こんにちは! 初心者大歓迎の《骨董・美術品専門のオークションサイト》サムライオークション、スタッフの利休です。
7月16日、《ろくでなし子》さんが《プロジェクトアート》だと主張する一連の作品・制作工程に対して、最高裁判所でわいせつ性が認定され、罰金刑が確定しました。罪状は『わいせつ電磁的記録等送信領布罪』です。
利休は、ろくでなし子さんやその作品について、特に思い入れはありません(笑)。ただ、このニュースに接した時、日本の司法は進化していないんだなと感じました。だって、ネットには無修正の動画がいくらでも流れているし、この作品が社会に害悪をまきちらしているようにはとても思えないからです。日本のベスト&ブライテストのハズなんですが、何かズレているなと。
日本ではこれまでにも、芸術性とわいせつ性が争点になった裁判はいくつかあります。大島渚監督の映画『愛のコリーダ』などが有名ですが、それらの法律的な解釈ではなく、ここではそもそもアートとは何か、その本質について少し考えてみたいと思います。
まず、アートには多様性、多面性があります。表現方法も多種多様であり、時代とともにその概念も変化してきました。だから全ての人間にとっての《正解》のようなものは、なかなか難しい。ただ、今回の判決に寄せて考えた時、現代アートの持つ重要な役割の一つは、同時代人が持っている《既成概念を壊す》ということがあると思います。
それは、アーティスト自身が自らの欠落感を埋めて、生き残るためだったのかもしれません。または、遠く離れた誰かを応援するために、何かを破壊する創作のこともあったでしょう。それらは、その時代、その社会ごとの常識とされているものについて、疑問を投げかけるものだったはずです。
言葉を発するのが難しいマジョリティに対して、おかしいぞと訴えるメッセージ。大きなチカラを持ち続ける偉大な作品もありますし、身近な一人を救ったささやかな作品もさまざま存在するはずです。
かつてアートそのものに対して、疑問を投げかけたアーチストがいます。マルセル・デュシャン(1887〜1968年)です。有名な代表作《泉》は、現代美術界に大きな影響を与えた、《アートとは何か?》を考えるための、教材のような作品です。常識を疑う、壊す、そんなところに創作のモチーフは隠れているようです。
サムライオークションにも幅広い時代の、さまざまなアーティストの作品が出品されています。お時間のある時に、ぜひご覧ください!