【想像力はネガティブにも働く《わが子を喰らうサトゥルヌス》】

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日本政府の借金は、今年1200兆円を超えました。世界ダントツのNO1。日本が1年間で生み出す生産財(GDP)の2倍を超えています。単年度の予算で考えても20年以上、国が1年間に支出するお金の1/3が毎年借金で賄われている事実があります。コロナ対策で借金は爆発的に増え続けています。

(財務省HP)

MMTなどの金融理論によって、先進国はいくら債務が増えても大丈夫だという考え方は、政府要人の中にもあります。金融業界のプロ達は、それぞれの立場によって、イケイケ型から不安を煽る人までさまざま。プロでも未来は全く予測できません。

『思考は現実化する』とは、どこかの啓蒙書のセールスコピーだったでしょうか。似た言葉に『人間が想像できることは、必ず実現できる』(ジュール・ヴェルヌ)や、『一念岩をも通す』という故事もあります。いずれにしても、人間の思念のエネルギーをポジティブに表しています。

想像することは、確かに強いエネルギーを生み出します。ただ、ある種の怒りや不安、妬みなども空想や思い込みから生まれることを思えば、人間の想像力は時に強力なネガティブパワーにもなりえます。金融市場は、実態経済以上に思惑や予測という名の『想像』によって、プラスにもマイナスにも変化し、ひとたび勢いがつくとなかなか止まらない巨大船舶のようなもの。凡庸な庶民としては、金融恐慌などが起こらないように祈るばかりです。

ローマ神話に登場する農耕神サトゥルヌス(ギリシャ神話のクロノス)は、時をつかさどる神。農業の神様が時をコントロールする設定に、深い含意を感じます。自らの父親を鎌で去勢した後に殺したサトゥルヌス(ちなみに、去勢された男性器から誕生したのがヴィーナス)。死にゆく父親ウラノスから、『おまえも自分の子供に殺されるだろう』との予言を与えられ、その言葉から勝手に想像をたくましくして恐怖におののいた結果、自らの子供5人を食らうという暴挙に出ます。

《我が子を食らうサトゥルヌス》は、ゴヤ(1746〜1828年)晩年の連作「黒い絵」の中の1点。予言という不確かな未来予想から、自らの子供を殺してしまうサトゥルヌスは、真に大切なものを理解していない愚かさの象徴として、あるいは想像力の誤った使い方による悲劇として、読み解くことができます。

スペイン国王に仕える宮廷画家でありながら権力者に媚びず、風刺画を通じて一般民衆に真理や正義を問うたゴヤの作品の中で最もインパクトがあり、同時にさまざまなインスピレーションを与えてくれる絵画だと思います。

【本当の革新が世界を変える《アビニヨンの娘たち》】

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この夏、バットマンシリーズのロビンが実はバイセクシャル(両性愛者)だった、というユニークなニュースがありました。コミック『バットマン/アーバンレジェンズ』最新刊の中で、3代目ロビンのティム・ドレイクが男性からのデートのお誘いをはにかみながら受け入れるシーンが描かれています。東京オリンピック2020でもゲイのメダリストのスピーチが話題になったり、LGBTQについての認知は先進国を中心に着実に広がっているようです。

2006年のアカデミー賞3部門を受賞した『ブロークバック・マウンテン』は、普遍的なラブストーリーとして鑑賞できる優れた映画ですが、60年代アメリカのホモフォビア(同性愛嫌悪)の様子がリアルに描かれていて、そんな社会背景の中でのゲイカップルの愛憎劇という設定が物語の緊張感や魅力を高めていました。

人間は自分の理解を超えたもの、得体の知れないものについて、本能的に嫌悪する特性があるようです。それは、生物学的にも社会学的にも、進化論(受け継がれてきた遺伝的特質)として説明がつくようですが、アートの世界も同様です。

ルネサンスを経て、新古典主義、ロマン主義と、近世に完成されたと思われていた絵画芸術に、全く新しい表現技法を取り入れてバージョンアップさせた印象主義。印象派の登場によって、絵画表現はアーティストの主観を取り入れて、画家の個性をより投影するように発展してきました。

