【ジャンヌ・エビュテルヌの献身と絶望】

こんにちは! 初心者大歓迎の《骨董・美術品専門のオークションサイト》サムライオークション、スタッフの利休です。

相変わらず感染症の拡大はおさまらず、重症者や死者数が毎日発表されています。他の災害時も同じですが、単なる数字としか認識できない人と、たとえ知り合いがいなくても、当事者の痛みを感じて悲しい気持ちになってしまう人がいます。

この差は、どこにあるのでしょうか? 私は感受性がキーワードだと思います。言い換えれば他者への想像力や共感力。人に感染を広げないようにマスクをしよう、ワクチンを打とう、外出を控えようと言った行動も根っこは同じです。

感受性がどのように育まれるか、確かなことはわかりません。裕福な家庭で教育を受けても、他人の哀しみを理解できない人がいる一方、貧しい家庭に生まれても誰に対しても気持ちの優しい人がいます。ひと頃、感受性を豊かにすると話題の幼児教育が流行していましたが、成果のほどはどうだったんでしょうか。

ただ、生きる上で豊かな感受性が幸福につながるのかどうか、時にそれが悲劇を生むこともあります。アメディオ・モディリアーニ(1884〜1920年)とジャンヌ・エビュテルヌ(1898〜1920年)のストーリーは、そんなことを考えさせます。

彫刻家を志し、その才能にも恵まれながら、資金不足と結核によって途中で断念せざるを得なかったモディリアーニ。その後、彫刻の視点を絵画に応用し、フォルムの単純化によってその本質を浮かび上がらせる独自の表現を生み出したものの、なかなか評価が定まらず作品は売れず、そんな焦りを感じていた頃に、二人は出会いました。

二人が共に過ごした時代のパリは、画家や彫刻家をはじめ文学者や俳優なども多く暮らす芸術家の街でした。その中で手応えを感じながら、目が出ない苛立ちと悔しさにまみれていたであろうモディリアーニの姿を勝手に思い浮かべてしまいます。

ジャンヌは、そんな彼の才能を理解し、そのネガティブな感情も共有して、献身的に支えました。ただ、本来は彼女自身も豊かな才能を持つ画家であり、もう少し利己的に考えることができれば、彼女の人生もきっと大きく変わっていたはずです。

道半ばで病に倒れてしまったモディリアーニの死を受け入れることができず、彼の死の翌日に後を追ってしまったジャンヌ。他者を全人格的に自分ごととして受け入れる感受性は、喜びを倍に哀しみを半分にもしてくれますが、時に絶望に陥れることもあるようです。 彼女の墓碑銘には、《究極の自己犠牲をも辞さぬほどに、献身的な伴侶であった》と標されています。

【好きを仕事に《ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪》】

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ウィズ・コロナ時代の未来が多く論評されています。普通の風邪のようになるという専門家の意見もありますが、果たしてそうなるのでしょうか。全くわからないですね。健康なのにマスクをつけて部屋を出る時、今だに笑ってしまうことがあるんですが、誰がこんな未来を予測できたでしょうか。

人間はどんなに過酷な状況におかれたとしても、希望さえあれば耐えることができると言われます。では、希望とはどこにあるのでしょうか。私は自分が好きなもの、大切にしているものの中にあるような気がします。昔、将来やりたい仕事がわからないとそんな話題で時間を潰していた時期もありましたが、今思えば日常の中に好きなことはいくつかあって、その延長線上に今の自分の仕事や生活スタイルがあるなと感じます。若い時は、いろいろと自意識に悩まされるわりに、自分の内面にしっかりと目を向けることはできないものです。

ドキュメンタリー映画『ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪』(2018年日本公開)という作品があります。オリジナルタイトルは『Art Addict』。こちらの方がしっくりくるのですが、初公開された本人の肉声で語られる自分史を軸に、アーティストや美術関係者、評論家など、彼女を知る証言者たちがペギー・グッゲンハイムの人物像を多視点で丁寧に解説しています。

自分の最大の功績はジャクソン・ポロックの発見と語り、マルセル・デュシャンがモダンアートの先生だったこと、アルベルト・ジャコメッティやサミュエル・ベケット、サルバトール・ダリなど、幅広いジャンルのアーチストとの色恋話や買付時の逸話を紹介。そしてパブロ・ピカソやジャン・コクトーとの親交などなど…現代美術史の教材になるような貴重な映像が盛りだくさんに編集されています。

