【織部焼】ひょうきんな焼き物を好んだ古田織部

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お茶の神様とも言える千利休が好んだのは、装飾が削ぎ落とされた黒茶碗であることは有名です。一方で、その千利休に弟子入りした茶人の古田織部が好んだのは、極端に歪んでいびつな形の茶碗でした。師匠の千利休とは対象的なアプローチで美を追求した古田織部の焼き物は、「ひょうきん・ふざける」の意味である「へうげもの」とも呼ばれ、美意識の変革をもたらしました。この「へうげもの」という言葉がタイトルの古田織部を主人公にした漫画は、第14回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞作を受賞、その後テレビアニメにもなっており現在でもとても人気のある作品となっています。

「人と違うことをせよ」という利休の教えに応えた古田織部は、1544年から1615年の桃山時代に活躍した大名であり茶人です。千利休の死後、茶の湯の第一人者となり多くの大名に茶を伝授しました。当時は古い価値観と新しい価値観が交差する大変革の時代。人々の格好や振る舞いが主張の強い奇抜なものへ変化していく中、焼き物の世界にも時代の流れを写し込んでいったのです。織部が好んだ焼き物は、いつしか「織部焼」と呼ばれるようになります。

織部焼はそれまでの陶器と違って奇抜な形や色使いをしており、特に染み込んだような深い緑が特徴的です。南蛮貿易で中国や東南アジアから入ってきた緑の焼き物に魅了され、緑色を焼き物へ取り入れることになったのです。自分の思い通りの緑を作ることは現在の陶芸家でも難しいとされます。しかし、思い通りにならなず失敗したかのような模様も、日本人は「けしき」と言って自然な表情を楽しみました。これは、不均一な釉薬の流れを失敗と評価する中国とは違う日本人独特の感覚でもあります。

心のどこかで自分も「へうげもの」でありたいと思っている方、ひねくれた歪みと遊び心のある織部焼を手にすると、肩の力がすっと抜けていきますよ。

宝石に並ぶ極上の美【七宝焼き】

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2019年6月1日、天皇、皇后両陛下が即位後初の地方訪問先として、愛知県あま市の「七宝焼き」を展示する施設を訪問されました。七宝焼きは世界が絶賛する美しき日本の伝統工芸であり、気が遠くなる試行錯誤の末に生み出された職人の技術の結晶です。

七宝焼きとは

「七宝」とは、仏教において極楽浄土の荘厳さを表現する七種の宝のことです。

明治時代、金属の素地にガラス質の釉薬を焼き付けた工芸品が海外に輸出されるようになります。宝石が散りばめられたように光輝くその工芸品が「七宝焼き」です。ガラスのように光るヨーロッパの器のようにも見えますが、模様はとても日本的な柄をしているのが特徴です。

途絶えつつある伝統

七宝の起源は3500年前の古代エジプト時代とされおり、強大な権力を持っていたファラオが自分たちの副葬品を七宝で飾ったのが始まりとされています。その後ヨーロッパや中国、そして飛鳥時代の日本にもシルクロードを渡り、他の文化と共に七宝焼きの技術が伝えられます。江戸時代になると、刀の鍔(つば)やサヤの装飾、神社仏閣の釘かくしなどに使用されますが、幕府や大大名が独占するようになります。その製法は武士階級の没落とともに失われていきますが、幕末に梶常吉というメッキ職人が偶然手に入れた舶来品を研究し、独自に七宝で器を飾る技術を完成させます。美しい日本の図柄を取り入れた七宝は海外に飛ぶように売られ、日本はたちまち世界一の七宝生産国となりました。しかし、近年では変化する社会情勢や文明ともに技術が失われつつあるのが現状です。 作品の多くは海外向けに作られたため、最高傑作と呼ばれる七宝焼きは日本ではなかなか見ることができないと言われています。世界には様々な美術品が存在しますが、その中でも特に一見の価値がある美しさであることは間違いありません。

絵を飾るときのちょっとした工夫

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絵画を飾るときは、以下のポイントを押さえることでキレイな空間に仕上げることができます。

目線の高さに合わせる

立ったときに自然に目に入る位置が良いとされています。日本人の平均身長は、男性で172cm、女性で158cmほどなので、壁にかけた絵の中心が目の高さに来る「床から140~150cm」の辺りが、顔の角度を意識せずに鑑賞できるので最適です。

空間の形に合わせる

絵画を飾る壁面が縦長であれば縦長の絵、横長であれば横長の絵を飾ると、視覚的に違和感が無く鑑賞できます。また、絵が壁の長さの方向に合わない場合は、複数の絵を長い方の向きに並べることで、目の動きに合わせた流れを作り出すことができます。このとき、それぞれがバラバラの雰囲気の絵であっても、額縁の色やデザインに統一感を出すことで、お互いが主張しすぎることなくまとまって見えます。