しかし、1870年頃、ポール・セザンヌ(1839〜1906年)やクロード・モネ(1840〜1926年)、ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841〜1919年)などが自然の光を主観に忠実に写し取ろうと試行錯誤していた当初、画壇の主流派は彼らを酷評し笑い者にしました。まだ評価の定まっていない画家にとって、力のある評論家から『作りかけの壁紙の方がまし』と書かれることは、どれだけ大きな言葉の暴力となったでしょうか。

そして、印象主義以上の革新がキュビスムです。パブロ・ピカソ(1881〜1973年)とジョルジュ・ブラック(1882〜1963年)によって生み出された絵画革命。それまでの具象絵画が一つの視点に基づいて描かれているのに対して、多視点から見た対象を面によって解体し、単純化して平面上に再構成する表現技法です。抽象ではなく、あくまでも具象絵画。それまでのあたりまえだった遠近法ではなく、全く新しい表現で現実の対象を捉えなおしています。

キュビスムの出発点とされる『アビニヨンの娘たち』(1907年)を描き上げた時、ピカソはすぐには絵を発表せず、一部の画家仲間にだけ見せたそうです。その時、アンリ・マティス(1869〜1954年)は腹を立て、アンドレ・ドラン(1880〜1954年)は、ピカソが首を吊るのではないかと心配したのだとか。専門家にもすぐには理解されなかったのですから、一般公開された美術展でも、観衆から『醜悪な作品』と非難され、1930年を過ぎてもまだ評価は確立されていなかったようです。

西洋美術史の文脈で考えれば、印象主義もキュビスムも絵画を超えたあらゆる芸術表現へ大きな影響を与え、現在ではその革新性ははっきりしています。そしてどちらの革新もおそらくは19世紀に写真が発明されたことに影響を受けているのだと思います。写真と絵画の違いについて、アーティストたちは考えたはずです。 500年を超える長い時間をかけて積み上げられてきた常識を壊して、新しい表現を追求し承認してもらうことの難しさといったら、恐らく凡人にはなかなか想像できないようなエネルギーが必要だったことでしょう。それでも本当の革新は、いつか世界を変えていくのだと思います。

【ジャンヌ・エビュテルヌの献身と絶望】

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相変わらず感染症の拡大はおさまらず、重症者や死者数が毎日発表されています。他の災害時も同じですが、単なる数字としか認識できない人と、たとえ知り合いがいなくても、当事者の痛みを感じて悲しい気持ちになってしまう人がいます。

この差は、どこにあるのでしょうか? 私は感受性がキーワードだと思います。言い換えれば他者への想像力や共感力。人に感染を広げないようにマスクをしよう、ワクチンを打とう、外出を控えようと言った行動も根っこは同じです。

感受性がどのように育まれるか、確かなことはわかりません。裕福な家庭で教育を受けても、他人の哀しみを理解できない人がいる一方、貧しい家庭に生まれても誰に対しても気持ちの優しい人がいます。ひと頃、感受性を豊かにすると話題の幼児教育が流行していましたが、成果のほどはどうだったんでしょうか。

ただ、生きる上で豊かな感受性が幸福につながるのかどうか、時にそれが悲劇を生むこともあります。アメディオ・モディリアーニ(1884〜1920年)とジャンヌ・エビュテルヌ(1898〜1920年)のストーリーは、そんなことを考えさせます。

彫刻家を志し、その才能にも恵まれながら、資金不足と結核によって途中で断念せざるを得なかったモディリアーニ。その後、彫刻の視点を絵画に応用し、フォルムの単純化によってその本質を浮かび上がらせる独自の表現を生み出したものの、なかなか評価が定まらず作品は売れず、そんな焦りを感じていた頃に、二人は出会いました。

二人が共に過ごした時代のパリは、画家や彫刻家をはじめ文学者や俳優なども多く暮らす芸術家の街でした。その中で手応えを感じながら、目が出ない苛立ちと悔しさにまみれていたであろうモディリアーニの姿を勝手に思い浮かべてしまいます。

ジャンヌは、そんな彼の才能を理解し、そのネガティブな感情も共有して、献身的に支えました。ただ、本来は彼女自身も豊かな才能を持つ画家であり、もう少し利己的に考えることができれば、彼女の人生もきっと大きく変わっていたはずです。

