心の中の庭を散歩する

こんにちは!《美術品・骨董品専門のオークションサイト》サムライオークションスタッフ井戸です。

2007年に亡くなった故・河合隼雄は、日本の臨床心理学の土台を築いた第一人者であり、元文化庁長官でもあった方です。彼がカウンセリングの現場に導入した「箱庭療法」は多くの人々を救ってきました。「箱庭」とは、浅い箱に砂や小さな人形、模型など様々なものを自由に置いて物語を表現する遊びのようなものです。箱庭を通じて行う自己表現によって治癒効果を促すという、世界でも確立されたセラピーです。

ところで、コロナウイルスの影響で不要不急の外出を控える状況が続いています。部屋にこもったままだと閉塞感を感じますよね。もやもやを吐き出したい、でも出歩くのは気が引ける。こんなとき自宅でできる遊びとして「箱庭」を試してみてはいかがでしょうか。箱の上で無心に物語を作る作業は、心が開放される効果があります。頭の中のことは紙に書き出すと良いと言われますが、気持ちを言葉にして書き出すのは意外と億劫に感じるものです。箱庭は言葉が不要なので、気軽に楽しむことができると思います。

さらにここでオススメしたいのが、アートの要素も取り入れた「枯山水」を箱庭にしてみるということです。枯山水とは、禅の教えとともに発達した日本庭園の様式で、水を使わず、石や砂で自然の情景を表現する日本独自の庭です。京都のお寺などで実際に見たことがある方も多いのではないでしょうか。庭が無くても、室内で作ることができるキットがネットショップなどで販売されており、面白い作品がネット上にもたくさんアップロードされています。お出かけは難しくても、家にある小箱の中に河原の砂や石、花びらや木の枝などを拾ってきて作ってみれば、小さなお子さまでも楽しめると思います。

穏やかな水面やうねりのある波を「砂」で、おとなしい面や荒々しく力強い面を「石」の角度で表現し、無心になって作ってはやり直すという作業を繰り返してみると、そのときの気分と作品が似通ってくることに気がつくかもしれません。自宅でも楽しめるアートとして、ゆったりと「箱庭枯山水」を散歩してみてはいかがでしょうか。

社会が不安定な時、変革者は現れる

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歴史が好きだったなどとは、口が裂けても言えない学生だったのですが、年齢を重ねると突然大河ドラマにハマる友人がいたり、なぜか歴史に興味を持つようになる人は多いものです。人生経験が深まると、歴史上の出来事や誰それと自分を比較して、しみじみ共感できることが増えてくるのでしょうか。

最近、現在とルネサンス期を比較する評論やテレビ番組に触れることが何度かありました。ルネサンスという言葉は、辞書的には〈再生〉を意味するフランス語。ただ、その概念を語る切り口は幅広く、定義もさまざまあります。

私は塩野七生さんの『見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発』(『ルネサンスとは何であったのか・塩野七生ルネサンス著作集1』〈新潮社〉)が、この精神運動の本質であるという解釈が気に入っています。

1348〜1420年頃、キリスト教会が支配してきたヨーロッパでペストが大流行し、イングランドやイタリアでは、人口の8割が死亡したそうです。その時、人々は初めて教会を疑いはじめ、宗教改革やルネサンス運動につながっていきました。

病気による極端な人口減が社会に与えた影響も大きいでしょうが、それまで圧倒的な権力や信用を誇っていた教会の権威が損なわれたことで社会は不安定になり、その後大きく変化していったのだと思います。

世の中が不安定な時に、変革者は現れます。ルネサンス期にキラ星のごとく現れた芸術家たちは、それまでの強力なルールから解き放たれて、自由な表現を生み出していった、というわけですね。

アフターコロナの世界でも、さまざまな分野でゲームチャンジャーが出てくるような予感がします。アートの分野でも、新しい表現者が現れてくるでしょう。古い思考の人間にとっては、楽しみなような、怖いような複雑な心境です。

サムライオークションにも、表現の変革者たちの作品が出品されています。お時間のある時に、ぜひじっくりと作品を探してみてください。

バーチャルツアーならルーヴル美術館へ行ける!?

