【横山大観とは?富士山の画といえばこの男】

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横山大観(1868〜1958)は、生涯に1500点もの富士山を描いたといわれている画家です。近代日本画の巨匠としても崇拝されていて「大観といえば富士」といわれるほど今でも人気が続いています。

絵の世界に足を踏み入れたのは20歳と、語り継がれる偉人としては決して早くないスタートでした。20歳の頃、英語学校で英語を学んでいましたが、美術学校が創設されると聞いて心が動き、画家を目指すことを決めて父の友人から3ヶ月のみ学んで受験に挑み、見事合格するのでした。そこで生涯の師となる岡倉天心と出会いました。

その後、岡倉天心を中心に日本美術院を設立します。しかし、そこで描いた作品は世間から非難を浴びてしまいます。新しいタイプの日本画は世間の理解が得られなかったのです。

その後も作品はほとんど売れず、妻、弟、娘を失い、美術院は経営難となってしまいます。新築の家は全焼し、生活は貧しく不幸続きでした。

横山大観は当時のことを「私と菱田君は餓死寸前まできていた。しかし、私たちはそれに屈しないで自己の信ずるところに進んだ」と語っています。

明治から大正に元号が変わるころには横山大観の芸術作品も世間に広く認められるようになってきます。以前は新しいタイプの日本画として非難されていたものが、時代が追いつき世間の関心を集めだしました。

また、横山大観は「春・夏・秋・冬だけでなく朝・昼・夜とまた異なっている」と富士山の絵をたくさん描きます。生涯描いた富士山の画の数は1500点にも及びました。亡くなる直前に仕上げた作品も富士山だったようです。 最後まで自己の信ずるところに進んだ結果だったのでしょう。

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【エドヴァルド・ムンクとは。代表作「叫び」の裏に隠された真実】

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1863年生まれのエドヴァルド・ムンクはノルウェーの画家・版画家です。1893年に作成されたムンクの「叫び」は、日本人でも誰もが知っているような名作となっています。

亡くなる1944年までムンクはノルウェー国内だけでなく、フランスやドイツなど国際的に活動していました。ムンクは虚弱体質な家系で5歳の時に母を、14歳の時に姉を亡くし、幼い頃から死が身近にありました。特に、姉の死は幼少期のムンクにはトラウマとなり、病床の光景が繰り返し作品にも現れるようになります。また、ムンク自体も病弱で冬の時期の大半は慢性気管支炎を患うなど学校を休みがちでした。

ムンクの父は信心深い性格で、ムンクや子供たちに悲観主義を投げかける要因になったとされています。ムンクは父について「神経質で異常なほど宗教的だった。自分は父から狂気の遺伝子を受け継いだのだろう。恐怖、悲しみ、死は私が生まれた時から身近だった。」と話しています。ムンクは自分自身の慢性的な精神疾患、遺伝的欠陥などの人間性や死について関心を持っていた芸術家で、こうした主題を強烈な色彩や半抽象的なフォルムで描く傾向がありました。

内面を表現するのに説得力のあるポーズを研究した結果、両手で頭を抱えたりなどのオーバーアクションで描かれている点が他の画家と大きく違う点です。 ムンクの内面不安の表現方法は、その後の新しい世代の表現主義作家に大きな影響を与えたとされています。

現代では当たり前となっているこのポーズ、ムンクが存在していなかったらどんなポーズになっていたのでしょうか。

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【ミケランジェロとは?生い立ちや万能人と呼ばれた理由を解説!】

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世界的に有名な芸術家の一人にミケランジェロがいます。芸術に興味がある人もない人も一度は聞いたことがある名前なのではないでしょうか?今回はミケランジェロについて掘り下げてみたいと思います。

ミケランジェロは、1475年〜1564年に活躍したイタリアのルネサンス芸術全盛期の彫刻家であり画家であり建築家であり詩人でもある社会活動家です。西洋美術史に大きな影響を与えた芸術家として評価されています。

ミケランジェロ自身が本業と考えていたのは彫刻分野のため、他の分野の作品は多くはないですが、色々な分野で優れた作品を残した多才さからレオナルド・ダ・ヴィンチと同様にルネサンス期の典型的な「万能人」と呼ばれています。

ミケランジェロの代表作に「ダヴィデ像」があります。この作品はなんと彼が20代の時の作品です。このダヴィデ像がミケランジェロが持つ才能、技量、想像力の評価を決定的なものにしたそうです。

絵画作品を軽視していたミケランジェロですが、西洋美術界に大きな影響を与えた「システィーナ礼拝堂」「最後の審判」の2点を描いています。また、建築家としてもフィレンツェの図書館でマニエリスム建築の先駆けといえる様式で設計をしており、多才さを存分に発揮していたようです。