フォーカルポイントを意識する

視線を集めたい場所へピンポイントに配置する方法は定番です。ソファやキャビネット、玄関の正面や下駄箱の上などに飾ると、絵の存在感がグッと増します。上級テクニックとして、お気に入りの椅子を置いて、その上に絵を座らせて飾るというのも、おしゃれなお店のような演出ができますよ。

生活に合わせる

普段活動する場所であるリビングや、一日の締めくくりを過ごす寝室など、絵が持つイメージに合う場所に飾ることで、その空間へ与える効果も変わってきます。また、周囲の家具の色やテイストに合わせることで、その空間へ馴染ませることができます。家具と合わないと感じる場合でも、絵の雰囲気と合う布や小物などを周囲に少し加えてみることで、絵が孤立することを防ぐことができます。 このようなちょっとした工夫で、絵が持つメッセージをより引き出すことができるので、ぜひ試してみてください。

「かるた」が嫁入り道具?

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映画やアニメでも大人気の、競技かるたが題材の「ちはやふる」というマンガをご存知の方は多いのではないでしょうか。競技かるたとは、かるたの一種である百人一首を用いた競技のことです。小さい活動を含めると競技人口が100万人を超えるスポーツ競技となっており、「畳の上の格闘技」とも言われるそうです。バシバシ叩かれてボロボロになる、そんな誰もが知るかるたですが、昔は惜しみなく財をつぎ込まれる高価なものでもありました。

かるたの歴史

トランプのようなカードのことをポルトガル語で「carta(カルタ)」と言います。そのカルタが、室町時代後期にキリスト教や鉄砲と一緒にポルトガル人によって日本に伝えられました。日本にはそれ以前から「貝覆い」という二枚の貝殻に絵柄を書いて同じものを見つける、という遊びがありました。この貝覆いとカードゲームであるカルタが融合され、日本独自のカード型のゲームとして「かるた」が誕生したと言われています。

惜しみなく財をつぎ込む

かるたが誕生した頃は遊ぶものというよりも、貴族が嫁入り道具として贅を尽くしたり、教養や観賞のためにコレクションするものでした。そのため、一枚の絵や縁に金箔を贅沢に使い、裏一面には銀を使用するなど細部にこだわります。また、かるたを入れる箱は職人が絵を描き、漆を塗った豪華なものに仕立て上げるなど、各分野のプロによってひとつのかるたが作られていました。そこに集約される財や技術からわかるように、当時のかるたは間違いなく美術品としての役割を担っていました。現代ではお正月に遊ぶ子どものゲームというイメージがありますが、昔は大人の嗜好品だったのです。

遊ぶだけではもったいない!

小さい頃よく遊んでいた、家の引き出しにしまってあるその「かるた」。年季の入ったものであれば、もしかするととても価値のあるものかもしれません。遊ぶだけではなく、鑑賞して楽しんでみてはいかがでしょうか。

心の中の庭を散歩する

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2007年に亡くなった故・河合隼雄は、日本の臨床心理学の土台を築いた第一人者であり、元文化庁長官でもあった方です。彼がカウンセリングの現場に導入した「箱庭療法」は多くの人々を救ってきました。「箱庭」とは、浅い箱に砂や小さな人形、模型など様々なものを自由に置いて物語を表現する遊びのようなものです。箱庭を通じて行う自己表現によって治癒効果を促すという、世界でも確立されたセラピーです。

ところで、コロナウイルスの影響で不要不急の外出を控える状況が続いています。部屋にこもったままだと閉塞感を感じますよね。もやもやを吐き出したい、でも出歩くのは気が引ける。こんなとき自宅でできる遊びとして「箱庭」を試してみてはいかがでしょうか。箱の上で無心に物語を作る作業は、心が開放される効果があります。頭の中のことは紙に書き出すと良いと言われますが、気持ちを言葉にして書き出すのは意外と億劫に感じるものです。箱庭は言葉が不要なので、気軽に楽しむことができると思います。

さらにここでオススメしたいのが、アートの要素も取り入れた「枯山水」を箱庭にしてみるということです。枯山水とは、禅の教えとともに発達した日本庭園の様式で、水を使わず、石や砂で自然の情景を表現する日本独自の庭です。京都のお寺などで実際に見たことがある方も多いのではないでしょうか。庭が無くても、室内で作ることができるキットがネットショップなどで販売されており、面白い作品がネット上にもたくさんアップロードされています。お出かけは難しくても、家にある小箱の中に河原の砂や石、花びらや木の枝などを拾ってきて作ってみれば、小さなお子さまでも楽しめると思います。

