【7つの魂を解き放つ、杜昆さんの個展「七魄」〈ミヅマアートギャラリー〉にて開催中】

日本及びアジア圏における独自の感性を持ったアーティストを発掘・支援・紹介する〈ミヅマアートギャラリー〉。1994年に東京・青山にギャラリーを開いて以降、2008年に北京に、2012年にはシンガポールにも開廊。近年はアートフェアにも積極的に参加し、国際的に活躍する作家を多数輩出しています。

現在、新宿区に置かれた〈ミヅマアートギャラリー〉では、2023年4月8日(土)まで、中国人アーティスト・杜昆(Dù kūn/ドゥ クン)さんの個展「七魄」が開催されています。

4歳の頃から絵を描き始め、北京の中央美術学院油絵学科を卒業。現在は北京を活動拠点とし、独創的で卓越した技法でその名を知られる、国際的なアーティストです。

同ギャラリーのサイトで知った杜昆さんの個展。そこに掲載されている作品画像は、一見すると中国の伝統的な山水画。でも、なにか底知れぬ特異さがモニター越しにも感じられ、どんな作品に出合えるのかワクワクしながら個展を訪ねました。

そして、実際にギャラリーに足を踏み入れた瞬間、なにか時間が止まったような、精神的というのか、信仰的というのか、そこに漂う空気さえも少し緊張しているような雰囲気が、会場を包んでいました。

展示されているのは、数メートルにおよぶ巻物作品や、軸の14点。そして、ギャラリー中央にはバネや金属棒などがさまざまにつけられた奇妙な木箱。

おもに正絹に墨と岩絵具によって描かれた風景画が、それぞれ美しく表具されています。モチーフは、霞む仙境や渓山、港に停泊する船、荒波を縫う帆船、静寂の霊廟や寺院、暗雲と龍など。その幽玄な世界は緻密な筆致で見事に描かれ、作品を眺めるのにも思わず息を潜めてしまうほど。

ギャラリーのスタッフの方から「こちらの映像を見ていただくと、作品の制作について理解が深まります」と案内され、映像が流れる部屋へ。

モニターには杜昆さんと思われる人が、あのギャラリー中央に置かれていた木箱を操って音を奏でています。ということは、あの箱は「楽器」!?

そして、この映像を見て気づいたのが、今回展示されている作品は、古来の山水画の技法を踏襲したものではないということ。むしろ、まったく新しいアイデアと手法で描かれています。

下の写真の「蝉噪」と書された巻物作品を見て、なにかしらの既視感を抱く人がいるでしょうか?

たとえば、心電図のパルス信号。なにかの実験で示された波形。そんなイメージを持つ人も多いはず。

じつは杜昆さんの作品は、彼自身が作曲し、奏でた音楽を“音波”として視覚化し、その音波を風景に当て込み、画を描いているのです。

美術学院在学中にロックミュージシャンとしてプロデビューした杜昆さん。アーティストとして音楽と絵画のふたつの要素をいかに結合できるかを求め続けてきたといいます。その到達点として、音楽を視覚的に作品に落とし込む風景画シリーズが誕生したのだとか。

そして、本展にむけてオリジナルの楽器「Seven Souls」を設計・製作。それがギャラリー中央に配置された木箱です。

縦バネ、伸縮自在のバネ、鋼の棒、カリンバ、小古筝、テルミン、カホンという7種の楽器がこの箱に融合されています。この「Seven Souls」を音源とし、そこから発せられる音楽的要素を音の波に変換し、巻物上に描いています。

本展タイトル「七魄」は、日本語に訳すと「7つのタマシイ」。道教の魂と精神の解釈である「魂魄(Soul/Hún pò)」をコンセプトに、陽のエネルギーに属する3つの「魂」と、陰の側に属する7つの「魄」をこの楽器に宿し、演奏することで、閉じ込められた「魂」が解き放たれる、と杜昆さんは「作家ステートメント」に記しています。

