【豊島美術館『母型』から感じる人間と自然との調和】

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今年の台風と大雨による農林水産業関連の被害額は、3000億円を越えているそうです。繰り返し放送される洪水被害の映像や解説を見ていると、やはり地球規模の異常気象が起こっていると感じてしまいます。

人間の過剰な活動によって、自然のバランスが崩れたことによる影響などについてぼんやり考えていた時、豊島美術館の『母型』を思い出しました。

瀬戸内海を望む小高い丘に建設された豊島美術館は、アーティスト・内藤礼(ないとう・れい)と建築家・西沢立衛(にしざわ・りゅうえ)によってつくられた構造物でありアート作品。

広さ40×60m、高さ4.5mの空間は柱が一本もないむき出しのコンクリートで出来ていますが、一日を通していたるところから水が湧き出す『泉』であり、開口部からは光がこぼれ落ちて、鳥の声や時に雨音が響き、自然との融和を感じることができる装置のようでもあります。

巨大な人工物でありながら、周辺の棚田の風景に溶け込んでいるこの美術館は大変に美しく、その土地の自然と完全に一体化しているように思えます。

人間の暮らし、その本質的な豊かさとは何か、誰もがそんな問いを発してしまうような偉大なアート作品をぜひ一度、多くの方に感じて欲しいと思います。 サムライオークションでは、皆さんの感性を刺激する多様な作家の骨董・古美術品を取り扱っています。これからもどうぞご贔屓に!

【『佐竹本三十六歌仙絵』で実感! 塞翁が馬】

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京都国立博物館で開かれていた『佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』展。NHKをはじめ多くの美術番組でも取り上げられたこともあってか、大変な盛況のうちに閉幕しました。

重要文化財『佐竹本三十六歌仙絵』は、鎌倉時代の絵巻物。当時、歌人の肖像画と読んだ和歌をセットにした歌仙絵が流行っていたそうですが、その中の最高傑作とされています。確かに描かれている歌人たちは表情豊かで、そのポージングは動きを感じるほどに高い表現力を感じます。

本来上下2巻の絵巻物は、巻物のままで残っていれば間違いなく国宝となっていた貴重な作品。それが今から100年前の大正8年(1919年)に、一歌仙ずつに切断されてしまいました。経営に行き詰まった実業家が売却するために切断したのです。

どうやら単独で一巻を購入できる相手が見つからなかったためのようです。その蛮行を知った当時の経済界の主要人物が共同購入をし、抽選で自分の購入する歌仙絵を決めてバラバラに所有されることになりました。

この切断事件が伝説となり、逆にその価値は高まり、それぞれ家宝として大切に保管されることに…。そして所有者がバラバラになったことによって、結果的にそのほとんどが戦火を逃れ、今に至るということです。

もうひとつ、バラバラにされたことの幸いは、それぞれの歌仙絵がおそらく当時一流の表具師によって掛軸に仕立てられたこと。それぞれの絵に合わせてあつらえられた表具は大変に美しいものです。

まさに人生万事塞翁が馬。巻物のままに埋もれてしまうよりも、36幅の掛軸になった方が、36倍に楽しが広がったと前向きに解釈したいところですね。 サムライオークションも、古美術ファンの楽しみを倍増できるサイト運営を目指していきます!

【骨董ファンの夢! グローバル版】

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サムライオークションを訪ねてくださる皆さん! もうご存知かもしれませんが、その日は私もだいぶ興奮しましたので、ぜひこの気持を共有させてください。

10月28日にAFP通信発で世界に配信されたニュース
《仏住宅の台所で見つかったチマブーエの絵画、29億円で落札!》です。

チマブーエ(本名はチェンニ・ディ・ペーポ/1240年頃〜1302年頃)は、13世紀イタリアにおける最も偉大な画家の1人と言われています。ヴァザーリ(1511〜1574年/画家・建築家)が著した西洋美術史の重要な基礎資料《美術家列伝》では、最初に記されている画家であり、イタリアの詩人ダンテの《神曲》でも『絵画の世界の覇者』と表現されているほど、イタリア絵画の創始者として重要視されているアーティストです。

一節には世界に11点しか存在していないといわれているその画家の貴重な絵画が、フランス北部の一般家庭の台所で、ガスコンロの上に飾られていたのだとか。所有者の女性は、作品の来歴を知らず、ほとんど価値のない古い宗教画だと思いこんでいたようです。

オークション関係者がこの画を見つけ、鑑定に出すように持ち主に勧め、赤外線鑑定を行った結果、チマブーエの作品と判断されたそうです。発見された画のタイトルは《軽蔑されるキリスト》。この作品は祭壇画の連作として制作され、ロンドンのナショナル・ギャラリーに1幅、ニューヨークのフリック・コレクションに1幅が残されています。