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新型コロナウィルス対策で各地の美術館や博物館が臨時休館を余儀なくされていましたが、2020年5月5日の政府の発表で、東京都など13の「特定警戒都道府県」にて、密集防止策を条件に開館を容認する決定がされました。日本で美術館から感染者が出たという報道は特に出ていない状況ですが、感染リスクへの不安の声も少なくありません。入場制限やアルコール消毒、検温などの対策を徹底した中での再開になると思われますが、海外の美術館ではどのような対策を行っているのでしょうか。

2020年3月17日(火)に外出禁止令が出されたフランスでは、フランス内務省が発行する特例外出証明書を持ち歩かなければならなくなりました。その後、5月11日(月)からは100キロメートル以下の移動の外出が解禁され、100キロメートル以上、あるいは県をまたぐ場合などは外出証明書が必要となります。

世界最大級の美術館であるフランス・パリのルーヴル美術館は、この外出禁止令が出る前は入場制限を実施しながら営業を続けていました。しかし3月初め、従業員が働くことを拒否するなど感染への恐怖を訴えたこともあり二日間の営業停止がありました。その後営業を再開し、来場者へのソーシャルディスタンスやエチケットなどの呼びかけを行っていましたが、現在は閉館しています。レストランやカフェなどの飲食店なども営業停止していますが、美術館を含むこれらの商業施設以外は5月11日(月)以降に営業が一部再開されます。レストランでの飲食や美術館への入館ができるようになるのは6月2日(火)以降が検討されています。

そんな状況ではありますが、営業が再開されるまで待ちきれないという方の間で「美術館のオンラインビューイング」が注目を集めています。これを機に、館内を歩き回ることができるバーチャルツアーを体験してみてはいかがでしょうか。

▼ ルーヴル美術館

https://www.youvisit.com/tour/louvremuseum

https://www.louvre.fr/en/visites-en-ligne#tabs

【一流が憧れる天才《カラヴァッジオ》】

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熱心なファンというほどではないのですが、野外球場でビールを飲みながらプロ野球観戦するのが好きです。今年は開幕が遅れていますが、ロッテに入団した大型ルーキー佐々木朗希投手に注目しています。スポーツニュースでは、ブルペンで投げる佐々木選手の投球を見て驚く、一軍選手や解説者のコメントを紹介していますが、ダルビッシュ投手以上の逸材のようです。

〈一流は一流を知る〉とよく言われますが、一流の芸術家に目標とされた天才として思い出すのは、カラヴァッジョ(1571〜1610年)です。29歳で『聖マタイの殉教』と『聖マタイの召命』を完成させると一躍ローマ画壇の寵児となり、2週間を絵画制作に、その後の2ヶ月を遊んで暮らすというライフスタイルや素行の悪さも有名ですね。まさに古い時代の天才職人といった印象が、管理社会に生きる現代人には魅力的に映ります。

同じく天才と呼ばれるダビンチ(1452〜1519年)やピカソ(1881〜1973年)と比べて、絵画一本であったこと、そして38歳で早世したことからも、個人的にはよりヒロイックな印象です。何より、その光と闇のコントラスト、劇的照明効果による表現は、ルーベンス(1577〜1640年)、ヴェラスケス(1599〜1660年)、レンブラント(1606〜1669年)、フェルメール(1632〜1675年)などなど、超がつく一流画家たちに影響を与えました。そのスタイルに憧れた画家たちは〈カラヴァジェスキ〉と呼ばれています。

その天才カラヴァッジョの〈キリストの捕縛〉は、200年以上行方不明とされていた作品。しかも、1990年にアイルランドのダブリンで修道院に飾られていた時には、別人〈ホントホルスト(1592〜1656年)〉の、しかも複製画だと認識されていたそうです。1990年、優秀な絵画修復士との幸運な出会いによって、カラヴァッジョの作品と証明されました。

こんなお宝発掘ストーリーを知ると、ついつい骨董市に足が向いてしまいませんか? 

サムライオークションにも、そんなドラマチックな作品との出会いがあるかもしれません! お時間のある時には、ぜひサムライークションのサイトまで遊びにきてください!

