【現代人がアートに求めるもの《11時/エドワード・ホッパー》】

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『ひとつ一人じゃ寂しすぎる、二人じゃ息さえもつまる部屋』♪ という歌い出しで始まる数え歌があります。松本隆作詞、吉田拓郎作曲の『あゝ青春』。タイトルはベタなのですが、作詞家の才能を感じる言い得て妙の表現です。

自粛生活が長引いて、人と会うことが極端に減りました。コロナ禍以前は、友達同士でも家族でも、ちょっと1人になりたいなと、そんな瞬間がそれなりにあったと思います。でも、特に一人暮らしの方、1人の時間がこれだけ続くとそれはそれで堪えます。

孤独について学んだのは、福永武彦の名著『愛の試み』でした。孤独とは人間存在のベースであり、努力なしでも孤独が満たされている状態にあるのは赤ん坊だけ。つまり、赤ちゃんは心から自由に振る舞っても許される、愛される存在であるけれども、自我が目覚めた瞬間から人は自分と向き合い、さまざまな努力をしながら孤独と付き合っていくしかないと、そのように理解しました。

人間は、成長し社会化していくとともに何らかのコミュニティーに所属し、人と出会い、コミュニケーションをとりながら孤独を埋め合わせる、あるいは孤独を豊かな存在にしていく、そんな存在です。時に対立したり、鬱陶しかったりしますが、いざ所属するコミュニティーの存在が無くなってしまえは、目の前には茫漠たる孤独が広がっていくだけです。

現代社会に生きる私たちの、等身大の孤独を描いた画家、エドワード・ホッパー(1882〜1967年)。とても人気のあるアーティストですが、ホッパーの絵の魅力は《誰もが知っている》心象風景にあると思います。友人と一緒にいてもなぜか寂しい、あるいは賑やかで楽し気な場所にいても心の中では全く別のことを考えている、でもその理由にはなかなか自覚的になれない。そんな寂寥感は現代人特有のものであり、孤独との向き合い方にその原因はあると思います。

ホッパーの絵には物語があり、そのどれもが強度をもっています。つまり、話の先が知りたくなるのです。舞台はいい感じのレストランだったり、高級ホテルだったり、大人のための場所。登場人物はミニマムに設定され、経済的に自立した人間に思えます。必要なものは手に入れたけれど、それでもなお満たされない、そこに鑑賞者はある種の共感をもち、自分のストーリーを重ね合わせます。 奥行きのある物語と共感性、現代人がアートに求める本質は、そんなところにあるのではないでしょうか。

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