【文房清玩の目利き〈百八研齋〉渡邉久雄さんを訪ねて】

2月某日、〈百八研齋〉の渡邉久雄さんを訪ねました。

「文房清玩(注)」の目利きとして知られる渡邉さん。15歳から奉公していた浅草の書道用品専門店〈宝研堂〉で古硯と出合い、見たことのない色、姿形、彫刻などに魅了されたといいます。以降、硯、筆、墨、印材など、文房にまつわる多くの名品・珍品を蒐集。定年までの50年間、公私共に文房清玩と歩んできました。

文房へ向けられた情熱は退職後もなお冷めやらず、むしろ渡邉さんの“人生”ともいうべき大趣味に。膨大なコレクションを自宅の書斎に展示し、屋号を〈百八研齋〉と定め、文房の愛好家へとひらいてきました。さらに、東京都葛飾区立石に店舗を構え、多くの人に文房清玩の魅力を発信しています。

(注:文房清玩とは、筆墨硯紙といった文房四宝に加え、水差し、硯屏、文鎮、印材など、中国の文人が賞玩した品々のこと)

今回、店舗だけでなく、自宅の書斎兼ギャラリーに通していただき、渡邉さんのさまざまなコレクションを拝見。「すばらしいものを、数多く見るということが大切なんです」と、書斎の片隅から、奥の倉庫から、2階から、何度も部屋を出入りしては、数多くの名品を広げてくださいました。

そのうちのひとつがこちら。1970年代に彫られた、端渓石の「雲龍有眼硯」です。

比較的年数の若い、縦横30センチ程の大ぶりな硯ですが、龍の口元、爪、鱗に至るまで妥協など一切ない、ミリ単位の緻密な彫り。触れるのが怖いほどです。

「私もこの硯を見たときは、鳥肌が立ちました」と渡邉さん。

彫りの凄まじさもさることながら、突然表れる石眼(石の紋様)を、なぜこのように自然な形でモチーフに含め活かすことができるのか……手がけた職人の技術力の高さと、圧倒的な感性に驚愕しっぱなしの作品でした。

中国へ何度も足を運び、硯の産地を訪ね、現地の人とさまざまな交友関係を築いてきた渡邉さん。その審美眼と情熱を認められているからこそ入手できた貴重な品も。

こちらは安徽省の歙州硯(きゅうじゅうけん)の産地を訪れた際に譲り受けた「歙州硯石紋三十種」。世界に2点のみ存在する、貴重な資料です。

硯のほかにも、印材、墨、文化大革命前につくられたという入手困難な毛筆、中国の吉祥文様が描かれた蝋箋など、姿の美しい品々がずらり。

できるならば、ひとつひとつを時間をかけてじっくり眺めて過ごしたい……。そんな欲望をふつふつと湧かせる書斎は、もはや美術館にも勝るとも劣らない、唯一無二の場所だと感じました。

渡邉さんの活動は、中国のすばらしき品々の蒐集だけではありません。日本の文房にまつわる作家の偉業を後世に伝えていきたいと、趣向を凝らした資料制作にも力を入れています。

下の写真は、近代日本の篆刻家・中村蘭台、二代目蘭台秋をはじめ、大正・昭和期に活動した約60名の印人の篆刻作品をまとめた『百八研齋蔵印選』。約20年かけて印を100点ほど集め、篆刻印、側款、画をつけ、8巻にもなる資料を制作しました。

また、現在取り組んでいるのは、明治期に紀州の墨づくりを復興させ、多くの銘墨を残した鈴木梅仙の「梅仙墨」の資料制作。数年をかけて20点ほど蒐集し、『百八研齋蔵印選』とは趣向を変えた資料づくりを進めているのだとか。

希少で貴重な品をひとつでも多く後世に残し、文房清玩の文化や魅力を永続的に伝えていきたい、というのが渡邉さんの切なる願い。「どうか譲ってほしい」と申し出る客人もいるようですが、一度手放せば二度と手に入れることは不可能に近いものばかり。だからこそ手放せない、といいます。

そして、若い人にこそ、これらのコレクションを見て、触って欲しいという渡邉さん。

「今は硯も墨も売れなくなっている時代。筆の職人さんなんかは年々少なくなっています。でも、こういった姿形の美しいものがたくさんあるということを、若い人たちにも知ってもらって、たくさん見て、目を肥やして、文房清玩の世界に興味を持ってもらいたい。文化を繋いでいってもらいたい。若い人にこそ、間近で触れられる資料として、どんどん見せていきたいんです」

年内には渡邉さんが所蔵する108点のコレクションを紹介する書籍を上梓する予定。さらに今後、個展の開催も視野に入れているのだとか。

日本の文房界において大きな偉業と名を残すことは間違いない渡邉さん。これからの活動にも注目必至です。

Information

百八研齋

住所:東京都葛飾区東立石3-25-14

TEL:03‐5875‐7590

営業時間:10時~18時(日曜は17時まで)

定休日:月曜、祝日

Twitter

骨董品・美術品専門オークション「サムライオークション」はこちら