穏やかな水面やうねりのある波を「砂」で、おとなしい面や荒々しく力強い面を「石」の角度で表現し、無心になって作ってはやり直すという作業を繰り返してみると、そのときの気分と作品が似通ってくることに気がつくかもしれません。自宅でも楽しめるアートとして、ゆったりと「箱庭枯山水」を散歩してみてはいかがでしょうか。

【我々はどこから来たのか、我々はどこへ行くのか!】

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長引くパンデミックですが、ようやくいくらか落ち着きをみせてきました。そして、今度はアフターパンデミックの社会や経済についての予測がさまざまに喧伝されています。我々はどこへ向かうのか。

《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》は、ポール・ゴーギャン(1897〜1898年)の代表作です。ほとんどの方は、フランスの画家ゴーギャンをご存知だと思います。ゴッホとの共同生活と喧嘩別れの逸話も有名です。では、そのゴーギャンが、専業画家になる前、証券会社のサラリーマンだったことはご存知でしょうか? 

ゴーギャンは、23歳から株のブローカーとして働き、オランダの裕福な階級の奥さんと結婚して子どもを5人もうけています。経済的には相当にリッチで、当時流行の印象派、ルノワール、マネ、モネ、セザンヌ、ピサロなどの絵画をコレクションし、休みの日には自らも趣味として絵画を描いていたそうです。

そんなゴーギャンが、なぜリッチで安定した生活を捨てて、最終的に客死するタヒチへ渡っていくのか。それは〈創作への情熱〉から? というイメージも湧いてきそうですが、実はその理由は、1882年にフランスで起こった金融恐慌、大きくレバレッジをかけた取引が原因のバブル崩壊でした。

それまで優秀なブローカーとして活躍していたということは、パリ証券取引所での株価暴落によって、自分自身も取引相手も大きな痛手を受けたことは間違いがないでしょう。それによって、価値観が大きく変わったというのが、わかりやすいところでしょうか。

画家になれば、経済的に再び成功できると考えていたかどうかはわかりませんが、それまでの生活水準は全く維持できず、生活が貧しくなった時、奥さんは、実家に帰ってしまいます。踏んだり蹴ったりですね。奥さんを追いかけて、一旦奥さんの実家でマスオさんをしてサラリーマン生活に戻ろうとしたようですが、妻の実家の冷たい仕打ちに耐えられなかったのかどうか、パリに戻ってしまいます。 タヒチに渡った時には、ほとんど無一文。船員として働いてお金を稼ぎ、下船したのがタヒチだったというのが真実のようです。当時、生活費の安いタヒチは暮らしやすかったのでしょう。そんな風にしてタヒチにたどり着いたゴーギャンに、親近感を感じてしまいます。でも、最終的に歴史に名を残すアーティストになるのですから、才能があったのは間違いがないようです。

携帯ストラップは江戸時代から使われていた?

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皆さんは、携帯電話にお気に入りのストラップを付けていたことはありませんか?最近はスマートフォンが主流になり、いわゆるガラケーと呼ばれる携帯電話端末はあまり見かけなくなってしまいましたが、じゃらじゃらとストラップをぶら下げて個性をアピールするのが流行った時期がありましたよね。ということは、ストラップはここ20年くらいの比較的最近のおしゃれの形だったのでしょうか?いいえ、実は違うのです。携帯電話が世に現れるずっと前の江戸時代から、ストラップの元祖とも言えるものが存在していました。それが「根付」です。

根付とは

根付とは、江戸時代に流行ったおしゃれ小物のことです。数センチくらいの手のひらサイズで、印籠やたばこ入れなど、大名から庶民まで幅広く所有されていました。着物に巻いた帯に交差するように紐を通して、たばこ入れなどの本体部分を下にし、帯の上部にボタンのような形状のもので引っ掛けて落ちないよう持ち運ばれていました。携帯電話の落下防止のストラップみたいですね。このように使用するため、根付の条件は「紐通しの穴」があることと言えます。木の根っこや象牙で彫刻されており、神社へお参りしたときのお土産や記念品として購入されることが多かったようです。

現在ではコレクターも多く、小さいながらも数万円から数百万円するものまである骨董品です。

根付が流行した時代背景

江戸時代は幕府から倹約令が何度も出され、庶民の贅沢は許されませんでした。そこで、派手な着物を着る代わりに小物でおしゃれをして、それを競い合うことで流行が生まれたと考えられています。

昨今のコロナウイルスの影響で色々と自粛ムードが漂っていますが、歴史的に見ても、このような制約がある中から芸術というものはひねり出されるのかもしれませんね。

掛け軸を2倍楽しむために知っておきたいこと

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掛け軸を見るとき、当然ですが中心に描かれている絵や書の部分に注目して鑑賞しますよね。

掛け軸において、絵画や書の部分は「本紙」と呼ばれます。その「本紙」を引き立てるのも殺すのも「表具」にかかっていると言っても過言ではありません。

「表具」とは?