道半ばで病に倒れてしまったモディリアーニの死を受け入れることができず、彼の死の翌日に後を追ってしまったジャンヌ。他者を全人格的に自分ごととして受け入れる感受性は、喜びを倍に哀しみを半分にもしてくれますが、時に絶望に陥れることもあるようです。 彼女の墓碑銘には、《究極の自己犠牲をも辞さぬほどに、献身的な伴侶であった》と標されています。

【ドラマのあるところ《舞台のバレエ・リハーサル》】

賛否の中開幕したオリンピック。それどころではないという事業者の方も多いとは思いますが、やはり始まってしまうと日本人選手の活躍に連日の報道です。

歳を重ねて涙腺が弱くなり、さっき知ったばかりの選手の金メダルにもウルウルしてしまったりします。本番の緊張感、対戦相手との相性、有力選手の棄権、気象条件などさまざまな不確定要素によってストーリーが生まれます。

大舞台で1番活躍した人が注目されるのはある意味当然なのですが、私はむしろ本番の舞台裏やこれまでの成長のプロセスに興味があります。舞台裏という意味では『江夏の21球』や、成長のストーリーと言えば『巨人の星』など名作は数多あります。

バレエの画家と評されるエドガー・ドガ(1834~1917年)。印象派に分類されますが、屋外で描かれた名作が多い印象派の巨匠たちに対して、ドガの作品はほとんどが室内。一説によれば眼の病気の影響のようですが、新しい光の表現方法に注力した巨匠に対して、ドガはその光の裏側にあるものを描きたかったのかな、という気がします。それは、どう表現するかよりも、何を描くかに自分の軸があったということです。

ドガの描いたバレエ作品には、華やかな舞台が描かれたものがほとんどありません。『エトワール』など本番の舞台を描いたと思われる作品も、ダンサーの踊りや身体性にフォーカスしたものではなく、俯瞰した視点から見える舞台袖が印象に残ります。そこにいるパトロンの影は、否が応でもダンサーとの関係性やその心理状態を連想させます。

宮廷から生まれた豪華絢爛なバレエの劇場には、本来画家が描きたくなる美しい光がたくさんあるはずです。しかし、ドガはあえて舞台裏、ダンサーの練習風景を中心に作品を制作しています。ドガが特権階級に所属し、一般の人が知り得ない、触れることのない舞台裏に自由に出入りできたということも、そのモチーフのとり方に影響があったのかもしれません。ただ、華やかな表舞台をそのまま表現しないというところに、ドガの感受性、美意識を感じます。 誰もが憧れる世界の裏側には、気の遠くなるような地道な練習があり、熾烈な競争や不本意な人付き合いもはっきりと存在していて、当時そこで生き抜く厳しさは市井の人々が感じている日常の苦労以上のものだったのかもしれません。だからこそ、一瞬の舞台の上では輝いて見えるという本質に、ドガの作品は気づかせてくれます。

【推しから考える、自分が共有したい価値観《化粧》】

今年1月に発表された第164回芥川賞作品『推し、燃ゆ』。受賞時21歳、2作目の作品ですが全く異なる作風。数々のインタビュー記事から、宇佐美りんに大谷翔平並の才能を感じています。

ところで、美術ファンであればどなたにも『推し』作家がいるのではないでしょうか。では、なぜそのアーティストが、自分にとって特別な存在なのか考えたことはありますか? 『作品が好き』『生き様がかっこいい!』『新しい表現を追求しているから』などなど、十人十色の声が聞こえてきそうです。

推す理由を考えることは、自己分析につながります。そこからわかるのは、自分が大切にしている価値観。作家やあるいは作品の魅力として感じる何かは、あなたが誰かと共有したい大切なことではありませんか?

その意味で私が魅力を感じる作家にトゥールーズ・ロートレック(1864〜1901)がいます。ロートレックは、南フランスで千年以上の歴史を持つ貴族の家系に生まれました。当時の上流階級、名家ですね。ただ、二度の骨折により脚の発育が止まってしまいます。現代医学の見地からは、遺伝的特質と考えられているそうですが、その病気によってリセと呼ばれる日本の高校相当の学校から退学し、父親からも疎まれ、孤独な青春時代を過ごしています。

その後、家族の友人であった動物画家に師事したのをきっかけに絵画を学び初めた彼は、パリの中心となっていたモンマルトルへと向かいます。学び初めた当初の彼の絵は、馬や身近な人の肖像画などが中心でしたが、徐々にその作品の中心は市井の人々や大衆文化の世界へと移っていきました。