つまり、今回展示されている作品は、この「Seven Souls」という楽器で演奏された14の音楽が変換された作品であり、それぞれが魂の開放の試みであるということ。なんだか深遠な世界……。

杜昆さんは1982年生まれ。その卓越した画力、技法、独創的な視点は、今後も深く掘り下げられ、今後ますます世界的に名を轟かせる存在になるのではないでしょうか。

Information

杜昆「七魄」

場所:ミヅマアートギャラリー(東京都新宿区市谷田町3-13 神楽ビル2F)

会期:2023年3月8日(水)~4月8日(土)

休廊日:日・月曜、祝日

時間:12時~18時

観覧料:無料

TEL:03-3268-2500 リンク:ミヅマアートギャラリー

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【東京・銀座〈ポーラ ミュージアム アネックス〉にて12名の新進アーティストによる展覧会「Chroma Distance」を開催中】

化粧品ブランド〈POLA〉が、東京・銀座に〈ポーラ ミュージアム アネックス〉というギャラリーを構えているのをご存じでしょうか。

伝統・食・芸術といった文化の発信地であり、古きも新しきもが織り交ざる銀座の街において、気軽にアートを楽しみながら、感性や美意識を磨くことができるカルチャースポットとしてひらかれています。

同ギャラリーでは2023年1月20日(金)~2月5日(日)の期間、展覧会「Chroma Distance」が開催されています。12名の新進アーティストによる、さまざまな手法を用いた作品が約40点展示されるとあって、お邪魔してきました。

ポーラ銀座ビルの3階を丸ごと割いた展示スペースには、白い空間を彩るさまざまな絵画やパネル作品が。フロアの中央には、ユーモラスなポーズをとる小人のような立体作品も置かれています。

ぐるっと館内を見回すなかで、まず目が釘づけになったのは、こちらの作品。

「できるだけ考えないようにする」「かなしいことも、うれしいことも」と題された相川恵子さんのふたつの作品です。

顔の中にも顔があるように見え、その表情はさまざまな感情を訴えかけてくるよう。この人物は、日常の大きな変化のなさに安堵しつつも、なにも起こらないことへの不満も抱え、代り映えのない無表情な毎日を過ごす私自身を投影したようでもあるし、もしかしたら一見穏やかな知人の、内に込められた鼻息の荒い憤怒の表情かもしれない……。

この人物が誰なのかはわかり得ないし、その表情の意味を知る必要もないのかもしれません。「できるだけ考えないようにする」――これがベストな答えである場合も、ときにはある。そんなことに考えを巡らせた作品でした。

続いて、ぐっと興味をそそられた作品は、沼田侑香さんによるプラスチックビーズ作品。見ての通り、よく知られたお菓子のパッケージがモチーフになっています。

5ミリ程度の小さなビーズを敷き詰め、アイロンで圧着させたこの作品。ファミコン時代のピクセル画像を思わせ、なんだかビープ音さえも聴こえてきそう。

デジタルのなかで構築した「キャベツ太郎」のパッケージの歪みや、「かっぱえびせん」と融合するグラフィティ。それらをアイロンビーズというアナログな手法を用いて作品化することで、デジタルとアナログの中間――つまり、2次元でも3次元でもない、新たな次元の表現を試みているといいます。

ほかにもどんな作品を制作しているのか。ますます興味がそそられました。

続いて、夜間の首都高の煌めきを彷彿させる、大村雪乃さんの作品です。

ところで、どんな画材を用いているかわかりますか? じつは事務用品でもお馴染みの「丸型カラーシール」。大きさも色もさまざまなシールを黒ベースのパネルに貼り、リアルな風景画に仕立てています。

美術大学で絵画を専攻していた大村さんは、アートは誰もが楽しめるもののはずであるのに、専門的に学んだ人だけの技法ともいうべき油絵に疑問を抱き、アートを身近に感じられるアイデアを模索。そのなかで丸型シールを用いた作品に辿り着いたのだとか。

