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長引くパンデミックですが、ようやくいくらか落ち着きをみせてきました。そして、今度はアフターパンデミックの社会や経済についての予測がさまざまに喧伝されています。我々はどこへ向かうのか。
《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》は、ポール・ゴーギャン(1897〜1898年)の代表作です。ほとんどの方は、フランスの画家ゴーギャンをご存知だと思います。ゴッホとの共同生活と喧嘩別れの逸話も有名です。では、そのゴーギャンが、専業画家になる前、証券会社のサラリーマンだったことはご存知でしょうか?
ゴーギャンは、23歳から株のブローカーとして働き、オランダの裕福な階級の奥さんと結婚して子どもを5人もうけています。経済的には相当にリッチで、当時流行の印象派、ルノワール、マネ、モネ、セザンヌ、ピサロなどの絵画をコレクションし、休みの日には自らも趣味として絵画を描いていたそうです。
そんなゴーギャンが、なぜリッチで安定した生活を捨てて、最終的に客死するタヒチへ渡っていくのか。それは〈創作への情熱〉から? というイメージも湧いてきそうですが、実はその理由は、1882年にフランスで起こった金融恐慌、大きくレバレッジをかけた取引が原因のバブル崩壊でした。
それまで優秀なブローカーとして活躍していたということは、パリ証券取引所での株価暴落によって、自分自身も取引相手も大きな痛手を受けたことは間違いがないでしょう。それによって、価値観が大きく変わったというのが、わかりやすいところでしょうか。
画家になれば、経済的に再び成功できると考えていたかどうかはわかりませんが、それまでの生活水準は全く維持できず、生活が貧しくなった時、奥さんは、実家に帰ってしまいます。踏んだり蹴ったりですね。奥さんを追いかけて、一旦奥さんの実家でマスオさんをしてサラリーマン生活に戻ろうとしたようですが、妻の実家の冷たい仕打ちに耐えられなかったのかどうか、パリに戻ってしまいます。 タヒチに渡った時には、ほとんど無一文。船員として働いてお金を稼ぎ、下船したのがタヒチだったというのが真実のようです。当時、生活費の安いタヒチは暮らしやすかったのでしょう。そんな風にしてタヒチにたどり着いたゴーギャンに、親近感を感じてしまいます。でも、最終的に歴史に名を残すアーティストになるのですから、才能があったのは間違いがないようです。