アーティストが集まったカフェ「ル・セレクト」

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文学にしても美術・芸術にしても、作品の創作というものは、作家自信が精神を削るような孤独な作業の果てに生み出されるものです。では、作家たちは社会との接点が無く、自分の世界の殻に篭もってばかりいるのでしょうか。世の中を俯瞰して見る客観的な冷静さと、自分の中に湧き上がる感情をぶつける熱量の両方が必要な芸術家たちは、孤独な時間以外にどのように社交性を磨いていたのでしょう。

その様子を映画の中に再現した「ミッドナイト・イン・パリ」という映画があります。有名なアーティストたちが、熱い語らいの中から社交を楽しみ、芸術について意見を交わしている様子が描かれています。たとえば、ヘミングウェイとピカソ。ヘミングウェイは、独特でシンプルな文体で20世紀の文学界に大きな影響を与えた人物。ピカソはご存知の通り、20世紀最大の芸術家ですね。「ル・セレクト(Le Select)」という、映画にも登場した1924年創業の歴史あるカフェには、ヘミングウェイが座っていた椅子が今もカウンターにあります。そして奥の席はピカソの指定席だったといいます。カフェでの会話を通じて、二人は交友関係を深めていきました。 ヘミングウェイはとても強い倫理基準を持っていました。第2次世界大戦を取材したり、終戦間際のパリ解放に立ち会って、旧友であるピカソとの再会を喜びあったと言われています。ピカソは、「芸術作品は飾るためではなく戦うためにある」という言葉を残しています。反戦や抵抗のシンボルとなった「ゲルニカ」はあまりにも有名です。二人はそれぞれ表現の分野は違いましたが、交友の中でお互いの価値観を確かめ合い、創作意欲を高めていったのかもしれません。

【川端康成 x 東山魁夷】美術を通じた交友

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「秋の野に 鈴鳴らし行く 人見えず」

1968年に日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成が、その知らせを受けた夜に詠った有名な句です。言葉遊びが隠されていて、「野(ノ)」「鈴(ベル)」で「ノーベル」と表現しています。川端康成は、この書を友人である画家の東山魁夷に贈りました。東山魁夷はこの歌を屏風に仕立て、その裏に秋の野を描いたそうです。

川端康成といえば、「雪国」「伊豆の踊子」など多くの名作を残した文豪です。文学だけでなく美術にも深い理解がありました。絵画や工芸品の他に、土偶や埴輪まで、様々なものを収集していました。彼の小説は、いわゆる王道とも言える文体で書かれていることが特徴です。客観的で少し離れた位置から見ているような視点で、抽象的でありながらリアリティを表現して読者を引きつけます。

交友の深かった東山魁夷は、文化勲章も受賞した、戦後を代表する日本画家です。作品『道』で風景画家としての地位を確立しました。川端との交流は、1955年に東山が川端の本の装丁を手がけたことをから始まりました。川端が東山の作品を購入したり、東山が川端に絵を贈ることが頻繁にあったようです。手紙のやり取りが100通を超えるともされていて、歌に言葉遊びを含めるところからも伺えるように、とても親しい間柄だったと言えます。

東山も川端と同様に、古美術から近現代美術の作品を収集していました。川端の何かを鑑賞しているかのような文体は、東山と美術品を通じて対話する中で磨かれたのでしょうか。また、幻想的な作風の東山の美学は川端と似ているところがあり、それぞれの存在が創作に大きく影響していたことは間違いないでしょう。美術と文学を越えた二人の交友が、素晴らしい作品に繋がったのかもしれませんね。

社会が不安定な時、変革者は現れる

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歴史が好きだったなどとは、口が裂けても言えない学生だったのですが、年齢を重ねると突然大河ドラマにハマる友人がいたり、なぜか歴史に興味を持つようになる人は多いものです。人生経験が深まると、歴史上の出来事や誰それと自分を比較して、しみじみ共感できることが増えてくるのでしょうか。