さまざまな作品展に精力的に出展し、これまでに多くの賞を受賞。さらには某TV番組で、丸型シールアートを査定する講師役としても出演しています。そんな大村さんの作品を間近で見るチャンスです。

ほかにも、アイデンティティの親密な描写、崩壊と再生、時代の交差などをコンセプトに、技法、規模感もさまざまな現代アート作品が展示され、若手作家のリアリティを垣間見るような時間となりました。

入場は無料。気に入った作品は購入も可能です。

会場となる〈ポーラ ミュージアム アネックス〉は、年間を通じてさまざまな無料の企画展を行っています。ポーラ・コレクションをはじめ、現代美術、伝統工芸・芸能、民族芸能、世界情勢のうねりに関連する展示など、多彩な企画展は見ごたえあり。また若手アーティストの支援となる活動も積極的に行っています。

今回の展覧会「Chroma Distance」をはじめ、今後の同ギャラリーの企画展にも、ぜひ注目してみてください。

《Information》

Chroma Distance

場所:ポーラ ミュージアム アネックス(東京都中央区銀座1-7-7 ポーラ銀座ビル 3階)

会期:2023年1月20日(金)~2月5日(日) ※会期中無休

時間:11時~19時(入場は18時30分まで)

料金:無料

TEL:050-5541-8600(ハローダイヤル) リンク:ポーラ ミュージアム アネックス 公式サイト

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【人生で一度は行ってみたいルーヴル美術館】

こんにちは!《美術品・骨董品専門のオークションサイト》サムライオークションスタッフの利休です。

美術が好きな人もそうでない人も一度は聞いたことがあるであろう「ルーヴル美術館」について今回は取り上げたいと思います。

なぜルーヴル美術館が世界的に有名なのか、代表作から入場料や鑑賞時間についてもまとめてみました。

ルーヴル美術館とは、パリにあるフランスの国立美術館のことで、正式に開館したのは1793年です。収蔵品は38万点以上で、世界で最も入場者数が多い美術館として有名で、年間800万人を超える来場者がいます。

入場料は17ユーロ(約2,400円)で、所要時間は主要作品のみを鑑賞で2〜4時間程度、有名作品をじっくり鑑賞で1日程度、全コレクションを鑑賞で1週間程度かかるそうです。

とてもじゃないですが、全て見るのは難しそうなコレクション数となっています。

ルーヴル美術館にある代表的な作品としては「モナ・リザ(レオナルド・ダ・ヴィンチ)」や「ミロのヴィーナス」などが挙げられます。

オンラインが発展した昨今、ネットでも美術作品を無料で簡単に見れることは可能となりましたが、実物を見るとまた違った感情が湧き出てきます。

これは美術作品に限らず、骨董品などにも当てはまります。

画像で見るだけでは分からない実際の色合い、質感など近くで自分の目で見て確かめられることがありますよね。

世界的美術作品の実物を見たい人は、ぜひルーヴル美術館まで足を運んでみてはいかがでしょうか? 一生のうち1回体験することで人生観が変わるくらいの感動が待っているかもしれません。

とは言いつつ簡単に行けるところではありませんので、過去記事でもご紹介したバーチャルでルーヴル美術館を疑似体験してみてください。過去の記事はこちら

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【ミケランジェロとは?生い立ちや万能人と呼ばれた理由を解説!】

こんにちは!《骨董品・美術品専門のオークションサイト》サムライオークションスタッフの利休です。

世界的に有名な芸術家の一人にミケランジェロがいます。芸術に興味がある人もない人も一度は聞いたことがある名前なのではないでしょうか?今回はミケランジェロについて掘り下げてみたいと思います。

ミケランジェロは、1475年〜1564年に活躍したイタリアのルネサンス芸術全盛期の彫刻家であり画家であり建築家であり詩人でもある社会活動家です。西洋美術史に大きな影響を与えた芸術家として評価されています。