オークションを手掛けたアクテオン・オークションハウスでは、当初600万ユーロ(約7億2600万円)程度での落札を予想していたそうですが、予測の4倍2400万ユーロ(約29億円)で落札されました。中世絵画の落札価格としては史上最高値のようです。

現時点での、海外ニュースメディアの報道では、持ち主がこの絵画をどのように入手したのかは書かれていないのですが、フランスの庶民的な地区で開催される蚤の市で『5千円くらいで買いました!』となったら、なんだか痛快な感じがするのは私だけでしょうか。元気と勇気と希望がもらえた、そんな話題でした! サムライオークションの骨董・古美術ファンの皆さまも、ぜひ物置の探索や身近な骨董の再評価をしてみましょう!

【技が拙いから拙宗と名乗ったの??】

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10月27日の朝日新聞に、雪舟の三幅対の水墨画が国内で初確認されたニュースが掲載されていました。そのニュースの中で初めて知ったのですが、雪舟(せっしゅう・1420〜1506年)が若き日に拙宗(せっしゅう)を名乗っていたという事実。

記事では、雪舟の三幅対(三幅の掛け軸が一組になった作品)として現在確認できる作品は、米ボストン美術館が所蔵する「三教蓮池図」だけであることや個人の所蔵者からの依頼によって、山口県立美術館が鑑定して若き日の雪舟(拙宗)筆と認定したことなどがまとめられていました。

三幅対は、中央に宗教性の強い主題の画を配置し、左右に宗教性の希薄な主題の画を取り合わせて楽しむ鑑賞方法のひとつで、室町時代に将軍家などの上流武家の間に広まっていたそうです。いわゆる仏画、宗教画に位置付けられます。

それよりも私が気になったのは、若き雪舟の名前「拙宗」。それで、少し調べてみたのですが、雪舟と拙宗は別の人物だと考えられていた時代もあったようです。備中国(現在の岡山県)に生まれた雪舟は京都、そして周防国(現在の山口県)と住み替え、1467年(応仁元年)に遣明使として中国に渡り才能を開花させたと言われています。この周防国時代、30代後半頃までの名乗りが拙宗だったようです。

拙宗時代の作品には、のちの雪舟作品に見られるモチーフや筆法が見られるようですが、まだ穏やかで柔らかいタッチが多く、如拙(じょせつ・生没年不詳)や周文(しゅうぶん・生没年不詳)の影響が指摘されています。どうやら、まだまだ技が拙いと感じていたから拙宗を名乗っていた、というわけではないようです。

今回確認された拙宗筆の三幅対の作品は、山口県立美術館【雪舟の仏画ー初公開の《騎獅文殊・黄初平・張果老図》を中心にー】展〔11月2日(土)〜12月8日(日)〕で公開されます。

【ジェフ・クーンズのうさぎで考える、現代アートの価値について】

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今年5月、ジェフ・クーンズのステンレス製の彫刻作品「ラビット」が、クリスティーズのオークションで約9100万ドル、日本円に換算して約100億円で落札されました。存命中のアーティストの作品では史上最高値だそうです。

ジェフ・クーンズは、アメリカの現代アーチストで64歳。ポップカルチャーを代表する作家として作品が高値で取引されていますが、この100億うさぎが作られた当初、1986年に所有していたギャラリーは、約4万ドル(約440万円)で購入したそうです。

30数年かけて価格が約2270倍になった計算です。なぜこういう価格高騰が起こるのでしょうか。実はアメリカの美術市場では、ギャラリーと批評家、そしてコレクターがチームとなって、推しアーティストの評価を高めていくシステムができているのだとか。

たとえば、村上隆のオブジェ「ロンサムカウボーイ」やZOZOの元社長さんの所有するジャン・ミシェル・バスキアの作品など、既存の価値観や評価軸では評価の仕方がわからなかったりした場合、その価値を担保する役割を担っているのが有名批評家です。

批評家が作品にお墨付きを与え、有名コレクターが高値で購入する、それにより作品の価値が確定し、高値で取引されるようになるということですね。ビンテージワインの市場と同じようなしくみです。

アート作品をお金という評価軸だけで価値判断するのは違和感があるのですが、資本主義経済では、やはりこれも確固たる客観的な評価ではあります。

サムライオークションでもいつの日か、日本のアーティストを見出して育てていくことができれば嬉しいですね!