【感染症と美術の効用】

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コロナ禍によって、70年以上前の小説「ペスト」がヒットしているようです。アルベール・カミュによって書かれたこの作品は、感染症である「ペスト」の蔓延によって人々の精神や生活がどのように変化していくかが描かれています。

ヨーロッパでは、14世紀〜15世紀にかけて実際にペストが流行ったそうですが、現在よりもずっと未発達な医療によって恐怖を感じたであろう人々の動揺、困惑、そして流言飛語によって繰り広げられる愚かな行為が、とてもリアルなものとして実感できます。

振り返って考えると、科学技術が相当に発達した現在においても、感染症によって人間が感じる恐怖やその行動の愚かさというのは、それほど変化していないように感じます。本当に人間て進歩しないですね。

日本でも、天然痘や麻疹、赤痢やコレラなどの感染症が何度も流行してきた歴史があります。その都度、その原因を鬼や妖怪などの超自然的なものに求めて、それらを鎮めるために、加持祈祷や祭礼が行われてきました。京都の祇園祭の起源も疫病の流行がきっかけだったと考えられています。

中でも注目したいのが《疱瘡絵》や《百鬼夜行絵巻》。《疱瘡絵》は、浮世絵の一つのジャンルとして確立されていますが、疱瘡(天然痘)にかかった病人への見舞い品として贈られたり、病人の部屋に貼られたりして使われたようです。病気の原因を鬼や妖怪として考え、それを具体化することで、精神的な落ち着きを求めたのかもしれません。

妖怪たちが行列をする絵巻物《百鬼夜行絵巻》は、室町時代から明治・大正頃にかけて多数制作されていますが、その成立は《疱瘡絵》と同様に疫病の原因を妖怪と考え、それらを目に見えるカタチにして理解し、それらと共存しようとする先人の知恵によって誕生したのではないでしょうか。

葛飾北斎(1760〜1849年)、歌川国芳(1798〜1861年)、河鍋暁斎(1831〜1889年)らも、疫病がらみの作品を描いています。これらの作品は、見て楽しむためというよりも、死を身近に感じて不安が蔓延する社会の中で、何らかはっきりとした精神的な効果がもたらされていたのだと思います。 そういえば、アマビエという妖怪の絵が流行っていますね。つくづく人間は、進歩しないものだなあと感じてしまいます。

「根付」が「小宇宙」と呼ばれる理由

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根付は江戸時代に流行ったおしゃれ小物です。「手のひらに収まる小宇宙」とも呼ばれる理由はどんなところにあるのでしょうか。

実用的かつ精巧な作り

根付は置いて鑑賞するものではなく、あくまでも実用品として使われることを前提にした作りになっています。見た目は手のひらサイズでありながら、上下左右どこから見られてもいいように隅々までしっかりと彫刻がされています。また、ぶら下げて持ち歩くものなので、危険がないように丸みを帯びたデザインが採用されます。動物でも人でも、全身を小さな丸や楕円の中に収めるようなポーズに工夫することで、愛らしさや、時には躍動感などをリアルに表現します。ひとつの小さな根付を作るのに一ヶ月かかるようなものもあるそうです。

知的なアピール・遊び心

根付そのものが謎掛けになっているものを「判じ物」と言います。例えば「草履」で旅を表し「蛙」を帰ることに見立て、草履の上に蛙を乗せたデザインにすることで、旅から無事に帰ってほしいと表現できます。大切な思いを込められたり、伝えたりすることができるお守りのような存在としても愛された背景があります。

変色してすり減っている方が良い?

