のようですが、新しい光の表現方法に注力した巨匠に対して、ドガはその光の裏側にあるものを描きたかったのかな、という気がします。それは、どう表現するかよりも、何を描くかに自分の軸があったということです。

ドガの描いたバレエ作品には、華やかな舞台が描かれたものがほとんどありません。『エトワール』など本番の舞台を描いたと思われる作品も、ダンサーの踊りや身体性にフォーカスしたものではなく、俯瞰した視点から見える舞台袖が印象に残ります。そこにいるパトロンの影は、否が応でもダンサーとの関係性やその心理状態を連想させます。

宮廷から生まれた豪華絢爛なバレエの劇場には、本来画家が描きたくなる美しい光がたくさんあるはずです。しかし、ドガはあえて舞台裏、ダンサーの練習風景を中心に作品を制作しています。ドガが特権階級に所属し、一般の人が知り得ない、触れることのない舞台裏に自由に出入りできたということも、そのモチーフのとり方に影響があったのかもしれません。ただ、華やかな表舞台をそのまま表現しないというところに、ドガの感受性、美意識を感じます。 誰もが憧れる世界の裏側には、気の遠くなるような地道な練習があり、熾烈な競争や不本意な人付き合いもはっきりと存在していて、当時そこで生き抜く厳しさは市井の人々が感じている日常の苦労以上のものだったのかもしれません。だからこそ、一瞬の舞台の上では輝いて見えるという本質に、ドガの作品は気づかせてくれます。

【運の引き寄せ効果は!?《仏教美術》】

エンゼルス大谷翔平選手の活躍が続いています。本当に漫画みたいですよね。

大谷選手の話題で興味深いのが、高校生の時に書いたという目標達成シート。一部ファンの間では、曼荼羅チャートという言葉が使われているようですが、密教の世界観を伝えるために描かれた曼荼羅というよりも、もっと西欧的で合理的な方法論のように感じます。PDCAとかWOOPとか、そんな類のメソッドですね。

自分の目標を中心に据えて、放射状に設定した8項目の戦略に対して、具体的なアクションプランが書かれているのですが、注目したのはその中に《運》という項目があったことです。合理的で実践的なメソッドの中に、自分ではコントロールできない《運》についての項目があり、運気を上げるためと思われる行動指針が書かれています。私はここに日本的なバックボーンを感じました。

日本社会には仏教をルーツに持った文化が多く、意識していなくてもごく自然に刷り込まれている思考のスタイルがたくさんあります。キリスト教文化圏の祈りが、神のみわざ=ミラクルを願うとすれば、日本では因果応報という考え方によって、日々の善い行いが幸福をもたらしてくれる、そんな風に考えている人が多いのではないでしょうか。

七五三やお正月は神社にお参りに行き、結婚式はキリスト教会で、お葬式は仏教と、笑い話にもなりますが、それぞれの良いとこどりをしてうまく自分のものにしていると考えることもできます。何より自分と違う考えを否定せず、とりあえず受け入れるというそんな気質があったからこそ、新しいものを取り入れて上手にアレンジする、そんな融通無碍(ゆうずうむげ)なところが、とても日本的な魅力のひとつだと思います。

仏教美術は、日本の美術の原点だと思います。飛鳥時代、百済から仏教が紹介されて飛鳥寺や四天王寺が建立され、国家仏教化が一気に推進されました。当時の大陸は時代の最先端。流行りものに飛びついたわけですね。百済の使者によって日本に初めてもたらされた仏像を見て、当時の日本人たちは、その美しさに驚いたという記録が残っています。日本の仏教彫刻の歴史は、ここからスタートしました。

骨董市にもさまざまな仏像が出品されています。仏像を見て、いつ頃の時代のものか、木彫か塑像か、どんな宗派の像かなど、そんな情報も気になると思います。でも、仏像と出会った時、細かい客観情報ではなく、いいなと感じられるかどうかという自分の直感が最も大切なのではないでしょうか。

専門家や特別なコレクターでもなければ、身近において毎日過ごしたいと思えるかどうかだけを拠り所にすれば、それで十分だと思います。本来仏像の鑑賞とは、そういうものだと思います。

サムライオークションでは現在、《仏像》で検索しますと以下の出品を確認できます。

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【推しから考える、自分が共有したい価値観《化粧》】

今年1月に発表された第164回芥川賞作品『推し、燃ゆ』。受賞時21歳、2作目の作品ですが全く異なる作風。数々のインタビュー記事から、宇佐美りんに大谷翔平並の才能を感じています。

ところで、美術ファンであればどなたにも『推し』作家がいるのではないでしょうか。では、なぜそのアーティストが、自分にとって特別な存在なのか考えたことはありますか? 『作品が好き』『生き様がかっこいい!』『新しい表現を追求しているから』などなど、十人十色の声が聞こえてきそうです。

推す理由を考えることは、自己分析につながります。そこからわかるのは、自分が大切にしている価値観。作家やあるいは作品の魅力として感じる何かは、あなたが誰かと共有したい大切なことではありませんか?

