【偉大な孝行娘!:葛飾応為】

こんにちは!《骨董・美術品専門のオークションサイト》サムライオークションです。

実は、私には娘がいるのですが、ここ数年はたまに仕事帰りに二人で飲んだりして、聞きたくなかった男の話を聞くことがあったとしても、良いものだなあとしみじみ感じています。

皆さんは、北斎(1760〜1849年)の娘、葛飾応為(かつしか・おうい:生没年不詳)をご存知でしょうか。

改めるまでもなく、画狂人北斎は、LIFE誌の『この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人』に日本人として唯一選ばれているほどの偉大なアーティスト。

《LIFE・この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人》

生涯に製作した作品は3万点以上とも言われています。その創作意欲は晩年になっても衰えることを知らず、死の床にあって、あと5年生かしてくれれば本当の絵描きになれたと言い残すほどでした。他界した年にも傑作を数点描いています。

そこで、応為です。北斎には2人の息子と3人の娘がいたとされていますが、応為は3女。父親譲りの画才があり、嫁いだ亭主の絵を嘲笑したため、離縁されてしまいます。いわゆるシャクレ顔であり、北斎に『あご』と呼ばれていたのだとか。

出戻った応為は、北斎の創作活動のサポートをするようになりますが、例えば女性の指先など、細かいディテールの描写において、その表現力は北斎を上回るほど。光と影を巧みに使った構図など、そのオリジナルの作品も父親に肩を並べるほどの魅力を感じます。

実は、北斎没年(1849年)の作品『雨中の虎』は、作品の筆跡に応為の特徴が出ていると分析する研究もあります。虎は北斎のメタファーと考えられています。

《雨中の虎・太田記念美術館所蔵》

応為については不明な点も多く、はっきりと応為作と認識されている作品の数は少ないようです。

まだ女絵師の存在が社会的に受け入れられにくい時代に、豊かな才能を持った応為がどのような気持ちで北斎をサポートし、自分自身の作品に向き合っていたのか、空想するのも楽しいですね。

常設ではありませんが、応為の作品は太田記念美術館に所蔵されています。ご興味のある方は、開館スケジュールや作品公開のタイミングなど、お問わせの上、ご訪問ください。

《太田記念美術館》

サムライオークションにも、浮世絵作品が出品されています。ぜひ作品ページもご覧になってください!

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