ミケランジェロ自身が本業と考えていたのは彫刻分野のため、他の分野の作品は多くはないですが、色々な分野で優れた作品を残した多才さからレオナルド・ダ・ヴィンチと同様にルネサンス期の典型的な「万能人」と呼ばれています。

ミケランジェロの代表作に「ダヴィデ像」があります。この作品はなんと彼が20代の時の作品です。このダヴィデ像がミケランジェロが持つ才能、技量、想像力の評価を決定的なものにしたそうです。

絵画作品を軽視していたミケランジェロですが、西洋美術界に大きな影響を与えた「システィーナ礼拝堂」「最後の審判」の2点を描いています。また、建築家としてもフィレンツェの図書館でマニエリスム建築の先駆けといえる様式で設計をしており、多才さを存分に発揮していたようです。

このようにミケランジェロは万能人すなわち天才であると言わざるを得ません。 レオナルド・ダ・ヴィンチがライバルと呼ばれるのも納得ですね。

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【経営学の神様「ピーター・ドラッカー」が恋に落ちた日本古美術】

こんにちは!《骨董品・美術品専門のオークションサイト》サムライオークションスタッフの利休です。

経営学の神様と称されるアメリカの経営学者ピーター・ドラッカー(1909〜2005)は、組織の力を引き出すマネジメントの重要性や企業の社会的責任などを提唱し、高度経済成長期の日本企業にまで影響を与えた人物です。

ピーター・ドラッカーには「日本古美術の収集家」というもう一つの顔がありました。そんな彼と日本美術の出会いは1934年(25歳)の時のロンドンで開催された日本政府主催の日本美術展覧会です。日本絵画を熱心に見ていると、ある日、学芸員から「日本の絵画にのめり込んでいることに気が付きましたか?」といったニュアンスの声を掛けられ、自分の好みを初めて理解したようです。本人も20代の頃に「恋に落ちた」といっています。

この後、日本美術を勉強し、1959年に初来日して日本古美術品を購入したようです。その後も来日する度に購入し、コレクションは約200点にもなりました。色鮮やかな浮世絵などは一切なく、水墨画などの通好みの作品ばかりを収集したのも特徴的でした。

さらにコレクションのほぼ全てが掛け軸だったようです。これらは自身によって「山荘コレクション」と名付けられています。

日本で得た収入は日本で全部使ったといった話があるだけでなく、それ以上に借金してまでも日本古美術を収集していたという噂もあります。 他人から「コレクションを作るために最も大切なことは何か?」と問われると「良い先生を見つけること」だと答えました。ピーター・ドラッカーのように自分の好みを理解し、恋に落ちて、それに合った良い先生を見つけて収集に励むのはとても効率の良いことなのかもしれませんね。

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【運の引き寄せ効果は!?《仏教美術》】

エンゼルス大谷翔平選手の活躍が続いています。本当に漫画みたいですよね。

大谷選手の話題で興味深いのが、高校生の時に書いたという目標達成シート。一部ファンの間では、曼荼羅チャートという言葉が使われているようですが、密教の世界観を伝えるために描かれた曼荼羅というよりも、もっと西欧的で合理的な方法論のように感じます。PDCAとかWOOPとか、そんな類のメソッドですね。

自分の目標を中心に据えて、放射状に設定した8項目の戦略に対して、具体的なアクションプランが書かれているのですが、注目したのはその中に《運》という項目があったことです。合理的で実践的なメソッドの中に、自分ではコントロールできない《運》についての項目があり、運気を上げるためと思われる行動指針が書かれています。私はここに日本的なバックボーンを感じました。

日本社会には仏教をルーツに持った文化が多く、意識していなくてもごく自然に刷り込まれている思考のスタイルがたくさんあります。キリスト教文化圏の祈りが、神のみわざ=ミラクルを願うとすれば、日本では因果応報という考え方によって、日々の善い行いが幸福をもたらしてくれる、そんな風に考えている人が多いのではないでしょうか。

