【ジャンヌ・エビュテルヌの献身と絶望】

こんにちは! 初心者大歓迎の《骨董・美術品専門のオークションサイト》サムライオークション、スタッフの利休です。

相変わらず感染症の拡大はおさまらず、重症者や死者数が毎日発表されています。他の災害時も同じですが、単なる数字としか認識できない人と、たとえ知り合いがいなくても、当事者の痛みを感じて悲しい気持ちになってしまう人がいます。

この差は、どこにあるのでしょうか? 私は感受性がキーワードだと思います。言い換えれば他者への想像力や共感力。人に感染を広げないようにマスクをしよう、ワクチンを打とう、外出を控えようと言った行動も根っこは同じです。

感受性がどのように育まれるか、確かなことはわかりません。裕福な家庭で教育を受けても、他人の哀しみを理解できない人がいる一方、貧しい家庭に生まれても誰に対しても気持ちの優しい人がいます。ひと頃、感受性を豊かにすると話題の幼児教育が流行していましたが、成果のほどはどうだったんでしょうか。

ただ、生きる上で豊かな感受性が幸福につながるのかどうか、時にそれが悲劇を生むこともあります。アメディオ・モディリアーニ(1884〜1920年)とジャンヌ・エビュテルヌ(1898〜1920年)のストーリーは、そんなことを考えさせます。

彫刻家を志し、その才能にも恵まれながら、資金不足と結核によって途中で断念せざるを得なかったモディリアーニ。その後、彫刻の視点を絵画に応用し、フォルムの単純化によってその本質を浮かび上がらせる独自の表現を生み出したものの、なかなか評価が定まらず作品は売れず、そんな焦りを感じていた頃に、二人は出会いました。

二人が共に過ごした時代のパリは、画家や彫刻家をはじめ文学者や俳優なども多く暮らす芸術家の街でした。その中で手応えを感じながら、目が出ない苛立ちと悔しさにまみれていたであろうモディリアーニの姿を勝手に思い浮かべてしまいます。

ジャンヌは、そんな彼の才能を理解し、そのネガティブな感情も共有して、献身的に支えました。ただ、本来は彼女自身も豊かな才能を持つ画家であり、もう少し利己的に考えることができれば、彼女の人生もきっと大きく変わっていたはずです。

道半ばで病に倒れてしまったモディリアーニの死を受け入れることができず、彼の死の翌日に後を追ってしまったジャンヌ。他者を全人格的に自分ごととして受け入れる感受性は、喜びを倍に哀しみを半分にもしてくれますが、時に絶望に陥れることもあるようです。 彼女の墓碑銘には、《究極の自己犠牲をも辞さぬほどに、献身的な伴侶であった》と標されています。

【好きを仕事に《ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪》】

こんにちは! 初心者大歓迎の《骨董・美術品専門のオークションサイト》サムライオークション、スタッフの利休です。

ウィズ・コロナ時代の未来が多く論評されています。普通の風邪のようになるという専門家の意見もありますが、果たしてそうなるのでしょうか。全くわからないですね。健康なのにマスクをつけて部屋を出る時、今だに笑ってしまうことがあるんですが、誰がこんな未来を予測できたでしょうか。

人間はどんなに過酷な状況におかれたとしても、希望さえあれば耐えることができると言われます。では、希望とはどこにあるのでしょうか。私は自分が好きなもの、大切にしているものの中にあるような気がします。昔、将来やりたい仕事がわからないとそんな話題で時間を潰していた時期もありましたが、今思えば日常の中に好きなことはいくつかあって、その延長線上に今の自分の仕事や生活スタイルがあるなと感じます。若い時は、いろいろと自意識に悩まされるわりに、自分の内面にしっかりと目を向けることはできないものです。

ドキュメンタリー映画『ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪』(2018年日本公開)という作品があります。オリジナルタイトルは『Art Addict』。こちらの方がしっくりくるのですが、初公開された本人の肉声で語られる自分史を軸に、アーティストや美術関係者、評論家など、彼女を知る証言者たちがペギー・グッゲンハイムの人物像を多視点で丁寧に解説しています。

自分の最大の功績はジャクソン・ポロックの発見と語り、マルセル・デュシャンがモダンアートの先生だったこと、アルベルト・ジャコメッティやサミュエル・ベケット、サルバトール・ダリなど、幅広いジャンルのアーチストとの色恋話や買付時の逸話を紹介。そしてパブロ・ピカソやジャン・コクトーとの親交などなど…現代美術史の教材になるような貴重な映像が盛りだくさんに編集されています。