ロートレックが過ごしていた19世紀末〜20世紀初頭、モンマルトルは退廃的な歓楽街。イメージとしては新宿歌舞伎町でしょうか。19世紀フランスには公娼制度があり、そこはブルジョワ階級の男たちが集うサロンとなっていました。現代の風俗店とは、全く異なります。そのあたりの様子は、私の推し映画監督であるパトリス・ルコントの『歓楽通り』に詳しいので興味のある方はぜひご覧になってください。

特別な権力を持つ金持ちの男と娼婦たち。きっと毎夜のように、様々なドラマが繰り広げられていたのでしょう。ロートレック後期の作品には、そんな世界に身を置く娼婦を描いたものが多数あります。

超がつくほど裕福な家庭に生まれ、しかし病気で大きな挫折を経験。家を出て都市に暮らしながら自己表現を生きる道標とする暮らしの中で、作品のモチーフに選んだのが市井の人々であり、娼婦たちでした。

今も昔も、大都市は社会的弱者に居場所を与えてくれます。特権階級に生まれながら、都市の底辺に暮らす人々にその眼差しを向けた理由には、彼の成長の軌跡が大きく影響している事は間違いないでしょう。 娼婦の支度風景を描いている《化粧》には、日々を懸命に生きる人間の一瞬が美しく、そして儚く切り取られている、そんな気がします。

【時間を使って丁寧に楽しむ茶陶《萩焼》】

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コロナ禍でもやはりオリンピックは開催されるようです。感染拡大が心配ですが、でも始まれば盛り上がってしまう、そんな予感がします。そう言えば、今回のオリンピックからサーフィンが正式種目として採用されています。実は昔、波乗りが大好きでした。

最初は全くボードに立てず、コンディションも日によって違うのでなかなか上達しません。でもだからこそ、少しずつ上達していく時の喜びや達成感が大きくて、どんどん深みにハマっていきました。

話は変わって、怖いお父さんの娘さんに、いわゆる『良い女』が多いというトリビアを聞いたことがあります。手に入れるためのハードルが高いほど、戦利品の価値が高く見えるというような落ちだったと思いますが、確かに一理あります。

簡単に手に入るものはスグに飽きてしまったり、大切に扱わなくなったりといった側面があるのかもしれません。ポイントは、それを手に入れるために自分がどれだけ多くの身銭を切ったのか。身銭はお金だけではなく、時間とかエネルギーと置き換えることもできます。

手に入れる時の身銭の大きさはさておき、時間をかけてその表情の変化を愛でながら育てるのが茶陶の楽しみ。中でも萩焼は七化けというように、使いこむうちに貫入やピンホールを通してお茶が染み込んで色合いが変わり、味わいを増してくることが際立っています。

萩焼は、土の風合いを生かした素朴な造形が特長です。絵付けなどの作為的な装飾は、ほとんど行われません。釉薬は、なめらかに透けて素地の土色を魅力的に見せる枇杷釉と、立体的でぼってりと温かみのある白萩釉(藁灰釉)の2種類が主流。どちらも土の個性を生かして、魅力的な景色を引き出してくれる釉です。

シンプルな茶碗だからこそ奥が深く、偶然に支配されたその景色は簡単にコントロールできないこと。使い手としては、時間をかけて丁寧に大切に使えばじわじわと味わい深く育ち、愛着がわいてくること。だから長く付き合って飽きがこない。このあたりに、これからの時代を楽しく生きていくための大切なヒントも隠れているように思います。

何でも効率優先の現代だからこそ、時間を使って丁寧に楽しむ生活骨董、茶陶、そして萩焼の魅力を再発見していただきたいですね。

サムライオークションでは現在、《萩焼》で検索しますと以下の出品作品を確認できます。

《▼『萩焼』での検索結果・作品はこちらです》

サムライオークションに《茶陶》がもっと多く出品されると嬉しいです。応援よろしくお願いします!