このようにミケランジェロは万能人すなわち天才であると言わざるを得ません。 レオナルド・ダ・ヴィンチがライバルと呼ばれるのも納得ですね。

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【エリザベス2世の肖像画を描いたピエトロ・アンニゴーニ】

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2022年9月8日、静養先のスコットランドでエリザベス2世がお亡くなりになりました。96歳で在位期間は70年を超え、イギリス史上最高齢かつ最長在位の君主でした。 今回はエリザベス2世の肖像画を描いた唯一のイタリア人画家「ピエトロ・アンニゴーニ」がエリザベス2世を描くことになった経緯を紹介していきます。

ピエトロ・アンニゴーニ(1910〜1988)は20世紀半ばの最も偉大なイタリア人アーティストの1人であり偉大な肖像画家です。

幼少期から卓越した才能を示していて、芸術アカデミーに通い、フェリーチェ・カレナの絵画、ジュゼッペ・グラツィオージの彫刻、セレスティーノ・チェレスティーニの彫刻などを作り卒業しました。1954年にエリザベス2世の肖像画を描く依頼が来た時は最初は冗談だと思い本気にしていなかったようです。しかし、それらはすべて真実であったようで、その後16回も女王とセッションしました。

そして、素晴らしい肖像画を描き、女王に渡しました。批評家からは「権威的」と不評でしたが、大衆からは熱く支持された肖像画です。 その後、彼は1961年にジョン・F・ケネディ大統領を描くために選ばれたりと1960年代から1970年代にかけて世界中の著名人を描き続けるようになったそうです。

エリザベス女王のご冥福をお祈りいたします。

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【「ピカソ」は何がすごかったのか?】

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「ピカソ」といえば絵の知識がある人もない人も知らない人はほとんどいないでしょう。しかし、「ピカソ」の何がすごいの?と聞かれると、ほとんど的確に答えられる方はいません。今回はピカソのすごさについて紹介していきます。

パブロ・ピカソは1881年生まれのスペインの画家です。10代の頃から評価を受けて20歳頃からはフランスで活動していました。そもそも画家といえば亡くなってから絵の価値が上がったり評価されたりする傾向がある中でピカソは現役時代から評価されていた珍しいタイプの画家でした。生涯の作品数は15万点と「ギネスブック」にも登録されています。ピカソは、有名作品の手法(技術)を盗んでマネするのが得意でした。また、そこから進展させてオリジナル手法を編み出したりもしました。

絵の販売にも力を入れていて、作品のできた経緯などをしっかり説明することで、その作品が作られるまでのストーリーが伝わり価値が高まるということを理解し行っていました。実はこうしたビジネスマン要素も強くあったのです。 ピカソの絵といえば、子供が書いたような理解しにくい絵のイメージがありますが、それらを書いたのはピカソが年老いてからの話です。15歳の時には「スペイン美術史で最も優れた作品の1つ」と評価された「叔母ペパの肖像画」を作成したりと、そもそも芸術センスに溢れた人だったようです。最終的に行き着いたのがあのような絵というだけで、ピカソは作風をいくつも変えてきました。自分が良いと思った作風に変えながら、根強いファンをつけていき世界的に有名になったのでした。

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【レオナルド・ダ・ヴィンチとは一体どんな人だったのか】

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レオナルド・ダ・ヴィンチは、「モナ・リザ」や「最後の晩餐」など世界的に有名な作品を残したイタリアを代表する芸術家です。そんな彼は「ルネサンス方万能人」と呼ばれていて、建築、数学、音楽、物理学、光学など色々な分野でも成功を収めています。

その中で最も評価されているのが、やはりアートの分野です。世界的に評価されているアーティストとしては珍しく15点ほどしか作品を残していません。その理由としては、彼は完璧主義者であり1つの作品に多くの時間を費やしたからだといわれています。

そんなレオナルド・ダ・ヴィンチは多才をいかして、ヘリコプターの原型や戦車の原型、自転車の原型などを発明アイディアとして出しました。また、アートにも「数学的」な要素を入れてきたりと、自分の得意分野を掛け合わせたりして唯一無二の作品を作り上げました。

例えば「モナ・リザ」は黄金比を用いているとされています。黄金比とは、縦横比がおおよそ「5:8(正確には1:1.168)」で、古くから最も美しいバランスだと言われている比率のことです。つまり、最も美しく見ていられる作品になるということです。

しかしこの黄金比が広まったのが1800年頃で、レオナル・ド・ダヴィンチが生きていた1500年頃にはなかった法則になります。彼は、人気絵画パターンから自分で研究して見つけ出したのでしょうか?他の作品にも黄金比が用いられていて、どれも美しい作品が残っています。 画家としてはもちろん、他の色々な分野でも功績を残したレオナルド・ダ・ヴィンチはやはり天才だったのでしょうか。彼のような多才なアーティストが今後出てくるのか注目したいですね。