【ラグビーワールトカップとポール・ジャクレー】

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ラグビーワールドカップ、終わっちゃいましたね〜! 全国的に盛り上がりました。日本代表の顔ぶれを見ると多様性に富んだメンバーですが、今では多様な人種から構成された日本代表チームに、違和感を感じる人も少なくなってきていると思います。

社会心理学では、接触効果という概念があり、繰り返し接触したり見たりすることで、親近感や好感度がアップすると考えられています。日本にも徐々に外国の人が増えてきたし、どこの国でもナショナルチームは多様な人種で構成されていることが多いですよね。

ただ、それが明治時代となると、日本人の意識はどうだったのでしょうか。

没後60年記念「ポール・ジャクレー展ー浮世絵に魅せられたフランス人画家ー」の展覧会が今月11月24日(日)まで、栃木県の那珂川町馬頭広重美術館で開催されています。

ポール・ジャクレー(1896年〜1960年)は、パリで生まれた生粋のフランス人。家族と共に3歳で来日し、その後日本文化を学んで日本語、書道、そして黒田清輝からデッサンを学びました。1907年、11歳の時に浮世絵の流れを組む池田輝方に師事し、日本画を習得。「若札」の雅号で作品が残っています。

当時、外国人などほとんどいない日本で、苦労もあったように思うのですが、江戸の風情が残る下町を愛し、とりわけ浮世絵に強く惹かれていたそうです。浮世絵の技法による伝統的な木版画が制作されており、浮世絵、洋画、日本画の合わさったような独特のタッチがユニークで魅力的です。

作品には、南洋諸島や韓国、中国の女性風俗を描いたものも多く、多様な文化への憧れのような気持ちがあったのかもしれませんね。閉鎖的な当時の日本社会でも、それを楽々と飛び越えて、日本文化を愛していた彼の心の自由さに思いを馳せる時、桜ジャージを着て日本のために戦う日本代表チームの面々の印象が重なって、自然と感謝の気持ちが湧いてきました。

サムライオークションでは、多様な個性の骨董・古美術品を取り扱っています。これからもどうぞご贔屓に!

【売れるものを創るから、売れない】

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日本を代表する木彫作家平櫛田中(ひらくし・でんちゅう/1872〜1979年)。田中の出身地、岡山県井原市にある『井原市立田中美術館』では、11月10日(日)まで《没後40年平櫛田中美の軌跡》展が開催されています。

田中の作品で有名なものに、井原地方の古い伝承に基づく《転生》があります。生ぬるい人間を、口から吐き出す鬼の木彫。絵面的には、フランシスコ・デ・ゴヤの《我が子を食らうサトゥルヌス》と同様のインパクト! でも、表面的な意味合いは真逆という面白さ。また、田中のアーティストとしての意志が表されている《尋牛》という作品も表現の奥行きが広く、大変に魅力的です。

田中が岡山県から上京し、高村光雲のもとで仏師を目指したのが1898(明治31)年。ただ「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」運動の影響で、仏像の需要はほとんどなくなってしまいました。そんな時、田中は岡倉天心(おかくら・てんしん)と出会います。

彫刻家としてどのように生きてゆけばよいか、彫刻の実用性に目を向けてどのような作品を作れば売れるのかを相談した時、天心は「売れるものを(と考えて)創るから売れない、売れないものを創れば必ず売れる」と諭したそうです。そのアドバイスがあってかその後、売れる作品作りではなく、アーティストとして自らの表現を追求する道を選択した田中。《尋牛》という作品には、自分の求める道を模索する田中自身の姿が投影されていると考えられています。

アーティストにその生き方までを諭す岡倉天心、そして素直に納得し自らの表現者としての意志を定めた田中。二人の出会いと田中のその後の運命が大変に感慨深い逸話です。

サムライオークションも、古美術ファンの皆さんの指針になれるようなサイト運営を目指していきたいと思っています!

【中村不折のターニングポイント】

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夏目漱石の処女小説『吾輩は猫である』の挿絵画家としても知られる、中村不折(なかむら・ふせつ/1866年〜1943年)。明治、大正、昭和に活躍したバラエティに富んだ作品を残したアーチストです。

古美術マーケットでも根強い人気を維持しており、特に書画は定期的に販売されています。サムライオークションでも過去に作品を公開。今年も多くの落札情報を目にして、当オークションでも注目しているアーチストです。

洋画家、書家とプロフィールに書かれる事が多いですが、日本画も巧みで水墨画なども古美術市場に出品されています。

洋画家としてキャリアを積んでいった不折は、1895年に正岡子規とともに日清戦争に従軍記者として中国に赴任します。そこで書に出会ったことが自身のターニングポイントとなり、書道研究に傾倒するようになります。

中国赴任中のこの時、不折は中国、朝鮮半島を巡り、漢字成立を解明するような考古学資料を入手し、そのまさに古典から影響を受けて、独特の斬新な書風を身に着けていきました。

その後、1908年に発表された『龍眠帖』は、書道界に一大センセーションを巻き起こします。そのデザイン性の高さと親しみやすさから、不折の文字は店名や商品名のロゴに用いられることも多かったようで、『新宿中村屋』の看板文字や清酒『日本盛』、『信州一味噌』のロゴマークに、不折の仕事の足跡を今も身近に見ることができます。

1936年に台東区根岸の旧宅跡に、私財にて書道博物館を開館し、現在も開業中(現在は台東区立で運営)。JR鶯谷駅から徒歩5分です。重要文化財12点、重要美術品5点を含む東洋美術史上貴重な文化財展が展示されているので、書に興味がある方は、ぜひ一度訪ねてみてはいかがでしょうか。

サムライオークションでは、書画のオークション出品も大募集中です! 