年月が経って変色したりすり減った状態を「なれ」と呼びます。たいていの骨董品は状態が良いほど価値が高くなる傾向があります。しかし根付は、変色しても彫りがすり減ってところどころ無くなっていても、それが「味」となります。人々の手を渡りながら使い込まれ、どのように現代まで引き継がれてきたのかを想像すると、時間の経過の重みを感じずにはいられません。

日本人は昔からこのような小さなものに魂を宿してきました。細部に技術や心を集約させ、それを粋に楽しむという精神が「根付いている」のかもしれませんね。

【我々はどこから来たのか、我々はどこへ行くのか!】

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長引くパンデミックですが、ようやくいくらか落ち着きをみせてきました。そして、今度はアフターパンデミックの社会や経済についての予測がさまざまに喧伝されています。我々はどこへ向かうのか。

《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》は、ポール・ゴーギャン(1897〜1898年)の代表作です。ほとんどの方は、フランスの画家ゴーギャンをご存知だと思います。ゴッホとの共同生活と喧嘩別れの逸話も有名です。では、そのゴーギャンが、専業画家になる前、証券会社のサラリーマンだったことはご存知でしょうか? 

ゴーギャンは、23歳から株のブローカーとして働き、オランダの裕福な階級の奥さんと結婚して子どもを5人もうけています。経済的には相当にリッチで、当時流行の印象派、ルノワール、マネ、モネ、セザンヌ、ピサロなどの絵画をコレクションし、休みの日には自らも趣味として絵画を描いていたそうです。

そんなゴーギャンが、なぜリッチで安定した生活を捨てて、最終的に客死するタヒチへ渡っていくのか。それは〈創作への情熱〉から? というイメージも湧いてきそうですが、実はその理由は、1882年にフランスで起こった金融恐慌、大きくレバレッジをかけた取引が原因のバブル崩壊でした。

それまで優秀なブローカーとして活躍していたということは、パリ証券取引所での株価暴落によって、自分自身も取引相手も大きな痛手を受けたことは間違いがないでしょう。それによって、価値観が大きく変わったというのが、わかりやすいところでしょうか。

画家になれば、経済的に再び成功できると考えていたかどうかはわかりませんが、それまでの生活水準は全く維持できず、生活が貧しくなった時、奥さんは、実家に帰ってしまいます。踏んだり蹴ったりですね。奥さんを追いかけて、一旦奥さんの実家でマスオさんをしてサラリーマン生活に戻ろうとしたようですが、妻の実家の冷たい仕打ちに耐えられなかったのかどうか、パリに戻ってしまいます。 タヒチに渡った時には、ほとんど無一文。船員として働いてお金を稼ぎ、下船したのがタヒチだったというのが真実のようです。当時、生活費の安いタヒチは暮らしやすかったのでしょう。そんな風にしてタヒチにたどり着いたゴーギャンに、親近感を感じてしまいます。でも、最終的に歴史に名を残すアーティストになるのですから、才能があったのは間違いがないようです。

【本物のアーティストとは、どのような人か】

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成熟した豊かな社会では〈人は好きなことしかやりたくない〉という存在になっていくのだと思います。もちろん、それぞれの事情によって、そんな風に好き勝手に生きている人ばかりではないのは承知していますが、衣食住が満たされた時、自己実現したいと考えるのが人間の自然な欲求だと思いますし、収入が減ってしまったり、多くの犠牲を払いながらも、やりたい仕事へのチャレンジを続けている人が、皆さんの周りにもいらっしゃるのではないでしょうか。

村上龍の小説の中に「本当の絵描きとはどんな人間か?」という問に対して、「1日24時間絵を書いていても飽きない人間だ」と答えるセリフがありました。まったくそのとおりで、画家に限らず、写真家でも音楽家でも一流のアーティストには、そんな時間の使い方をしている方がたくさんいます。

リアリズム絵画の第一人者、野田弘志は、自分の表現を追求するため、画壇から距離を置き、北海道に移住しました。ドキュメンタリー映像で見たそのアトリエには窓がなく、24時間安定した光源が保たれていました。その著作でも、アトリエで一日中作品に向かい合っている日常が紹介されています。

同じく中央画壇と一線を画して、奄美大島へ移住して生涯を終えた田中一村も、その生活の全てが創作活動につながっていたという記録が残されています。有名無名含め、同様の生き方をしている表現者は大勢いるはずです。ただ、その才能が広く認められ、経済的にも時間的にも自由に創作活動を続けることができるアーティストは、ほんの一握り。それでも彼らにとって、最も大切な事は創作し続けることです。そのために、他の全てのことは犠牲になっても構わないと、そんな風にも見えます。

一方、作品が売れて経済的に豊かになり、社会的に評価されることが、本物のアーティストであるという定義づけには、少し違和感を覚えます。社会的な成功よりも、自分の表現欲求に正直でいられる人。それが、本来アーティトと呼ばれるべき人達であり、幸福な表現者なのではないでしょうか。 サムライオークションでは、そんな幸福なアーティストを応援したいと思っています。

携帯ストラップは江戸時代から使われていた?