資産家の家に生まれた女性が道楽としてアートを蒐集し、権力の力で市場価格を釣り上げていったのでは? という穿った見方をしがちなのですが、そもそも彼女がモダンアートと関わり始めた1920〜30年代のヨーロッパでは、モダンアートは全く評価されていませんでした。40年に戦争の激化を恐れてパリから脱出する際にも、コレクションの一時避難先としてルーブル美術館に相談した彼女に対して、フェルナン・レジェやピカソ、ピート・モンドリアンの作品はルーブルで守る価値はないと断られたそうです。

確かに彼女が買い集めた、偉大なモダンアートコレクションの中心作品は、総額約4万ドル。今では、その中のどんな小品1点でも、4万ドルで買える作品はありません。当時、買付に臨む彼女は、アーチスト達からでさえ、裏では冷笑と軽視の対象だったようですが、それでも直感に従う勇気を持ち、それを貫き続けたことで他に類を見ない偉大なコレクターとして成功したわけです。

特にハンス・ホフマン、クリフォード・スティル、マーク・ロスコ、ロバート・マザーウェルなど、アメリカ抽象表現主義の画家が世に出たのは、彼女の功績が大きいのは間違いありません。その他にも、ヨーロッパとアメリカのモダニズムを結びつけ、シュールレアリスムと抽象表現主義が発展していく中で、彼女が果たした役割はとても大きなものだったと思います。 美術界だけではなく、一般的なビジネスの世界にも女性が活躍するフィールドがまるでなかった時代、彼女はどんな希望をもってその厳しい世界を生き抜き、成功をつかんだのか。ロールモデルにするのは難しいでしょうが、コレクターとはなんぞやを知るヒントにはなる映画だと思います。モダン・アートの分野ではありますが、骨董コレクターの方にもオススメです。

【ドラマのあるところ《舞台のバレエ・リハーサル》】

賛否の中開幕したオリンピック。それどころではないという事業者の方も多いとは思いますが、やはり始まってしまうと日本人選手の活躍に連日の報道です。

歳を重ねて涙腺が弱くなり、さっき知ったばかりの選手の金メダルにもウルウルしてしまったりします。本番の緊張感、対戦相手との相性、有力選手の棄権、気象条件などさまざまな不確定要素によってストーリーが生まれます。

大舞台で1番活躍した人が注目されるのはある意味当然なのですが、私はむしろ本番の舞台裏やこれまでの成長のプロセスに興味があります。舞台裏という意味では『江夏の21球』や、成長のストーリーと言えば『巨人の星』など名作は数多あります。

バレエの画家と評されるエドガー・ドガ(1834~1917年)。印象派に分類されますが、屋外で描かれた名作が多い印象派の巨匠たちに対して、ドガの作品はほとんどが室内。一説によれば眼の病気の影響のようですが、新しい光の表現方法に注力した巨匠に対して、ドガはその光の裏側にあるものを描きたかったのかな、という気がします。それは、どう表現するかよりも、何を描くかに自分の軸があったということです。

ドガの描いたバレエ作品には、華やかな舞台が描かれたものがほとんどありません。『エトワール』など本番の舞台を描いたと思われる作品も、ダンサーの踊りや身体性にフォーカスしたものではなく、俯瞰した視点から見える舞台袖が印象に残ります。そこにいるパトロンの影は、否が応でもダンサーとの関係性やその心理状態を連想させます。

宮廷から生まれた豪華絢爛なバレエの劇場には、本来画家が描きたくなる美しい光がたくさんあるはずです。しかし、ドガはあえて舞台裏、ダンサーの練習風景を中心に作品を制作しています。ドガが特権階級に所属し、一般の人が知り得ない、触れることのない舞台裏に自由に出入りできたということも、そのモチーフのとり方に影響があったのかもしれません。ただ、華やかな表舞台をそのまま表現しないというところに、ドガの感受性、美意識を感じます。 誰もが憧れる世界の裏側には、気の遠くなるような地道な練習があり、熾烈な競争や不本意な人付き合いもはっきりと存在していて、当時そこで生き抜く厳しさは市井の人々が感じている日常の苦労以上のものだったのかもしれません。だからこそ、一瞬の舞台の上では輝いて見えるという本質に、ドガの作品は気づかせてくれます。