資産家の家に生まれた女性が道楽としてアートを蒐集し、権力の力で市場価格を釣り上げていったのでは? という穿った見方をしがちなのですが、そもそも彼女がモダンアートと関わり始めた1920〜30年代のヨーロッパでは、モダンアートは全く評価されていませんでした。40年に戦争の激化を恐れてパリから脱出する際にも、コレクションの一時避難先としてルーブル美術館に相談した彼女に対して、フェルナン・レジェやピカソ、ピート・モンドリアンの作品はルーブルで守る価値はないと断られたそうです。

確かに彼女が買い集めた、偉大なモダンアートコレクションの中心作品は、総額約4万ドル。今では、その中のどんな小品1点でも、4万ドルで買える作品はありません。当時、買付に臨む彼女は、アーチスト達からでさえ、裏では冷笑と軽視の対象だったようですが、それでも直感に従う勇気を持ち、それを貫き続けたことで他に類を見ない偉大なコレクターとして成功したわけです。

特にハンス・ホフマン、クリフォード・スティル、マーク・ロスコ、ロバート・マザーウェルなど、アメリカ抽象表現主義の画家が世に出たのは、彼女の功績が大きいのは間違いありません。その他にも、ヨーロッパとアメリカのモダニズムを結びつけ、シュールレアリスムと抽象表現主義が発展していく中で、彼女が果たした役割はとても大きなものだったと思います。 美術界だけではなく、一般的なビジネスの世界にも女性が活躍するフィールドがまるでなかった時代、彼女はどんな希望をもってその厳しい世界を生き抜き、成功をつかんだのか。ロールモデルにするのは難しいでしょうが、コレクターとはなんぞやを知るヒントにはなる映画だと思います。モダン・アートの分野ではありますが、骨董コレクターの方にもオススメです。

【ドラマのあるところ《舞台のバレエ・リハーサル》】

賛否の中開幕したオリンピック。それどころではないという事業者の方も多いとは思いますが、やはり始まってしまうと日本人選手の活躍に連日の報道です。

歳を重ねて涙腺が弱くなり、さっき知ったばかりの選手の金メダルにもウルウルしてしまったりします。本番の緊張感、対戦相手との相性、有力選手の棄権、気象条件などさまざまな不確定要素によってストーリーが生まれます。

大舞台で1番活躍した人が注目されるのはある意味当然なのですが、私はむしろ本番の舞台裏やこれまでの成長のプロセスに興味があります。舞台裏という意味では『江夏の21球』や、成長のストーリーと言えば『巨人の星』など名作は数多あります。

バレエの画家と評されるエドガー・ドガ(1834~1917年)。印象派に分類されますが、屋外で描かれた名作が多い印象派の巨匠たちに対して、ドガの作品はほとんどが室内。一説によれば眼の病気の影響のようですが、新しい光の表現方法に注力した巨匠に対して、ドガはその光の裏側にあるものを描きたかったのかな、という気がします。それは、どう表現するかよりも、何を描くかに自分の軸があったということです。

ドガの描いたバレエ作品には、華やかな舞台が描かれたものがほとんどありません。『エトワール』など本番の舞台を描いたと思われる作品も、ダンサーの踊りや身体性にフォーカスしたものではなく、俯瞰した視点から見える舞台袖が印象に残ります。そこにいるパトロンの影は、否が応でもダンサーとの関係性やその心理状態を連想させます。

宮廷から生まれた豪華絢爛なバレエの劇場には、本来画家が描きたくなる美しい光がたくさんあるはずです。しかし、ドガはあえて舞台裏、ダンサーの練習風景を中心に作品を制作しています。ドガが特権階級に所属し、一般の人が知り得ない、触れることのない舞台裏に自由に出入りできたということも、そのモチーフのとり方に影響があったのかもしれません。ただ、華やかな表舞台をそのまま表現しないというところに、ドガの感受性、美意識を感じます。 誰もが憧れる世界の裏側には、気の遠くなるような地道な練習があり、熾烈な競争や不本意な人付き合いもはっきりと存在していて、当時そこで生き抜く厳しさは市井の人々が感じている日常の苦労以上のものだったのかもしれません。だからこそ、一瞬の舞台の上では輝いて見えるという本質に、ドガの作品は気づかせてくれます。