【作為のない純粋な想いのカタチ《縄文土器》】

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200万年前〜紀元前1万年頃までが旧石器時代と呼ばれます。その頃の日本は縄文時代(紀元前1万〜紀元前300年頃)。人々は内陸から海岸部に少しずつ移動していき、同時に食物も変化していったと考えられます。

食生活が変われば調理のための道具も進化します。煮炊きや食料保存のための土器が作られました。縄文土器です。日本の美術史では縄文時代からスタートするのがスタンダードですが、その理由はこの縄文土器に独創性があり、そこに魅力を感じる人が多いからだと思います。

骨董市でも縄文土器は出品されています。土器のカタチや文様はとても多様で、さらにそれらの文様には現代人が考える作為的なものはなく、恐らくはその作り手たちの『おもしろい』、『楽しい』と言ったような純粋な想いから発想されたものである、というところがとても面白いと感じます。新しい表現をとか、もっと売れるものをとか、考える必要がなかったわけですから、当然と言えば当然。プリミティブアートに共通する魅力です。

縄文時代は、焚き火のような野焼きによって土器を焼成していました。この場合、炎の温度はだいたい600℃。弥生時代には焚き火を土や藁で覆って焼く方法が用いられるようになり、古墳時代に窯を用いて土器を焼くようになったと考えられています。窯を使うと焼成温度は約1000℃。低い温度で土器を焼くと表面が素焼きのような茶色味を帯びるのに対して、窯を使って焼くと灰色がかってきます。

土器に意図的に作ったデザインが表現されるようになるのは弥生時代頃。その頃から色つけされたものが見られるようになります。使われている土によっても色は変化しますし、その変化に気づいた弥生人たちは少しずつ土器のカタチやデザインを愛でたり、楽しむようになっていったのだと思います。 市場原理と無関係ではいられない私たちだからこそ、作為のない純粋な想いから生まれた土器のカタチに一層魅力を感じてしまうのかもしれませんね。

【作家の心象を知り、作品を深く味わう】

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後悔先に立たず。無理をしてでも時間を作って行くべきでした。神奈川県立近代美術館から松濤美術館へと巡回展示される予定だった【フランシス・ベーコン:バリー・ジュール・コレクション】展が、緊急事態宣言延長を受けて閉幕しました。盲亀浮木と言いますか、とても貴重な機会を逃してしまったようです。

20世紀で最も重要な画家の一人と評価されているフランシス・ベーコン(1909〜1992年)。

専門の美術教育を受けていない彼が、どのように強烈なオリジナリティを確立させていったのか。あるいは、生前に(下絵としての)ドローイングは描かないと話していた彼の習作らしきドローイングから、その創作プロセスを知ることができる日本初公開の貴重なコレクション展だっただけに、展覧会の中止はとても残念です。

怖れとか恐怖とか、そういう感情を呼び覚まされるベーコンの作品。そこに現代社会に生きている自分の中にあるリアリティや実感みたいなものを感じてしまうからこそ、どこかに答えが埋もれているようでもっと見たいという気持ちになるのだと思います。未だに強い力を持ち続けている作家の創作の秘密を少しでも知りたくて、せめてもにと展覧会の公式カタログを入手しました。

改めて実感したのは、やはり作家の情報に多く触れる事は作品の理解を深め、想像世界の楽しみを広めるのだなということ。つまり、作家本人は見せたがっていなかった創作過程や、ライフワークとも呼べるような日常の創作物を知ることで、作品の意図や思い入れ、気持ちの変化などを確かに感じ取ることができました。

作家の人格と作品を関連付けるべきではない、という意見にも一理あるとは思いつつ、同時代を生きていた現代作家だからこそ、いま目の前にある不条理や混乱、苦悩といったテーマがベーコンの人生からどのように立ち上がってきたかは想像がしやすく、作品の答え合わせをしているような気分になりました。これが中世以前の作家の場合には、こうはいきません。 自分の死を予見していたかのように、ゲイの愛人を追ってスペインに向かう当日、友人であるバリー・ジュールに預けた作品と創作活動の断片たちは、独特の表現を生み出すプロセスやモチベーション、エネルギーを感じさせると同時に、ベーコンの純粋な人間性やその絶望や切望にも触れることができる一級のコレクションだと思います。

【クール・ジャパンのルーツ《鳥獣戯画展2021》】

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東京国立博物館で4月13日から開催されている特別展《国宝鳥獣戯画のすべて》が盛況のようです。