こんにちは!《美術品・骨董品専門のオークションサイト》サムライオークションスタッフ井戸です。

皆さんは、携帯電話にお気に入りのストラップを付けていたことはありませんか?最近はスマートフォンが主流になり、いわゆるガラケーと呼ばれる携帯電話端末はあまり見かけなくなってしまいましたが、じゃらじゃらとストラップをぶら下げて個性をアピールするのが流行った時期がありましたよね。ということは、ストラップはここ20年くらいの比較的最近のおしゃれの形だったのでしょうか?いいえ、実は違うのです。携帯電話が世に現れるずっと前の江戸時代から、ストラップの元祖とも言えるものが存在していました。それが「根付」です。

根付とは

根付とは、江戸時代に流行ったおしゃれ小物のことです。数センチくらいの手のひらサイズで、印籠やたばこ入れなど、大名から庶民まで幅広く所有されていました。着物に巻いた帯に交差するように紐を通して、たばこ入れなどの本体部分を下にし、帯の上部にボタンのような形状のもので引っ掛けて落ちないよう持ち運ばれていました。携帯電話の落下防止のストラップみたいですね。このように使用するため、根付の条件は「紐通しの穴」があることと言えます。木の根っこや象牙で彫刻されており、神社へお参りしたときのお土産や記念品として購入されることが多かったようです。

現在ではコレクターも多く、小さいながらも数万円から数百万円するものまである骨董品です。

根付が流行した時代背景

江戸時代は幕府から倹約令が何度も出され、庶民の贅沢は許されませんでした。そこで、派手な着物を着る代わりに小物でおしゃれをして、それを競い合うことで流行が生まれたと考えられています。

昨今のコロナウイルスの影響で色々と自粛ムードが漂っていますが、歴史的に見ても、このような制約がある中から芸術というものはひねり出されるのかもしれませんね。

【アートを感じること、信じること、考えること】

こんにちは!《骨董・美術品専門のオークションサイト》サムライオークションです。

見えないウィルスによって、人心の裏側を垣間見てしまうようなニュースが流れてきます。人々の恐怖心と身勝手さとが、せめぎ合っているような印象です。

小林秀雄は『万人のように考え、個人として信じる』と語っています。物事の本質は〈万人に共通のものとして考える〉、信仰や生き方などは〈個人として信じる〉というような意味だったと思います。魂とか祈りとか、答えがはっきりしないものは自己責任で信じればよいけれど、科学や法律などは、万人に共通の真理として考えられるべきです。

感染症については、科学的知見に基づいて冷静に考えて対処すれば、行動の仕方には、万人にとっての正解があるはずです。

それでは、アートについてはどうでしょうか?

アーティストによっては、表現の目的・意図があり、それが作品鑑賞の正解と考えてしまいそうですが、作品が作者の手を離れた瞬間に独自の人格を持ってしまう以上、鑑賞者の感受性に正解や不正解はない気がします。好きなものは好き、心が動かされる作品が、その人にとっては良い作品です。

もちろん、作品ごとの背景を知り、特に近代以前の絵画など、そこに隠されている情報を読み取るためのルールが存在しますので、それらを学んで作者の意図を理解することもアートの楽しみ方ですし、学びによって作品への理解が深まり、ある種の正解に近づいたと、感じられることもあるでしょう。

ただ、万人にとって同じ価値(正解)を持つ作品というのは恐らくないため、基本的にアートは、各人がそれぞれの感じ方で楽しめば良いのだと思います。

創作も鑑賞も、アートは自由であれ!

サムライオークションは、アートファンの皆さまの心を自由にする作品を、できるだけ多く公開したいと考えています!