【運の引き寄せ効果は!?《仏教美術》】

エンゼルス大谷翔平選手の活躍が続いています。本当に漫画みたいですよね。

大谷選手の話題で興味深いのが、高校生の時に書いたという目標達成シート。一部ファンの間では、曼荼羅チャートという言葉が使われているようですが、密教の世界観を伝えるために描かれた曼荼羅というよりも、もっと西欧的で合理的な方法論のように感じます。PDCAとかWOOPとか、そんな類のメソッドですね。

自分の目標を中心に据えて、放射状に設定した8項目の戦略に対して、具体的なアクションプランが書かれているのですが、注目したのはその中に《運》という項目があったことです。合理的で実践的なメソッドの中に、自分ではコントロールできない《運》についての項目があり、運気を上げるためと思われる行動指針が書かれています。私はここに日本的なバックボーンを感じました。

日本社会には仏教をルーツに持った文化が多く、意識していなくてもごく自然に刷り込まれている思考のスタイルがたくさんあります。キリスト教文化圏の祈りが、神のみわざ=ミラクルを願うとすれば、日本では因果応報という考え方によって、日々の善い行いが幸福をもたらしてくれる、そんな風に考えている人が多いのではないでしょうか。

七五三やお正月は神社にお参りに行き、結婚式はキリスト教会で、お葬式は仏教と、笑い話にもなりますが、それぞれの良いとこどりをしてうまく自分のものにしていると考えることもできます。何より自分と違う考えを否定せず、とりあえず受け入れるというそんな気質があったからこそ、新しいものを取り入れて上手にアレンジする、そんな融通無碍(ゆうずうむげ)なところが、とても日本的な魅力のひとつだと思います。

仏教美術は、日本の美術の原点だと思います。飛鳥時代、百済から仏教が紹介されて飛鳥寺や四天王寺が建立され、国家仏教化が一気に推進されました。当時の大陸は時代の最先端。流行りものに飛びついたわけですね。百済の使者によって日本に初めてもたらされた仏像を見て、当時の日本人たちは、その美しさに驚いたという記録が残っています。日本の仏教彫刻の歴史は、ここからスタートしました。

骨董市にもさまざまな仏像が出品されています。仏像を見て、いつ頃の時代のものか、木彫か塑像か、どんな宗派の像かなど、そんな情報も気になると思います。でも、仏像と出会った時、細かい客観情報ではなく、いいなと感じられるかどうかという自分の直感が最も大切なのではないでしょうか。

専門家や特別なコレクターでもなければ、身近において毎日過ごしたいと思えるかどうかだけを拠り所にすれば、それで十分だと思います。本来仏像の鑑賞とは、そういうものだと思います。

サムライオークションでは現在、《仏像》で検索しますと以下の出品を確認できます。

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【推しから考える、自分が共有したい価値観《化粧》】

今年1月に発表された第164回芥川賞作品『推し、燃ゆ』。受賞時21歳、2作目の作品ですが全く異なる作風。数々のインタビュー記事から、宇佐美りんに大谷翔平並の才能を感じています。

ところで、美術ファンであればどなたにも『推し』作家がいるのではないでしょうか。では、なぜそのアーティストが、自分にとって特別な存在なのか考えたことはありますか? 『作品が好き』『生き様がかっこいい!』『新しい表現を追求しているから』などなど、十人十色の声が聞こえてきそうです。

推す理由を考えることは、自己分析につながります。そこからわかるのは、自分が大切にしている価値観。作家やあるいは作品の魅力として感じる何かは、あなたが誰かと共有したい大切なことではありませんか?

その意味で私が魅力を感じる作家にトゥールーズ・ロートレック(1864〜1901)がいます。ロートレックは、南フランスで千年以上の歴史を持つ貴族の家系に生まれました。当時の上流階級、名家ですね。ただ、二度の骨折により脚の発育が止まってしまいます。現代医学の見地からは、遺伝的特質と考えられているそうですが、その病気によってリセと呼ばれる日本の高校相当の学校から退学し、父親からも疎まれ、孤独な青春時代を過ごしています。

その後、家族の友人であった動物画家に師事したのをきっかけに絵画を学び初めた彼は、パリの中心となっていたモンマルトルへと向かいます。学び初めた当初の彼の絵は、馬や身近な人の肖像画などが中心でしたが、徐々にその作品の中心は市井の人々や大衆文化の世界へと移っていきました。

