煌めく1400年前の王朝“長安”の文化に触れる!『長安・夜の宴 ―唐王朝の衣食住展―』

東京都・飯田橋にある〈日中友好会館美術館〉では、唐王朝(618~907年)の衣食住に触れる展覧会『長安・夜の宴 ―唐王朝の衣食住展―』が開催されています。

7~10世紀初頭までの約300年にわたって栄えた中国の統一王朝「唐」。漢詩、山水画、書、陶芸、茶など、多様な文化・芸術が隆盛したのもこの時代。漢詩で名高い李白や杜甫もこの時代を生きました。国際都市として賑わいを見せた当時の暮らしはどんなものだったのか、興味をお持ちの方も多いはず。ちなみに、観覧は無料です!

奈良の平城京、京都の平安京のモデルとされる「長安の街」

敵の侵入を防ぐべく高い城壁に囲まれた唐長安城。外周は約36キロメートルと広大で、約100万人の人々が暮らしていた、と紹介されています。碁盤の目のような正方形の区画は「坊」と呼ばれ、各坊には平均して1万人が暮らしていたとのこと。

この唐長安城内には、坊門が閉まったあとの大通りの通行を禁止する「夜間外出禁止令」が布かれていたといいます。これは夜遊びを禁止するものではなく、住民の移動を制限し、治安を維持するための禁止令。もちろん、各坊では小さな商店が軒を連ね、音楽を奏でたり、宴会をしたりと、夜も賑わっていたのだそう。さまざまな文化が生まれ、隆盛したというこの時代の夜のさざめきを想像するだけで、ワクワクしてしまいます。

また、この都市モデルは遣唐使によって日本に伝わり、平城京や平安京のモデルになったとも。先日、紫式部が主人公の大河ドラマを見ていたとき、CGの平安京の街並みが登場したのですが、まるで本展の「唐長安城地図」そのもの。

ちなみに、この左右対照的な建築形式は、後の北京の街づくりにも影響を与えたのだとか。唐長安城、すごい!

女性の活躍も著しかった唐時代

他王朝に比べると、高い社会的地位と権力を得ていたという唐の女性たち。まず、特筆すべきは中国史上唯一の女帝・武則天が誕生したのもこの時代。現在でも女性が国を統一するとなれば、歴史的な大ニュースになることがほとんどです。それが600年代に既に実現されていたとは……! 柔軟な視野を持つ時代だったことがうかがい知れます。

また、女性であっても配偶者を自由に選んで結婚・離婚をしたり、宮廷の役人として働いたり、馬に乗って矢を射ることもできたのだとか。

一方で、それまで女性の装束は体を覆いつくすものが主流でしたが、唐時代では透き通った絹織物を羽織るなど、肌を露出するファッションが流行。女性ならではの艶やかさの表現にも意識が向けられたようです。

さまざまな美を追求した当時の女性たちは、髪型、メイク、アクセサリーにもこだわりが。「高髻(こうけい)」と呼ばれる、髪を高く結い上げるスタイルが流行し、金に輝石をあしらった簪などをさしていた様子。

初唐・中唐・晩唐それぞれに流行した高髻やメイクなどがイラストを用いて紹介されており、各時代の美に対する嗜好がうかがい知れ、とても興味深く感じました。

唐時代に制作された美術品の特別展示も

さらには、唐時代の食卓や食文化、愛飲したお酒、お茶をはじめ、シルクロードを通じて他国との交易のなかで生まれた文化などにも触れられています。日本という国が、いかに唐に多くの影響を受けたか、文化受容の経緯も感じられる展示内容でした。

本展に展示されている美術品の多くは複製品ですが、「白磁盤口壺」「三彩杯」「青磁椀」「黄釉加彩婦女騎馬俑」と、7~8世紀の唐の時代に制作された美術品も展示されています。

また会期中は、映画上映、中国琵琶の演奏会なども実施されています。ご興味のある方は、狙ってお出かけください!

左の俑は、7世紀頃に埋葬の副葬物として作陶された「黄釉加彩婦女騎馬俑」

Information

長安・夜の宴 ―唐王朝の衣食住展―

会期:2024年10月11日(金)~12月1日(日)

会場:日中友好会館美術館(東京都文京区後楽1丁目5番3号)

開館時間:10時~17時(11/15、11/29は20時まで開館)

休館日:月曜

観覧料:無料

お問い合わせ:03-3815-5085

リンク:日中友好会館美術館