その意味で私が魅力を感じる作家にトゥールーズ・ロートレック(1864〜1901)がいます。ロートレックは、南フランスで千年以上の歴史を持つ貴族の家系に生まれました。当時の上流階級、名家ですね。ただ、二度の骨折により脚の発育が止まってしまいます。現代医学の見地からは、遺伝的特質と考えられているそうですが、その病気によってリセと呼ばれる日本の高校相当の学校から退学し、父親からも疎まれ、孤独な青春時代を過ごしています。

その後、家族の友人であった動物画家に師事したのをきっかけに絵画を学び初めた彼は、パリの中心となっていたモンマルトルへと向かいます。学び初めた当初の彼の絵は、馬や身近な人の肖像画などが中心でしたが、徐々にその作品の中心は市井の人々や大衆文化の世界へと移っていきました。

ロートレックが過ごしていた19世紀末〜20世紀初頭、モンマルトルは退廃的な歓楽街。イメージとしては新宿歌舞伎町でしょうか。19世紀フランスには公娼制度があり、そこはブルジョワ階級の男たちが集うサロンとなっていました。現代の風俗店とは、全く異なります。そのあたりの様子は、私の推し映画監督であるパトリス・ルコントの『歓楽通り』に詳しいので興味のある方はぜひご覧になってください。

特別な権力を持つ金持ちの男と娼婦たち。きっと毎夜のように、様々なドラマが繰り広げられていたのでしょう。ロートレック後期の作品には、そんな世界に身を置く娼婦を描いたものが多数あります。

超がつくほど裕福な家庭に生まれ、しかし病気で大きな挫折を経験。家を出て都市に暮らしながら自己表現を生きる道標とする暮らしの中で、作品のモチーフに選んだのが市井の人々であり、娼婦たちでした。

今も昔も、大都市は社会的弱者に居場所を与えてくれます。特権階級に生まれながら、都市の底辺に暮らす人々にその眼差しを向けた理由には、彼の成長の軌跡が大きく影響している事は間違いないでしょう。 娼婦の支度風景を描いている《化粧》には、日々を懸命に生きる人間の一瞬が美しく、そして儚く切り取られている、そんな気がします。

【時間を使って丁寧に楽しむ茶陶《萩焼》】

こんにちは! 初心者大歓迎の《骨董・美術品専門のオークションサイト》サムライオークション、スタッフの利休です。

コロナ禍でもやはりオリンピックは開催されるようです。感染拡大が心配ですが、でも始まれば盛り上がってしまう、そんな予感がします。そう言えば、今回のオリンピックからサーフィンが正式種目として採用されています。実は昔、波乗りが大好きでした。

最初は全くボードに立てず、コンディションも日によって違うのでなかなか上達しません。でもだからこそ、少しずつ上達していく時の喜びや達成感が大きくて、どんどん深みにハマっていきました。

話は変わって、怖いお父さんの娘さんに、いわゆる『良い女』が多いというトリビアを聞いたことがあります。手に入れるためのハードルが高いほど、戦利品の価値が高く見えるというような落ちだったと思いますが、確かに一理あります。

簡単に手に入るものはスグに飽きてしまったり、大切に扱わなくなったりといった側面があるのかもしれません。ポイントは、それを手に入れるために自分がどれだけ多くの身銭を切ったのか。身銭はお金だけではなく、時間とかエネルギーと置き換えることもできます。

手に入れる時の身銭の大きさはさておき、時間をかけてその表情の変化を愛でながら育てるのが茶陶の楽しみ。中でも萩焼は七化けというように、使いこむうちに貫入やピンホールを通してお茶が染み込んで色合いが変わり、味わいを増してくることが際立っています。

萩焼は、土の風合いを生かした素朴な造形が特長です。絵付けなどの作為的な装飾は、ほとんど行われません。釉薬は、なめらかに透けて素地の土色を魅力的に見せる枇杷釉と、立体的でぼってりと温かみのある白萩釉(藁灰釉)の2種類が主流。どちらも土の個性を生かして、魅力的な景色を引き出してくれる釉です。

シンプルな茶碗だからこそ奥が深く、偶然に支配されたその景色は簡単にコントロールできないこと。使い手としては、時間をかけて丁寧に大切に使えばじわじわと味わい深く育ち、愛着がわいてくること。だから長く付き合って飽きがこない。このあたりに、これからの時代を楽しく生きていくための大切なヒントも隠れているように思います。

何でも効率優先の現代だからこそ、時間を使って丁寧に楽しむ生活骨董、茶陶、そして萩焼の魅力を再発見していただきたいですね。

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