最近、現在とルネサンス期を比較する評論やテレビ番組に触れることが何度かありました。ルネサンスという言葉は、辞書的には〈再生〉を意味するフランス語。ただ、その概念を語る切り口は幅広く、定義もさまざまあります。

私は塩野七生さんの『見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発』(『ルネサンスとは何であったのか・塩野七生ルネサンス著作集1』〈新潮社〉)が、この精神運動の本質であるという解釈が気に入っています。

1348〜1420年頃、キリスト教会が支配してきたヨーロッパでペストが大流行し、イングランドやイタリアでは、人口の8割が死亡したそうです。その時、人々は初めて教会を疑いはじめ、宗教改革やルネサンス運動につながっていきました。

病気による極端な人口減が社会に与えた影響も大きいでしょうが、それまで圧倒的な権力や信用を誇っていた教会の権威が損なわれたことで社会は不安定になり、その後大きく変化していったのだと思います。

世の中が不安定な時に、変革者は現れます。ルネサンス期にキラ星のごとく現れた芸術家たちは、それまでの強力なルールから解き放たれて、自由な表現を生み出していった、というわけですね。

アフターコロナの世界でも、さまざまな分野でゲームチャンジャーが出てくるような予感がします。アートの分野でも、新しい表現者が現れてくるでしょう。古い思考の人間にとっては、楽しみなような、怖いような複雑な心境です。

サムライオークションにも、表現の変革者たちの作品が出品されています。お時間のある時に、ぜひじっくりと作品を探してみてください。

【感染症と美術の効用】

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コロナ禍によって、70年以上前の小説「ペスト」がヒットしているようです。アルベール・カミュによって書かれたこの作品は、感染症である「ペスト」の蔓延によって人々の精神や生活がどのように変化していくかが描かれています。

ヨーロッパでは、14世紀〜15世紀にかけて実際にペストが流行ったそうですが、現在よりもずっと未発達な医療によって恐怖を感じたであろう人々の動揺、困惑、そして流言飛語によって繰り広げられる愚かな行為が、とてもリアルなものとして実感できます。

振り返って考えると、科学技術が相当に発達した現在においても、感染症によって人間が感じる恐怖やその行動の愚かさというのは、それほど変化していないように感じます。本当に人間て進歩しないですね。

日本でも、天然痘や麻疹、赤痢やコレラなどの感染症が何度も流行してきた歴史があります。その都度、その原因を鬼や妖怪などの超自然的なものに求めて、それらを鎮めるために、加持祈祷や祭礼が行われてきました。京都の祇園祭の起源も疫病の流行がきっかけだったと考えられています。

中でも注目したいのが《疱瘡絵》や《百鬼夜行絵巻》。《疱瘡絵》は、浮世絵の一つのジャンルとして確立されていますが、疱瘡(天然痘)にかかった病人への見舞い品として贈られたり、病人の部屋に貼られたりして使われたようです。病気の原因を鬼や妖怪として考え、それを具体化することで、精神的な落ち着きを求めたのかもしれません。

妖怪たちが行列をする絵巻物《百鬼夜行絵巻》は、室町時代から明治・大正頃にかけて多数制作されていますが、その成立は《疱瘡絵》と同様に疫病の原因を妖怪と考え、それらを目に見えるカタチにして理解し、それらと共存しようとする先人の知恵によって誕生したのではないでしょうか。

葛飾北斎(1760〜1849年)、歌川国芳(1798〜1861年)、河鍋暁斎(1831〜1889年)らも、疫病がらみの作品を描いています。これらの作品は、見て楽しむためというよりも、死を身近に感じて不安が蔓延する社会の中で、何らかはっきりとした精神的な効果がもたらされていたのだと思います。 そういえば、アマビエという妖怪の絵が流行っていますね。つくづく人間は、進歩しないものだなあと感じてしまいます。