「表具」とは、絵画や書を鑑賞や保存に適した状態にするために補強する布地のことです。掛け軸は縦に長いということが真っ先に思い浮かびますが、一枚の長い紙になっているわけではありません。実際の絵画や書が描かれている本紙の下に貼る布の台紙のようなもの、すなわち「表具」に貼られているから掛け軸は縦に長いのです。

どんな「表具」が良いの?

良い表具であるには、「本紙を引き立てるが、本紙より主張し過ぎない」ということが重要です。本紙と表具の組み合わせにはセンスが必要です。

例えば、

・本紙と同色系の表具は、本紙を大きく見せる

・本紙と異なる系統の色の表具は、本紙を引き締しめる

といった具合に、組み合わせ次第で作品の雰囲気をガラッと変えることができます。

また、遠くから見たときには目を引くような存在感を出しつつ、近くで見るときには作品に集中できる、という絶妙なバランスであることが掛け軸の価値に表れてきます。

まとめ

掛け軸は「表具」を含めてひとつの作品であり、その良し悪しで作品はまったく違ったものになります。掛け軸を鑑賞するときには是非、本紙だけではなく「表具」の奥深さまで楽しんでみてください。

陶器と磁器の違い②【 磁器 】

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骨董品を語るうえでは欠かせない「陶器」と「磁器」の違いを見ていきます。

前回は「陶器」についてのお話でしたが、今回は「磁器」の紹介です。

磁器とは

磁器とは、陶石という岩石を削って粉にしたものを粘土と混ぜて固めて形にした器のことです。陶石はガラスの材料で使われる長石を含むため、焼き上がった後に半ガラス質となります。1300度前後の比較的高い温度で焼かれ、陶器に比べると硬くなる性質があります。しかし硬いとは言っても、一箇所に衝撃が集まるとヒビが入って割れやすいので、扱いには注意しましょう。

磁器は江戸時代頃から作られるようになったもので、佐賀の有田で陶石が発見されたことから製作が始まったと言われており、そこから現在の陶磁器の文化が形成されてきました。

磁器の特徴

・ツルツルした触り心地

・薄くて叩くと澄んだ高い音がする

という特徴があります。

焼き上がりはほとんどが白色のため、スッキリとしたキレイな印象を与え、丈夫で実用性が高いものに仕上がります。陶器に比べると、洗練された絵付けのデザインによる美しさが感じられると思います。見た目の艷やかさも均一に仕上げやすいので、洋食器にもよく使用されます。硬度が高く表面が滑らかなのでナイフやフォークとの相性も良いです。しかし、陶器と違って熱伝導率が高く熱しやすいので、直接触れて器を持つのは大変です。そのため、ティーカップのような取っ手が必要となってきます。日本とヨーロッパの食のスタイルが、陶磁器によってわかりやすく表れていますね。

まとめ

2回に分けて「陶器」と「磁器」の違いを紹介してきました。

意識しないと何となく同じようなものに見えてしまいますが、原料や性質、特徴などをそれぞれで考えてみると違いが理解しやすいのではないでしょうか。

ちょっと違う日本人の「価値の感覚」

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海外において貴重な骨董や美術品は、最適な保管環境を維持できる博物館で飾られるのが一般的です。それに対して、日本では個人の方が所有されているものが多く存在します。人によっては国宝でお茶を飲んでいるかもしれません。海外に比べるとそのような現状を特別と感じない国民性がありますが、なぜそのような感覚の違いがあるのでしょうか。

そこには物に対する「価値の感覚」の違いが挙げられます。外国では、身分の高い王様や皇帝が使っているものは貴重で価値がある、とされる傾向があります。日本はどうかというと、誰が使っていたかは関係無く、技術や品質を純粋に評価する感覚を持ち合わせているといえます。

物を大切にするという面でも、独特の世界観があります。たとえば日本には昔から「金継ぎ」と呼ばれるような技術があります。完璧なものを作らず、割れたり欠けても「壊れたら直す」ということを前提として、ものが作られてきました。日常の中で使いながら大事に扱い長く使うことが当たり前のように行われてきました。現在の日本における有名な骨董のほとんどは、一般庶民が生活の中で使っていたものが引き継がれてきたものです。海外では、たとえそれが価値ある花瓶であっても亀裂が入ったら最後、直すことは困難なほど完璧に作られているため修復できず無価値になってしまいます。 このような「価値の感覚」を意識してみると、作品の楽しみ方も変わってくるのではないでしょうか。