七五三やお正月は神社にお参りに行き、結婚式はキリスト教会で、お葬式は仏教と、笑い話にもなりますが、それぞれの良いとこどりをしてうまく自分のものにしていると考えることもできます。何より自分と違う考えを否定せず、とりあえず受け入れるというそんな気質があったからこそ、新しいものを取り入れて上手にアレンジする、そんな融通無碍(ゆうずうむげ)なところが、とても日本的な魅力のひとつだと思います。

仏教美術は、日本の美術の原点だと思います。飛鳥時代、百済から仏教が紹介されて飛鳥寺や四天王寺が建立され、国家仏教化が一気に推進されました。当時の大陸は時代の最先端。流行りものに飛びついたわけですね。百済の使者によって日本に初めてもたらされた仏像を見て、当時の日本人たちは、その美しさに驚いたという記録が残っています。日本の仏教彫刻の歴史は、ここからスタートしました。

骨董市にもさまざまな仏像が出品されています。仏像を見て、いつ頃の時代のものか、木彫か塑像か、どんな宗派の像かなど、そんな情報も気になると思います。でも、仏像と出会った時、細かい客観情報ではなく、いいなと感じられるかどうかという自分の直感が最も大切なのではないでしょうか。

専門家や特別なコレクターでもなければ、身近において毎日過ごしたいと思えるかどうかだけを拠り所にすれば、それで十分だと思います。本来仏像の鑑賞とは、そういうものだと思います。

サムライオークションでは現在、《仏像》で検索しますと以下の出品を確認できます。

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【作為のない純粋な想いのカタチ《縄文土器》】

こんにちは! 初心者大歓迎の《骨董・美術品専門オークションサイト》サムライオークションスタッフの利休です。

200万年前〜紀元前1万年頃までが旧石器時代と呼ばれます。その頃の日本は縄文時代(紀元前1万〜紀元前300年頃)。人々は内陸から海岸部に少しずつ移動していき、同時に食物も変化していったと考えられます。

食生活が変われば調理のための道具も進化します。煮炊きや食料保存のための土器が作られました。縄文土器です。日本の美術史では縄文時代からスタートするのがスタンダードですが、その理由はこの縄文土器に独創性があり、そこに魅力を感じる人が多いからだと思います。

骨董市でも縄文土器は出品されています。土器のカタチや文様はとても多様で、さらにそれらの文様には現代人が考える作為的なものはなく、恐らくはその作り手たちの『おもしろい』、『楽しい』と言ったような純粋な想いから発想されたものである、というところがとても面白いと感じます。新しい表現をとか、もっと売れるものをとか、考える必要がなかったわけですから、当然と言えば当然。プリミティブアートに共通する魅力です。

縄文時代は、焚き火のような野焼きによって土器を焼成していました。この場合、炎の温度はだいたい600℃。弥生時代には焚き火を土や藁で覆って焼く方法が用いられるようになり、古墳時代に窯を用いて土器を焼くようになったと考えられています。窯を使うと焼成温度は約1000℃。低い温度で土器を焼くと表面が素焼きのような茶色味を帯びるのに対して、窯を使って焼くと灰色がかってきます。

土器に意図的に作ったデザインが表現されるようになるのは弥生時代頃。その頃から色つけされたものが見られるようになります。使われている土によっても色は変化しますし、その変化に気づいた弥生人たちは少しずつ土器のカタチやデザインを愛でたり、楽しむようになっていったのだと思います。 市場原理と無関係ではいられない私たちだからこそ、作為のない純粋な想いから生まれた土器のカタチに一層魅力を感じてしまうのかもしれませんね。