【本物のアーティストとは、どのような人か】

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成熟した豊かな社会では〈人は好きなことしかやりたくない〉という存在になっていくのだと思います。もちろん、それぞれの事情によって、そんな風に好き勝手に生きている人ばかりではないのは承知していますが、衣食住が満たされた時、自己実現したいと考えるのが人間の自然な欲求だと思いますし、収入が減ってしまったり、多くの犠牲を払いながらも、やりたい仕事へのチャレンジを続けている人が、皆さんの周りにもいらっしゃるのではないでしょうか。

村上龍の小説の中に「本当の絵描きとはどんな人間か?」という問に対して、「1日24時間絵を書いていても飽きない人間だ」と答えるセリフがありました。まったくそのとおりで、画家に限らず、写真家でも音楽家でも一流のアーティストには、そんな時間の使い方をしている方がたくさんいます。

リアリズム絵画の第一人者、野田弘志は、自分の表現を追求するため、画壇から距離を置き、北海道に移住しました。ドキュメンタリー映像で見たそのアトリエには窓がなく、24時間安定した光源が保たれていました。その著作でも、アトリエで一日中作品に向かい合っている日常が紹介されています。

同じく中央画壇と一線を画して、奄美大島へ移住して生涯を終えた田中一村も、その生活の全てが創作活動につながっていたという記録が残されています。有名無名含め、同様の生き方をしている表現者は大勢いるはずです。ただ、その才能が広く認められ、経済的にも時間的にも自由に創作活動を続けることができるアーティストは、ほんの一握り。それでも彼らにとって、最も大切な事は創作し続けることです。そのために、他の全てのことは犠牲になっても構わないと、そんな風にも見えます。

一方、作品が売れて経済的に豊かになり、社会的に評価されることが、本物のアーティストであるという定義づけには、少し違和感を覚えます。社会的な成功よりも、自分の表現欲求に正直でいられる人。それが、本来アーティトと呼ばれるべき人達であり、幸福な表現者なのではないでしょうか。 サムライオークションでは、そんな幸福なアーティストを応援したいと思っています。

【アートを感じること、信じること、考えること】

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見えないウィルスによって、人心の裏側を垣間見てしまうようなニュースが流れてきます。人々の恐怖心と身勝手さとが、せめぎ合っているような印象です。

小林秀雄は『万人のように考え、個人として信じる』と語っています。物事の本質は〈万人に共通のものとして考える〉、信仰や生き方などは〈個人として信じる〉というような意味だったと思います。魂とか祈りとか、答えがはっきりしないものは自己責任で信じればよいけれど、科学や法律などは、万人に共通の真理として考えられるべきです。

感染症については、科学的知見に基づいて冷静に考えて対処すれば、行動の仕方には、万人にとっての正解があるはずです。

それでは、アートについてはどうでしょうか?

アーティストによっては、表現の目的・意図があり、それが作品鑑賞の正解と考えてしまいそうですが、作品が作者の手を離れた瞬間に独自の人格を持ってしまう以上、鑑賞者の感受性に正解や不正解はない気がします。好きなものは好き、心が動かされる作品が、その人にとっては良い作品です。

もちろん、作品ごとの背景を知り、特に近代以前の絵画など、そこに隠されている情報を読み取るためのルールが存在しますので、それらを学んで作者の意図を理解することもアートの楽しみ方ですし、学びによって作品への理解が深まり、ある種の正解に近づいたと、感じられることもあるでしょう。

ただ、万人にとって同じ価値(正解)を持つ作品というのは恐らくないため、基本的にアートは、各人がそれぞれの感じ方で楽しめば良いのだと思います。

創作も鑑賞も、アートは自由であれ!

サムライオークションは、アートファンの皆さまの心を自由にする作品を、できるだけ多く公開したいと考えています! 

【プライマリーマーケットとセカンダリーマーケット】

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外出することが減って、自宅で過ごす時間が増えました。暇な時間ができると、ついオークションサイトやらを物色してしまいます。今や会議や打ち合わせもネットの時代、一昔前なら市場に出向かなければなかなか得られなかった出物の情報が、自宅にいながらある程度確認できるようになったというのは、時代の変化を実感します。

ところで、美術市場には、プライマリーマーケット(一次市場)とセカンダリーマーケット(二次市場)があるのをご存知ですか?