ロートレックが過ごしていた19世紀末〜20世紀初頭、モンマルトルは退廃的な歓楽街。イメージとしては新宿歌舞伎町でしょうか。19世紀フランスには公娼制度があり、そこはブルジョワ階級の男たちが集うサロンとなっていました。現代の風俗店とは、全く異なります。そのあたりの様子は、私の推し映画監督であるパトリス・ルコントの『歓楽通り』に詳しいので興味のある方はぜひご覧になってください。

特別な権力を持つ金持ちの男と娼婦たち。きっと毎夜のように、様々なドラマが繰り広げられていたのでしょう。ロートレック後期の作品には、そんな世界に身を置く娼婦を描いたものが多数あります。

超がつくほど裕福な家庭に生まれ、しかし病気で大きな挫折を経験。家を出て都市に暮らしながら自己表現を生きる道標とする暮らしの中で、作品のモチーフに選んだのが市井の人々であり、娼婦たちでした。

今も昔も、大都市は社会的弱者に居場所を与えてくれます。特権階級に生まれながら、都市の底辺に暮らす人々にその眼差しを向けた理由には、彼の成長の軌跡が大きく影響している事は間違いないでしょう。 娼婦の支度風景を描いている《化粧》には、日々を懸命に生きる人間の一瞬が美しく、そして儚く切り取られている、そんな気がします。

【時間を使って丁寧に楽しむ茶陶《萩焼》】

こんにちは! 初心者大歓迎の《骨董・美術品専門のオークションサイト》サムライオークション、スタッフの利休です。

コロナ禍でもやはりオリンピックは開催されるようです。感染拡大が心配ですが、でも始まれば盛り上がってしまう、そんな予感がします。そう言えば、今回のオリンピックからサーフィンが正式種目として採用されています。実は昔、波乗りが大好きでした。

最初は全くボードに立てず、コンディションも日によって違うのでなかなか上達しません。でもだからこそ、少しずつ上達していく時の喜びや達成感が大きくて、どんどん深みにハマっていきました。

話は変わって、怖いお父さんの娘さんに、いわゆる『良い女』が多いというトリビアを聞いたことがあります。手に入れるためのハードルが高いほど、戦利品の価値が高く見えるというような落ちだったと思いますが、確かに一理あります。

簡単に手に入るものはスグに飽きてしまったり、大切に扱わなくなったりといった側面があるのかもしれません。ポイントは、それを手に入れるために自分がどれだけ多くの身銭を切ったのか。身銭はお金だけではなく、時間とかエネルギーと置き換えることもできます。

手に入れる時の身銭の大きさはさておき、時間をかけてその表情の変化を愛でながら育てるのが茶陶の楽しみ。中でも萩焼は七化けというように、使いこむうちに貫入やピンホールを通してお茶が染み込んで色合いが変わり、味わいを増してくることが際立っています。

萩焼は、土の風合いを生かした素朴な造形が特長です。絵付けなどの作為的な装飾は、ほとんど行われません。釉薬は、なめらかに透けて素地の土色を魅力的に見せる枇杷釉と、立体的でぼってりと温かみのある白萩釉(藁灰釉)の2種類が主流。どちらも土の個性を生かして、魅力的な景色を引き出してくれる釉です。

シンプルな茶碗だからこそ奥が深く、偶然に支配されたその景色は簡単にコントロールできないこと。使い手としては、時間をかけて丁寧に大切に使えばじわじわと味わい深く育ち、愛着がわいてくること。だから長く付き合って飽きがこない。このあたりに、これからの時代を楽しく生きていくための大切なヒントも隠れているように思います。

何でも効率優先の現代だからこそ、時間を使って丁寧に楽しむ生活骨董、茶陶、そして萩焼の魅力を再発見していただきたいですね。

サムライオークションでは現在、《萩焼》で検索しますと以下の出品作品を確認できます。

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【作為のない純粋な想いのカタチ《縄文土器》】

こんにちは! 初心者大歓迎の《骨董・美術品専門オークションサイト》サムライオークションスタッフの利休です。

200万年前〜紀元前1万年頃までが旧石器時代と呼ばれます。その頃の日本は縄文時代(紀元前1万〜紀元前300年頃)。人々は内陸から海岸部に少しずつ移動していき、同時に食物も変化していったと考えられます。

食生活が変われば調理のための道具も進化します。煮炊きや食料保存のための土器が作られました。縄文土器です。日本の美術史では縄文時代からスタートするのがスタンダードですが、その理由はこの縄文土器に独創性があり、そこに魅力を感じる人が多いからだと思います。