【美意識の革命につながる利休の《見立て力》】

こんにちは!《骨董品・美術品専門のオークションサイト》サムライオークションスタッフの利休です。

この春先に足を運んだ骨董展でユニークな花器を見つけました。と言っても最初はそれが花器なのかどうか、はっきりはわかりませんでした。約10cm角、高さはだいたい50cmくらい。もともとは家の柱だったようですが、くり抜いて花器として使われだしてからどのくらいの時間が経っているのか、定かではありません。

ただその表情は味わい深く、和室はもちろん、モダンなリビングでも十分におしゃれなインテリアとして成立すると思います。私にとっては、住宅建材としての柱を花器に見立てるのは斬新だったのですが、考えてみれば縦長で柱状のフラワーベースはたくさんあります。言われてみれば確かにそうだけど、提示してもらってはじめてなるほどと気がつく、それが見立てる力、発想力です。

名前をお借りしているのがお恥ずかしい次第ですが、千利休(1522〜1591年)は漁師が腰につけていた魚籠(びく)や瓢箪(ひょうたん)を花入れとして、茶会に持ち込んだという逸話があります。見立てによって、日常に潜んでいる《美》を発見する、発想力が豊かな人だったんですね。その見立て力の高さにも通じますが、私にとって利休の最大の魅力は、自らの美意識を信じて価値観の転換、美意識の革命を行ったこと。つまり、それまでの常識を疑って、自分の美意識によって新しい《侘び茶》という様式を確立させたところです。

書画も茶道具も、当時の先進国である中国(明の時代・1368〜1644年)から輸入され、貴ばれていたのは珍しくて豪華な『唐物(からもの)』でした。道具は青磁や天目茶碗が最も珍重されていたようです。そんな富裕な商人たちの贅沢な遊びの中に、利休は朝鮮半島由来の日用の茶碗や、信楽や備前の陶器など素朴で新しい価値観を取り入れたり、わずか2畳の『草庵茶室』を生み出しました。

歴史上の権力者たちがその住まいとして建てた建造物というのは、その権力が強ければ強いほど、それに比例して大きくなります。絢爛豪華で大きければ大きいほど良いというのが、世界中の専制君主に共通してみられる価値観ではないでしょうか? その価値観に対して、真っ向から異を唱えているのが利休の作った《草庵茶室》です。

誰もが同じように頭を下げて小さな入口から入って、質素で狭い部屋の中でお茶を飲む文化というのは紛れもなく唯一無二。その精神は禅宗の影響を受けているようですが、確かに今・ここ・自分に集中することはできそうです(笑)。諸行無常を体得した先に誕生したスタイルなのかもしれません。 サムライオークションのサイト内には、あなたの発想力を豊かにしてくれる、そんなユニークな出品があるかもしれません。お時間のある時にぜひアクセスしてください!

【価値感の転換が新しいアートを生み出す】

こんにちは! 初心者大歓迎の《骨董・美術品専門のオークションサイト》サムライオークション、スタッフの利休です。

ポストコロナの世界が話題になることが多くなってきました。予想もしなかったパンデミックは、私たちの社会や意識に大きく影響を与えたのは間違いありません。そんな中、骨董から現代美術まで美術市場は拡大しているようです。若者が多く参加しているアートオークションの様子や、アート作品を共同購入する新しい投資サービスの紹介などが、毎日のように報道されています。

多くの展覧会が中止になり、美術館も休館となる中、なぜ美術市場が拡大しているのでしょうか? さまざまな分析がされていますが、やはりこれまであたりまえだった日常が崩壊し、ある種の価値観に疑いの目が向けられたことが影響しているのでしょう。常識を疑い、疑問符を投げかけ、そしてそれがある種の救いやエネルギーにつながっていく効用がアートにはあります。

1980年代初頭、ニューヨークのゲイ・コミュニティでHIVウィルスによる免疫不全症候群=エイズが流行しました。感染力は強くありませんでしたが、治療薬の無い病としてエイズの恐怖は社会に蔓延していました。そのタイミングで、キース・ヘリング(1958〜1990年)やバスキア(1960〜1988年)といった前衛アーティストが登場してきたことは、ある種の社会不安と無関係ではない気がします。