プライマリーマーケットは、アーティストから直接作品を購入できるマーケットです。直接と言っても、アーティストと個人的な知り合いでなければ、間に画商さんが入りますね。主に画廊や百貨店などで展示販売されるアートフェアなどをイメージしていただくと良いと思います。

セカンダリーマーケットは、誰かのコレクションから、売りに出されるマーケットです。サムライオークションもセカンダリーマーケットです。出回っている作品よりも、買いたいという人の数が多ければ、値段が高くなっていくしくみは、アダム・スミスの神の見えざる手として、昔習いましたね! 需要と供給のバランスによって値段がつけられるということです。

ただ、一般的な商品とアート作品が違うのは、基本的に大量生産されることはないということ。そのためトップオークションなどでは、世界的に人気のアーチストの作品は、一般の人には手の届かない値段となり、庶民からかけ離れた縁遠い世界になってしまいます。

最近は、プライマリーマーケットも増えてきました。まだメジャーになっていないアーティストを応援するつもりで、自分の手が届く範囲から購入するのも楽しいですね。絵画だけではなく、陶器なども同様です。今は、極端な話、誰もが好きな分野でアーティスト=表現者になれるし、それを販売するためのプライマリーマーケットも、そここにあります。なんなら自分でネットショップを開いて販売しても良いわけです。いやはや自由で豊かな時代になりました。 でも、だからこそ、玉石混交のネットショップの中で、信頼できるオークションサイトが求められているとも言えます。サムライオークションも、まだまだ新参モノではありますが、日々目利き力を養いながら、誠実で正直な、皆さんから信頼され、楽しんでいただけるオークションサイトへ、成長していくことを目指しています。

水墨山水に込められた物語

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水墨山水とは

「山水」とは、山や川などの自然の景色のことです。つまり、墨で表現された自然の風景画のことを「水墨山水」と呼びます。9世紀頃の中国で墨の技術が向上し、墨だけで表現豊かな描画ができるようになったことで誕生しました。その後、禅の教えと共に日本へ伝わったと言われています。

物語を想像して楽しむ

掛け軸のような縦に長い水墨山水は、下から上へなぞるように見ていくことで時間の流れを想像することができます。水墨山水は、下から「近景」「中景」「遠景」と分かれており、近くから遠くへ歩いて行ける景色のような構図になっているからです。このように距離を感じることで、絵の中に吸い込まれていく気分を味わうことができるでしょう。

また、息を飲むような広大な自然の風景の中に、小さく人物が描かれている作品も多く存在します。それは決して風景の一部の飾りとして描かれているのではなく、人の内面や人生そのものを表現しようとしている作者からのメッセージが伝わってくると思います。たとえば「山」は世間から離れた安寧の場所を意味します。「老人」は作者自身、その老人が住む「小屋」は作者がひっそりと余生を過ごす場所を表現していたりします。険しい「山道」は生きることの過酷さだったり、川にかかった「橋」は自分を訪れてくれる友人がいることを表していることがあります。 このように、水墨山水はただの風景画ではなく、自分を物語の主人公に見立てて空想することができる芸術と言えます。作者のメッセージが凝縮されたモノトーンの世界から、物語を想像して楽しんでみてはいかがでしょうか。

【作家が嫌いだから、作品も嫌い、これってどうなの?】

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今、日本には、鑑賞者を静かに待っている有名な美術作品が沢山あります。特に国立西洋美術館で3月から開催される予定だった《ロンドン・ナショナル・ギャラリー展》。日本初公開の61作品、しかも美術史に名を残す、ビッグネームばかりです。

本日時点で開催予定日は未だ確定しておらず、本当に開催されるのか、心配になってしまいます。どうなるんでしょうか。

ところで、アートに限らずさまざまなジャンルで、作家が嫌いだから作品も嫌い、という方がいらっしゃいます。ピカソの作品はおもしろいけど、愛人を沢山作って女性を不幸にしたから嫌いとか。ワーグナーのオペラの偉大さはわかるけど、ヒトラーに応援されていたから、ポリシーとして作品を聞かないとか。

