【推しから考える、自分が共有したい価値観《化粧》】

今年1月に発表された第164回芥川賞作品『推し、燃ゆ』。受賞時21歳、2作目の作品ですが全く異なる作風。数々のインタビュー記事から、宇佐美りんに大谷翔平並の才能を感じています。

ところで、美術ファンであればどなたにも『推し』作家がいるのではないでしょうか。では、なぜそのアーティストが、自分にとって特別な存在なのか考えたことはありますか? 『作品が好き』『生き様がかっこいい!』『新しい表現を追求しているから』などなど、十人十色の声が聞こえてきそうです。

推す理由を考えることは、自己分析につながります。そこからわかるのは、自分が大切にしている価値観。作家やあるいは作品の魅力として感じる何かは、あなたが誰かと共有したい大切なことではありませんか?

その意味で私が魅力を感じる作家にトゥールーズ・ロートレック(1864〜1901)がいます。ロートレックは、南フランスで千年以上の歴史を持つ貴族の家系に生まれました。当時の上流階級、名家ですね。ただ、二度の骨折により脚の発育が止まってしまいます。現代医学の見地からは、遺伝的特質と考えられているそうですが、その病気によってリセと呼ばれる日本の高校相当の学校から退学し、父親からも疎まれ、孤独な青春時代を過ごしています。

その後、家族の友人であった動物画家に師事したのをきっかけに絵画を学び初めた彼は、パリの中心となっていたモンマルトルへと向かいます。学び初めた当初の彼の絵は、馬や身近な人の肖像画などが中心でしたが、徐々にその作品の中心は市井の人々や大衆文化の世界へと移っていきました。

ロートレックが過ごしていた19世紀末〜20世紀初頭、モンマルトルは退廃的な歓楽街。イメージとしては新宿歌舞伎町でしょうか。19世紀フランスには公娼制度があり、そこはブルジョワ階級の男たちが集うサロンとなっていました。現代の風俗店とは、全く異なります。そのあたりの様子は、私の推し映画監督であるパトリス・ルコントの『歓楽通り』に詳しいので興味のある方はぜひご覧になってください。

特別な権力を持つ金持ちの男と娼婦たち。きっと毎夜のように、様々なドラマが繰り広げられていたのでしょう。ロートレック後期の作品には、そんな世界に身を置く娼婦を描いたものが多数あります。

超がつくほど裕福な家庭に生まれ、しかし病気で大きな挫折を経験。家を出て都市に暮らしながら自己表現を生きる道標とする暮らしの中で、作品のモチーフに選んだのが市井の人々であり、娼婦たちでした。

今も昔も、大都市は社会的弱者に居場所を与えてくれます。特権階級に生まれながら、都市の底辺に暮らす人々にその眼差しを向けた理由には、彼の成長の軌跡が大きく影響している事は間違いないでしょう。 娼婦の支度風景を描いている《化粧》には、日々を懸命に生きる人間の一瞬が美しく、そして儚く切り取られている、そんな気がします。

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