骨董市でも縄文土器は出品されています。土器のカタチや文様はとても多様で、さらにそれらの文様には現代人が考える作為的なものはなく、恐らくはその作り手たちの『おもしろい』、『楽しい』と言ったような純粋な想いから発想されたものである、というところがとても面白いと感じます。新しい表現をとか、もっと売れるものをとか、考える必要がなかったわけですから、当然と言えば当然。プリミティブアートに共通する魅力です。

縄文時代は、焚き火のような野焼きによって土器を焼成していました。この場合、炎の温度はだいたい600℃。弥生時代には焚き火を土や藁で覆って焼く方法が用いられるようになり、古墳時代に窯を用いて土器を焼くようになったと考えられています。窯を使うと焼成温度は約1000℃。低い温度で土器を焼くと表面が素焼きのような茶色味を帯びるのに対して、窯を使って焼くと灰色がかってきます。

土器に意図的に作ったデザインが表現されるようになるのは弥生時代頃。その頃から色つけされたものが見られるようになります。使われている土によっても色は変化しますし、その変化に気づいた弥生人たちは少しずつ土器のカタチやデザインを愛でたり、楽しむようになっていったのだと思います。 市場原理と無関係ではいられない私たちだからこそ、作為のない純粋な想いから生まれた土器のカタチに一層魅力を感じてしまうのかもしれませんね。

【美意識の革命につながる利休の《見立て力》】

こんにちは!《骨董品・美術品専門のオークションサイト》サムライオークションスタッフの利休です。

この春先に足を運んだ骨董展でユニークな花器を見つけました。と言っても最初はそれが花器なのかどうか、はっきりはわかりませんでした。約10cm角、高さはだいたい50cmくらい。もともとは家の柱だったようですが、くり抜いて花器として使われだしてからどのくらいの時間が経っているのか、定かではありません。

ただその表情は味わい深く、和室はもちろん、モダンなリビングでも十分におしゃれなインテリアとして成立すると思います。私にとっては、住宅建材としての柱を花器に見立てるのは斬新だったのですが、考えてみれば縦長で柱状のフラワーベースはたくさんあります。言われてみれば確かにそうだけど、提示してもらってはじめてなるほどと気がつく、それが見立てる力、発想力です。

名前をお借りしているのがお恥ずかしい次第ですが、千利休(1522〜1591年)は漁師が腰につけていた魚籠(びく)や瓢箪(ひょうたん)を花入れとして、茶会に持ち込んだという逸話があります。見立てによって、日常に潜んでいる《美》を発見する、発想力が豊かな人だったんですね。その見立て力の高さにも通じますが、私にとって利休の最大の魅力は、自らの美意識を信じて価値観の転換、美意識の革命を行ったこと。つまり、それまでの常識を疑って、自分の美意識によって新しい《侘び茶》という様式を確立させたところです。

書画も茶道具も、当時の先進国である中国(明の時代・1368〜1644年)から輸入され、貴ばれていたのは珍しくて豪華な『唐物(からもの)』でした。道具は青磁や天目茶碗が最も珍重されていたようです。そんな富裕な商人たちの贅沢な遊びの中に、利休は朝鮮半島由来の日用の茶碗や、信楽や備前の陶器など素朴で新しい価値観を取り入れたり、わずか2畳の『草庵茶室』を生み出しました。

歴史上の権力者たちがその住まいとして建てた建造物というのは、その権力が強ければ強いほど、それに比例して大きくなります。絢爛豪華で大きければ大きいほど良いというのが、世界中の専制君主に共通してみられる価値観ではないでしょうか? その価値観に対して、真っ向から異を唱えているのが利休の作った《草庵茶室》です。

誰もが同じように頭を下げて小さな入口から入って、質素で狭い部屋の中でお茶を飲む文化というのは紛れもなく唯一無二。その精神は禅宗の影響を受けているようですが、確かに今・ここ・自分に集中することはできそうです(笑)。諸行無常を体得した先に誕生したスタイルなのかもしれません。 サムライオークションのサイト内には、あなたの発想力を豊かにしてくれる、そんなユニークな出品があるかもしれません。お時間のある時にぜひアクセスしてください!