私は、作家と作品は別人格だと考えています。確かに優れた芸術作品は、作家の何らかが表出されたもの。したがって、作家が嫌いだから作品も嫌いというロジックは理解できるのですが、仮にその作家が作品で表現したかった《何か》は、あなたが嫌いな人格とは関係のない、人類に共通の《想い》であり、それを感じることで救われる人も沢山いる、という事はありうると思います。だとすれば、作家が嫌いだからと言って、特にビッグネームの作品を、食わず嫌いしてしまうのは、恐ろしくもったいないと、そんな気がします。

私は、スペインの画家ゴヤを尊敬しているのですが、その最も表現力に溢れた、一度見たら忘れられない『わが子を食らうサトゥルヌス』を、家に飾りたいとは思いません。ギリシャ神話を題材にしたこの作品は、示唆に富んでいますし、いつかプラド美術館でゆっくり鑑賞したいとは思いますが、手元において愛でたいという気にはならず、それはなんというか緊張を強いられるから、そんな理由だと思います。

以前、ある外資系金融のディーラーから、この作品が好きで自分への戒めのためにたまに見るのだと聞いて、とても納得した事を憶えています。ひょっとすると私にはまだその作品を鑑賞する実力とか、力量がないという事なのかもしれないと。

ある種の作品は、鑑賞者にも、鑑賞するための何かを求めてきます。その求められている何かを持っていなければ、作品側から受け入れらない、つまり好きになれないとかよくわからないとか、そんな事になるのかもしれません。やはり、学び続けること、成長していくことは、人生にもアートを楽しむのにも大切ですね。 サムライオークションは、皆さんに楽しんでいただけるサイトへと成長していくことを目指しています!

【初心者のための骨董・古美術用語シリーズ!】

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美術品、骨董品の基本用語について、不定期にご紹介しています。今回は、浮世絵の種類について、まとめてみました。ご参照ください。

【役者絵:やくしゃえ】

江戸時代に老若男女を問わず、町人から武士まで夢中になるほどの人気を誇った娯楽が〈歌舞伎〉です。浮世絵も歌舞伎人気と連動して、〈役者絵〉が大量に制作されるようになり、最も人気のあるジャンルになりました。

→歌川国貞・「誠忠義士伝」は「大高源吾忠雄 河原崎権十郎」

誠忠義士伝」は「大高源吾忠雄 河原崎権十郎」

【武者絵:むしゃえ】

歴史上有名な英雄や武将、物語に登場する豪傑を描いた作品ジャンル。江戸後期に売り出した、歌川国芳の武者絵は、臨場感が高く人気がありました。江戸時代には、織田信長・豊臣秀吉の時代とそれ以後の武将を描くことは、幕府から禁止されていました。

→歌川国芳・「源平盛衰記」「加賀国安宅合戦」

「源平盛衰記」「加賀国安宅合戦」

【物語絵:ものがたりえ】

日本や中国の歴史や古典を題材に、勇猛な武者よりも物語にフォーカスされた作品。平安時代に書かれた「源氏物語」の一場面を描いた歌川広重のシリーズなどがある。

→歌川国貞・「阿漕の平次」

阿漕の平次」

【名所絵:めいしょえ】

江戸時代には、江戸と各地を結ぶ街道が整ってきました。街道沿いに宿場ができ、長旅をする人が増えると、お土産の需要ができ、それに応えて名所を描いた浮世絵が描かれるようになったようです。

→歌川広重・「両国大花火」

両国大花火」

【相撲絵:すもうえ】

相撲も江戸時代に人気の高かった娯楽のひとつです。相撲人気に合わせて、多くの相撲絵が制作されました。

→月岡芳年・「新撰東錦絵」「神明相撲闘争之図」

「新撰東錦絵」「神明相撲闘争之図」 サムライオークションは、美術品・骨董品ビギナーを応援しています!