サムライオークションでは、未来に名を連ねる作家さん達のお手伝いができるようなコンテンツを模索中です。もっともっと日本のアートが盛り上がればと思っております。また、現代美術品の出品もお待ちしております。

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【世界的に活躍しているイラストレーター「マティアス・アドルフソン」】

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精密で細やかな下書きを行い、ペンと水彩を用いて手書きで描くイラストはどれもこれも一風変わった世界観で多くの人々を魅了しています。細部までこだわって描かれた独創的な世界観は、CDのジャケットやアパレル、書籍、イラストなど幅広い分野で人気があります。

母国スウェーデンでは、作品集が最も美しいといわれる賞を受賞し、アメリカでは、長年にわたりロックバンド「Dance Gavin Dance」のアルバムジャケットを手がけています。世界的に活動をしていて、2021年には最も優れたアートワークとして選出されています。

そんな彼の生い立ちを見ていきましょう。

1965年スウェーデン生まれで、現在はストックホルム近郊の町シグチューナに在住しています。ヨーテボリ大学アート・グラフィックデザインで修士号を取得しました。一旦はエンジニアや建築の仕事を経験して、その後はコンピューターゲームや建設と数学の知識を使って3Dモデリングの仕事をしていました。現在は主にインクと水彩を使ったイラストレーションに専念しています。ディズニーやニューヨークタイムズなど活躍の場は多岐に渡り、世界各地でワークショップを行っています。現在は日本初となる作品展が開催されています。

サムライオークションでは、現代作家作品の出品もお待ちしております。

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【広がる物語《「疲れ果てて」の習作/ゴッホ》】

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2021年は、ビンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890年)が度々話題となり、注目を集めた年でした。12月12日までは、ヘレーネ・クレラー・ミュラー美術館のコレクション展が東京都美術館で開催されていましたし、11月にはニューヨーク、クリスティーズのオークションで、ゴッホの水彩画が3590万ドル(約41億円)で落札されました。

1888年に制作されたこの水彩画は、最後に展示されたのが1905年。ゴッホの自殺後に弟のテオドルス・ファン・ゴッホ(1857〜1891年)が所有し、第二次大戦中にナチス・ドイツに接収され、一時期は行方不明になっていたそうです。厚塗りの油絵が特徴的なゴッホが、紙の上に水彩絵の具を使って描いた作品は珍しく、モチーフもゴッホが2年ほど暮らしたアルルの干し草の山ということで、希少性や物語性からか予定落札価格よりも600万ドル程度高くなりました。

そして、私の21年ゴッホニュースナンバーワンは、9月にゴッホ作として認定されたスケッチ画の公開です。発見されたのは、ゴッホ29歳の1882年に制作された『「疲れ果てて」の習作』。画家になって2年目に、描写力向上を目指して描かれた鉛筆画とされています。1910年頃に購入したオランダ人コレクターの家族が、ゴッホ美術館に鑑定を依頼し、分析の結果、ゴッホの未公開作品であることが確認されたようです。

先程の水彩画もそうですが、この制作年から所有者の遍歴にかかわる時間軸に想像力をかきたてられますし、歴史を旅するある種の旅情のようなものを感じます。骨董品も、心的な効用として同様のものがありますね。

そのゴッホの習作、描かれているのは人生に疲れ切ったように頭を抱える老人。構図としては『悲しむ老人』に近い印象です。聖職者になることをあきらめて、ゴッホが画家を目指したのが1880年。1882年は、キャリアチェンジしたばかりのタイミングです。この頃、ゴッホはオランダのハーグに住んでおり、親族で画家としての師匠でもあった、アントン・モーヴ(1838〜1888年)からアドバイスを受けていました。

描写力は低いように思いますが、食べる物も控えて美術館で模写をしながら絵を学んでいたゴッホが、モーヴからの『生きた人間をモデルにせよ』というアドバイスによって、身近な農民や労働者たちの暮らしをモチーフとして描き始めた時期のこの作品には、画家ゴッホが誕生した瞬間を感じ取ることができます。 まだ将来が見えず、時に不安も抱えていたであろう29歳のゴッホ。描かれている老人には、ゴッホ自身の姿も重なります。やはり魅力的なアートには物語がありますね。『「疲れ果てて」の習作』は、今年最も物語の広がりを感じさせてくれた作品でした。

【自由で優しく美しい《良寛の書》】

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衆議院が解散し、選挙戦がスタートしました。本来、政治とは人間集団の利害を調整するもの。ですから、例えば経済を軸に考えれば、お金持ちのための代表と貧乏な人の代表が実現を目指す政権公約は、異なっていて当然です。

それなのに、どこの政党も給付金が一番大きな政策として話題になっていて、なんだかなと思います。お金を配ると訴えれば、ほいほい投票すると思っているのでしょうか? 自分が当選するためだけの人気取りをする政党や政治家の本質を見抜く目が欲しいところですが、人間の良し悪しを判断するのは、とても難しいです。