書画に強い古物商の皆さん、ぜひサムライオークションをご活用ください。

【時代の変化に適応し続けたクリエイター《河鍋暁斎》】

こんにちは!《古美術専門オークションサイト》サムライオークションです。

サムライオークションでもその作品が公開されたことのある日本画家、河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい:1831年〜1889年)。大政奉還(1867年)から戊辰戦争(1868年〜1869年)を経て明治の世となり、江戸が東京になって日本が急速に変化していった時代に、その画力を自由に開放しながら、自らをアップデートし続けました。

6歳で歌川国芳の弟子となり、浮世絵の技術を学んだ後、狩野派の絵師前村洞和に師事して狩野派の門弟になります。そして狩野派の画法を19歳までに身につけた暁斎は、四条円山派や琳派など日本古来の画法も独学で広く学んでいきます。

暁斎が、いわばプロとして独立したのが幕末頃。依頼があれば断ることをせず、真面目な仏画から浮世絵、ユニークな戯画や風刺画まで、幅広いジャンルの作品を制作し、糊口をしのいだといわれています。

当時の幕府の政策と長州の対立を揶揄したり、明治改元後にも新政府の盲目的な西洋崇拝を風刺し、当局を侮辱したとして投獄されてむち打ち刑に処せられたこともあったようですが、その反骨精神はどこから生まれてきたものなのか、もっとその人物像を知りたくなります。

その後、新時代の大きなうねりの中でフィラデルフィア万国博覧会に肉筆画を出品したり、海外の多くの美術関係者と交流を持つようになり、その名声は世界へと広がっていきました。

暁斎が眠っているのが、谷中にある瑞輪寺。暁斎自らが画題として好んで描いた蛙に似た自然石が墓石に使われています。サムライオークションのオフィスに近いので、ぜひ一度お墓参りにも行ってみたいと思っています。

変化の大きな時代に、柔軟な思考とセンスで自らの画力を発展させていった暁斎にならって、サムライオークションも変化を恐れず、骨董・古美術市場の活性化に挑戦していきます! 

販売チャネルを広げたい骨董・古美術商の皆さま! ぜひサムライオークションをご活用ください。

【失われる美術館でプリミティブアートを味わう】

こんにちは!《古美術専門オークションサイト》サムライオークションです。

サムライオークションを訪ねてくださる、古美術愛好家の皆さんは、プリミティブアートはお好きでしょうか?

辞書的に言えば『先史時代の原始的造形芸術。または、現代芸術において、特に未開民族の造形物にインスピレーションを受けた表現』(デジタル大辞泉より)ということになります。日本で言えば、縄文土器の土偶や、オーストラリアの原住民アボリジニアートなどが有名です。

芸術的な訓練を受けていない人が制作したアート作品に【アウトサイダー・アート】、または【アール・ブリュット】と呼ばれるものがあります。プリミティブアート同様に、それらは現代の芸術的文脈・技法の他にも、純粋な自己表現としての創作活動が存在することの証明でもあります。

シンプルな線やカタチ、ビビッドな色を用いた表現によって、鑑賞者は和んだり、驚いたり、悲しんだりと心を揺さぶられ、想像を膨らませます。これぞ、美術鑑賞の楽しみだと思います。

品川駅から歩いて15分ほどの閑静な住宅街にある原美術館では、8月10日〜2020年1月13日まで、画家・彫刻家である加藤泉のプリミティブアートを思わせる作品展【LIKE A ROLLING SNOWBALL】を開催しています。

人にも動物にも宇宙人にも見える加藤泉の作品が、原美術館の敷地内に展示されており、そのさまざまな素材からなる作品に、日常を忘れて思わずホッとすると同時に、なぜか人と自然、環境などについて考えが飛んでいくのが不思議な体験でした。

2020年12月をもって閉館予定の原美術館。個人の邸宅だった面影が効果的に使われている展示スペース、静かで美しい庭園とレストランなど、お気に入りの美術館が失われてしまうのはとても寂しいです。

サムライオークションの骨董・古美術ファンの皆さまも、お時間がありましたら、ぜひ一度足を運んでみてください。