そのキース・ヘリングにルーツを持ち、バスキアも描いたのがバワリー壁画。現代アートの本場、ニューヨークで認められたアーティストだけが描くことが許されるこの壁に2019年、作品を描いた日本人アーティストが松山智一(まつやま・ともかず:1976年〜)です。

ニューヨーク在住の松山ですが、ここ数年日本のメディアにも多数登場しています。早朝のロードワークから1日をスタートし、アトリエでは経営や人事マネジメントの本を読み、建築施工さながらに作品制作の工数を緻密に管理し、曰く『アーティストとして成功するために才能は全く必要ない』『届けることができなければアートはゴミ』ととても新鮮で刺激的です。 全くの独学でアート制作を学び、ニューヨークでトップアーティストとして認められるようになった彼は、リアルタイムで現代アートの文脈を更新しているのだと思います。その作品は北斎やピカソ、ポロックなど東洋と西洋、具象と抽象、古典と現代をリミックスした表現。コロナ禍でも上海で大規模な展覧会が開催されるなど、今後ますます世界の美術市場で注目される存在だと思います。

【ピカソに想う、アーティストとモチベーション】

こんにちは! 初心者大歓迎の《骨董・美術品専門オークションサイト》サムライオークションスタッフの利休です。

5月13日、パブロ・ピカソ(1881〜1973年)の『窓辺に座る女』がクリスティーズにて、1億340万ドル(約113億円)で落札されました。ピカソ作品で1億ドルを超えたのは6点目で、最高額は1億7940万ドルの『アルジェの女たち』。

以下、2位『夢』(1億5500万ドル・2013年)、3位『パイプを持つ少年』(1億3000万ドル・2004年)、4位『裸体、植物と胸像』(1億1550万ドル・2010年)、5位『ドラ・マールと猫』(1億1180万ドル・2006年)です。[2021年5月ネット調べ]

この2位と4位、そして今回落札された『窓辺に座る女』のモデルになっているのが、マリー・テレーズ・ウォルター(1909〜1977年)です。ピカソは最初の結婚の後に4人の愛人を作りましたが、彼女は最初の愛人でした。マリー・テレーズがモデルとなった作品の多くには、柔らかな印象があります。正妻オルガとの二重生活ではあるものの、ピカソの人生の中で最も安定した穏やかな時期だったのではと想像します。

その後、『ゲルニカ』制作中のピカソのアトリエで、愛人2号のドラ・マールと鉢合わせになり、その時ピカソがどちらに肩入れすることもなく『闘え』と話し、目の前で大喧嘩をする二人を見て喜んでいたという逸話は有名です。確かに、あまり友達にはなりたくない性格のようですね。

1940年にマリー・テレーズはピカソの元を離れますが、ピカソは彼女に経済的な支援を続けたとされます。その点、ピカソと関わった他の女性に比べると大切にされていたようにも感じますが、ピカソの死後に首吊り自殺をした事を思えば、幸福な人生とは言えないのかもしれません。彼女の他にもピカソの愛人や親族には、自殺者が多く出ています。

ピカソを天才と称賛するアーティストは多いですが、その人間性についての評価は親族の発言などから知る限り否定的です。確かにアーティストは、生み出す作品によって評価されるべきだと思います。ただ、作品を通して遠くの誰かに力を与えるけれども、身近な人間を自分のためのモチベーション(道具)としてだけ利用し、不幸にしてしまうアーティストという構図には疑問が残ります。 凡人に比べて何らかの巨大な過剰、あるいは欠落があって、それを満たすための表現が強く素晴らしいものになるとすれば、そんなアーティストの創作活動を自分自身を犠牲にしながら身近で支える人々は、ある種の犠牲者とか生贄とか、そんな存在として必要なのでしょうか。少なくとも現代社会では、表立ってはなかなか許容されにくくなっている気がします。