骨董や美術品の良し悪しについても、同様の印象があります。特に書の良し悪しを判断するのは難しい。例えば、今回ご紹介するこちらの書、ご存知の方も多いかもしれませんが率直に初見でどのような印象をお持ちでしょうか? まるで子どもの習字? 市場価値があるの? ヘタウマ的魅力? そんな評価も聞こえてきそうです。

こちらの書は、曹洞宗の僧侶であり歌人、書家としても有名な良寛(1758〜1831年)の書です。子どもたちにせがまれて、凧に書いたものだそうです。どの文字を画数が少なく、子どもたちにもわかりやすい言葉。ただ、文字の大きさや文字間隔がアンバランスな印象もあります。

何の知識も持たず、自分だけでこの書の価値判断をせよと言われたら、思い切り安い値段をつけてしまいそうですが、魯山人はその著作の中で良寛の書を『近世では他にその比を見られないまでのずば抜けた書』と評し、自分ごときが評価できないとまでへりくだっています。その根拠として、唐の書家との比較や書の文化・歴史的な背景、そして技術的には筆の運び方などのポイントを指摘しながら、総合的に良寛の書の卓越性を解説しています。

それを読んでから改めて見てみると、なるほどと思えるようになるのが不思議です。魯山人という権威のお墨付き、そしてその評価の裏付けを知り、ふむふむとわかったような気になってしまいます。その時点でも半信半疑な面がまだあるのも事実なのですが‥‥。

ただ、魯山人の良寛の書への評価で、最初から最後まで繰り返し述べられていることは、良寛の人間性です。良寛の書には真善美が兼ね備えられており、その書の価値とはすなわち良寛の人格の価値であると断じています。何ごとにも囚われずに自由で、誰に対しても分け隔てなく優しい。そのありようが本来の芸術表現に最も求められることであり、美しさを生み出すための秘訣のようです。

サムライオークションにも多くの《書》が出品されています。

《▼『書』での検索結果・作品はこちらです》

作者の人間性や歴史、そして物語が感じられる魅力的な作品との出会いがあるかもしれません。ぜひ、一度アクセスしてみてください。

【現代人がアートに求めるもの《11時/エドワード・ホッパー》】

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『ひとつ一人じゃ寂しすぎる、二人じゃ息さえもつまる部屋』♪ という歌い出しで始まる数え歌があります。松本隆作詞、吉田拓郎作曲の『あゝ青春』。タイトルはベタなのですが、作詞家の才能を感じる言い得て妙の表現です。

自粛生活が長引いて、人と会うことが極端に減りました。コロナ禍以前は、友達同士でも家族でも、ちょっと1人になりたいなと、そんな瞬間がそれなりにあったと思います。でも、特に一人暮らしの方、1人の時間がこれだけ続くとそれはそれで堪えます。

孤独について学んだのは、福永武彦の名著『愛の試み』でした。孤独とは人間存在のベースであり、努力なしでも孤独が満たされている状態にあるのは赤ん坊だけ。つまり、赤ちゃんは心から自由に振る舞っても許される、愛される存在であるけれども、自我が目覚めた瞬間から人は自分と向き合い、さまざまな努力をしながら孤独と付き合っていくしかないと、そのように理解しました。

人間は、成長し社会化していくとともに何らかのコミュニティーに所属し、人と出会い、コミュニケーションをとりながら孤独を埋め合わせる、あるいは孤独を豊かな存在にしていく、そんな存在です。時に対立したり、鬱陶しかったりしますが、いざ所属するコミュニティーの存在が無くなってしまえは、目の前には茫漠たる孤独が広がっていくだけです。

現代社会に生きる私たちの、等身大の孤独を描いた画家、エドワード・ホッパー(1882〜1967年)。とても人気のあるアーティストですが、ホッパーの絵の魅力は《誰もが知っている》心象風景にあると思います。友人と一緒にいてもなぜか寂しい、あるいは賑やかで楽し気な場所にいても心の中では全く別のことを考えている、でもその理由にはなかなか自覚的になれない。そんな寂寥感は現代人特有のものであり、孤独との向き合い方にその原因はあると思います。

ホッパーの絵には物語があり、そのどれもが強度をもっています。つまり、話の先が知りたくなるのです。舞台はいい感じのレストランだったり、高級ホテルだったり、大人のための場所。登場人物はミニマムに設定され、経済的に自立した人間に思えます。必要なものは手に入れたけれど、それでもなお満たされない、そこに鑑賞者はある種の共感をもち、自分のストーリーを重ね合わせます。 奥行きのある物語と共感性、現代人がアートに求める本質は、そんなところにあるのではないでしょうか。