【時代の変化に適応し続けたクリエイター《河鍋暁斎》】

こんにちは!《古美術専門オークションサイト》サムライオークションです。

サムライオークションでもその作品が公開されたことのある日本画家、河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい:1831年〜1889年)。大政奉還(1867年)から戊辰戦争(1868年〜1869年)を経て明治の世となり、江戸が東京になって日本が急速に変化していった時代に、その画力を自由に開放しながら、自らをアップデートし続けました。

6歳で歌川国芳の弟子となり、浮世絵の技術を学んだ後、狩野派の絵師前村洞和に師事して狩野派の門弟になります。そして狩野派の画法を19歳までに身につけた暁斎は、四条円山派や琳派など日本古来の画法も独学で広く学んでいきます。

暁斎が、いわばプロとして独立したのが幕末頃。依頼があれば断ることをせず、真面目な仏画から浮世絵、ユニークな戯画や風刺画まで、幅広いジャンルの作品を制作し、糊口をしのいだといわれています。

当時の幕府の政策と長州の対立を揶揄したり、明治改元後にも新政府の盲目的な西洋崇拝を風刺し、当局を侮辱したとして投獄されてむち打ち刑に処せられたこともあったようですが、その反骨精神はどこから生まれてきたものなのか、もっとその人物像を知りたくなります。

その後、新時代の大きなうねりの中でフィラデルフィア万国博覧会に肉筆画を出品したり、海外の多くの美術関係者と交流を持つようになり、その名声は世界へと広がっていきました。

暁斎が眠っているのが、谷中にある瑞輪寺。暁斎自らが画題として好んで描いた蛙に似た自然石が墓石に使われています。サムライオークションのオフィスに近いので、ぜひ一度お墓参りにも行ってみたいと思っています。

変化の大きな時代に、柔軟な思考とセンスで自らの画力を発展させていった暁斎にならって、サムライオークションも変化を恐れず、骨董・古美術市場の活性化に挑戦していきます! 

販売チャネルを広げたい骨董・古美術商の皆さま! ぜひサムライオークションをご活用ください。

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