《▼国宝鳥獣戯画のすべて・オフィシャルサイト

NHKの老舗美術番組『日曜美術館』でも、初の生放送で紹介する力の入りかたでした。擬人化されたひょうきんな印象の動物たちは、数々の雑貨にモチーフとしても使われてきたためか、著名人にもこの『鳥獣人物戯画』のファンを公言する方は多い印象です。

京都の高山寺(こうざんじ)に伝わる4巻からなる絵巻物。各巻にストーリー的なつながりはなく、筆致や画風も違うため、複数の作者によって、12〜13世紀(平安時代末期〜鎌倉時代初期)の期間に、別個の作品として描かれたとされています。

なぜ、複数の作者によって描かれた作品が世紀を超える長い時間の中で、高山寺に集まってきたのか、その事情ははっきりわかっていないようですが、京都の高山寺に蒐集された絵巻物を、高山寺の誰かが編集・再構成して、『鳥獣人物戯画』として集成したというストーリーにもとても興味を惹かれます。

おそらく、それぞれの絵巻物の価値を見極め、最も自然な鑑賞のための流れを作り、4巻にまとめたということなのでしょうが、これはいわゆる編集者の仕事です。娯楽のための絵巻物は、当時としては大変な贅沢品であり、最先端の媒体。さぞかし力のある人物が編集に携わったのだと思います。

絵巻物が、どういう事情であれ集まってくるお寺というのも、やはり普通のお寺ではないですね。高山寺は『鳥獣人物戯画』をはじめ、絵画や書物、仏像など多くの文化財を伝える名刹であり、中世寺院の役割の大きさも改めて感じます。

一般的によく知られるウサギや猿、カエルなどが描かれているのは『甲巻』、空想上の動物である麒麟(きりん)や霊亀(れいき)といった瑞獣(ずいじゅう)が描かれた『乙巻』、将棋などの勝負事をする人々が描かれた『丙巻』、流鏑馬(やぶさめ)をする武士などが描かれた『丁巻』と、展覧会史上初めて4巻まとめて全てが期間中に公開展示されるのは初めてとのこと。 現在、世界的に人気のクール・ジャパン、マンガの原点とも言われる『鳥獣人物戯画』ですので、お時間がある時に足を運んでみてはいかがでしょうか。

【歴史と味わい深さと実用性《箱物》】

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世界遺産、法隆寺の五重塔は、建立から1400年以上が経っています。さらにその材料となっているヒノキは、樹齢1000年以上と考えられているため、その木材が芽吹いた時は紀元前ということになります。日本では、楠、欅、イチイ(アララギ)、杉などが長寿の木とされていますが、場合によっては2000年を超える寿命の個体もあるようで、それだけで私などは畏敬の念を感じてしまいます。

そのような長寿の木は概ね堅い材質のため、摩擦や衝撃に強く、建築物をはじめさまざまな加工品として使用されてきました。箪笥や机など、木目が美しいものは観賞価値も高く、高値で取引されていたようですが、骨董品市場にも木目の美しさや経年劣化の味わいを感じさせる木工家具が出品されています。

今回画像でご紹介しているのは、銭箱とよばれる金庫。江戸時代から大正にかけて使われていました。さまざまなデザインがありますが、ユニークなのは丈夫に丸い穴が空いているタイプ。江戸時代に広く流通していた寛永通宝という四角い穴の空いた貨幣を入れるために開けられた穴で、当時のお財布である『銭通し』(貨幣の四角い穴に通してまとめるための紐)のまま、箱の中に仕舞えるようになっています。金庫であり、レジのような役割もあったのではと思います。

銭箱の穴は、現在の500円硬貨くらいの大きさです。アンティーク貯金箱としても使えますし、自分好みに磨けば、美しい木目を鑑賞したり、往時の商売人の仕事ぶりに想いを馳せることもできるはず。実用と鑑賞用とを兼ね備えた骨董品ならではの楽しみ方が広がります。

まだ道具類の出品は多くはありませんが、サムライオークションでは道具類もウェルカムなので、今後も積極的にPRしていきたいと思っています。

『道具』で検索しますと、現在は以下のような出品作品を確認できます。

《▼『道具』での検索結果・作品はこちらです》

お時間のある時に、ぜひサムライオークションでお宝探しをお楽しみください。