【作家の心象を知り、作品を深く味わう】

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後悔先に立たず。無理をしてでも時間を作って行くべきでした。神奈川県立近代美術館から松濤美術館へと巡回展示される予定だった【フランシス・ベーコン:バリー・ジュール・コレクション】展が、緊急事態宣言延長を受けて閉幕しました。盲亀浮木と言いますか、とても貴重な機会を逃してしまったようです。

20世紀で最も重要な画家の一人と評価されているフランシス・ベーコン(1909〜1992年)。

専門の美術教育を受けていない彼が、どのように強烈なオリジナリティを確立させていったのか。あるいは、生前に(下絵としての)ドローイングは描かないと話していた彼の習作らしきドローイングから、その創作プロセスを知ることができる日本初公開の貴重なコレクション展だっただけに、展覧会の中止はとても残念です。

怖れとか恐怖とか、そういう感情を呼び覚まされるベーコンの作品。そこに現代社会に生きている自分の中にあるリアリティや実感みたいなものを感じてしまうからこそ、どこかに答えが埋もれているようでもっと見たいという気持ちになるのだと思います。未だに強い力を持ち続けている作家の創作の秘密を少しでも知りたくて、せめてもにと展覧会の公式カタログを入手しました。

改めて実感したのは、やはり作家の情報に多く触れる事は作品の理解を深め、想像世界の楽しみを広めるのだなということ。つまり、作家本人は見せたがっていなかった創作過程や、ライフワークとも呼べるような日常の創作物を知ることで、作品の意図や思い入れ、気持ちの変化などを確かに感じ取ることができました。

作家の人格と作品を関連付けるべきではない、という意見にも一理あるとは思いつつ、同時代を生きていた現代作家だからこそ、いま目の前にある不条理や混乱、苦悩といったテーマがベーコンの人生からどのように立ち上がってきたかは想像がしやすく、作品の答え合わせをしているような気分になりました。これが中世以前の作家の場合には、こうはいきません。 自分の死を予見していたかのように、ゲイの愛人を追ってスペインに向かう当日、友人であるバリー・ジュールに預けた作品と創作活動の断片たちは、独特の表現を生み出すプロセスやモチベーション、エネルギーを感じさせると同時に、ベーコンの純粋な人間性やその絶望や切望にも触れることができる一級のコレクションだと思います。

【価値感の転換が新しいアートを生み出す】

こんにちは! 初心者大歓迎の《骨董・美術品専門のオークションサイト》サムライオークション、スタッフの利休です。

ポストコロナの世界が話題になることが多くなってきました。予想もしなかったパンデミックは、私たちの社会や意識に大きく影響を与えたのは間違いありません。そんな中、骨董から現代美術まで美術市場は拡大しているようです。若者が多く参加しているアートオークションの様子や、アート作品を共同購入する新しい投資サービスの紹介などが、毎日のように報道されています。

多くの展覧会が中止になり、美術館も休館となる中、なぜ美術市場が拡大しているのでしょうか? さまざまな分析がされていますが、やはりこれまであたりまえだった日常が崩壊し、ある種の価値観に疑いの目が向けられたことが影響しているのでしょう。常識を疑い、疑問符を投げかけ、そしてそれがある種の救いやエネルギーにつながっていく効用がアートにはあります。

1980年代初頭、ニューヨークのゲイ・コミュニティでHIVウィルスによる免疫不全症候群=エイズが流行しました。感染力は強くありませんでしたが、治療薬の無い病としてエイズの恐怖は社会に蔓延していました。そのタイミングで、キース・ヘリング(1958〜1990年)やバスキア(1960〜1988年)といった前衛アーティストが登場してきたことは、ある種の社会不安と無関係ではない気がします。

そのキース・ヘリングにルーツを持ち、バスキアも描いたのがバワリー壁画。現代アートの本場、ニューヨークで認められたアーティストだけが描くことが許されるこの壁に2019年、作品を描いた日本人アーティストが松山智一(まつやま・ともかず:1976年〜)です。

ニューヨーク在住の松山ですが、ここ数年日本のメディアにも多数登場しています。早朝のロードワークから1日をスタートし、アトリエでは経営や人事マネジメントの本を読み、建築施工さながらに作品制作の工数を緻密に管理し、曰く『アーティストとして成功するために才能は全く必要ない』『届けることができなければアートはゴミ』ととても新鮮で刺激的です。 全くの独学でアート制作を学び、ニューヨークでトップアーティストとして認められるようになった彼は、リアルタイムで現代アートの文脈を更新しているのだと思います。その作品は北斎やピカソ、ポロックなど東洋と西洋、具象と抽象、古典と現代をリミックスした表現。コロナ禍でも上海で大規模な展覧会が開催されるなど、今後ますます世界の美術市場で注目される存在だと思います。