【刺激と創作の関係性《ヘルムート・ニュートンと12人の女たち》】

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昭和世代には、ボンデージファッションの石田えりの写真集が思い出されるヘルムート・ニュートン(1920〜2004年)。生誕100年を迎えた今年、ドキュメンタリー映画『ヘルムート・ニュートンと12人の女たち』が12月11日から公開されます。

《▼『ヘルムート・ニュートンと12人の女たち』》

PLAYBOYや、ヴォーグをはじめとするフランスのファッション誌でカメラマンとして活躍したニュートン。舞台装置としてSMを活用し、フェティッシュなスタイルを確立して一世を風靡しました。その過剰で過激な演出は、賛否両論を呼びましたが、映画では当時の彼と仕事をした12人の女性達が彼との仕事の舞台裏を語っています。

ポルノまがいと評されることもあった彼の写真は、どちらかと言えば女性受けは良くないと思っていたのですが、シャーロット・ランプリングやグレイス・ジョーンズらは、ニュートンとの仕事は刺激的で示唆に富んでいたと評価しているようです。

アートを、既存の価値観に疑問を投げかけ、既成観念を壊して新しい何かを生み出すものと定義すれば、ニュートンの仕事はまさにアーティスティックでした。

刺激と創作の相関性に興味のある方は、ぜひご覧ください。モノ創りのヒントが、手に入るかもしれません。

【文化の日にアートを考える《2020年文化功労者・高橋秀》】

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11月3日は文化の日でしたが、今年の文化功労者20名の中に、美術作家高橋秀(1930年〜)がいます。御年90歳で創作意欲に溢れているコメントを読むと、素直に尊敬の気持ちが沸いてきます。

▼《美術作家 高橋秀・オフィシャルサイト

過去に見たドキュメンタリーでは、作家として売れはじめた1961年頃から、不本意な依頼が多くなり、経済的には潤っていたけれど自分本来の創作ができないことにストレスを感じて、63年にイタリアへ渡った経緯などが紹介されていました。

その後は、2004年まで40年に渡ってローマに滞在。流線状の輪郭を持つ抽象絵画を制作し、エロスの画家と評価されました。

訥々と語る言葉からは、名声やお金よりも自分の創作に打ち込みたいという意志がはっきりと伝わってくる、そんなアーティストです。売れない時に家計を支えてくれた奥様とずっと仲良く暮らしていることや、1950年代の作風などからは、ビュフェ(1928〜1999年)を想起させます。

1日中、絵を描いていても飽きないのが画家の才能だとすれば、高橋秀はまさにそんな才能に恵まれた作家。映像の中で、80代の高橋がアトリエでひとり、嬉々として創作に打ち込む姿はまるで子供のようでした。 高橋はアートについて、『人間の暮らしに決して欠かしてはならない一番基本の肥やし』と記しています。サムライオークションもその考えに全く同意。少しでも多くの人にとって、アートのある暮らしのきっかけになることを目指していきたいと思います。

【わかりやすい表現には『力』がある《バンクシー》】

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前回に続いてオークションの話題です。英国を拠点とする正体不明の覆面アーティスト、バンクシー(生年月日未公表)の作品が、10月22日にオークションハウスサザビーズで落札されました。タイトルは、『Show me the Monet』。バンクシー作品で過去最高額となる760万ポンド(約10億4000万円)で落札されました。

推定落札価格は300〜500万ポンドとされていたので、ほぼ倍近い金額での落札。前回紹介したジェイクスピアといい、予想を大きく上回る金額になるのは、やはり世界中に低金利のお金がじゃぶじゃぶと溢れているからでしょう。本来必要とされる人に届かず、情報と力のある人達のところにお金が流れていってしまうのは、このバンクシー作品同様になんとも皮肉な感じです。

この『Show me the Monet』は、2005年制作。『Crude Oils』と呼ばれる環境破壊をモチーフにした連作の中の一枚です。私はこのシリーズの中では、スコットランド出身の画家ジャック・べトリアーノ(1951年〜)の作品『The Singing Butler』のオマージュ作品の方が好きです。砂漠で踊る紳士淑女の背後で、ガスマスクを付けた作業員が原油の缶を運ぶ汚染地域というシチュエーションに、より強い風刺を感じます。 『Show me the Monet』は、モネが晩年に定住したジヴェルニーの楽園で描かれた有名な睡蓮の連作をベースに、バイロンとショッピングカートが棄てられて破壊された池が表現されています。メッセージがわかりやすく直接的なだけに、誰もが環境破壊について少し想いを巡らせるような、そんな力がある作品だと思います。バンクシーならではの作品とメッセージ。現代的で影響力のあるアーティスト、バンクシーのアクションに今後も注目してしまいます。

【創ること=生きること《アール・ブリュット》の凄み】

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現在、NHKのEテレで放送されている番組『no art, no life』をご覧になったことはありますか? 

《▼『no art, no life』NHK

6分ほどのドキュメンタリーで、毎回さまざまなアーティストをひとりずつ紹介しています。登場するのは、何らかの障害を持ったアーティストたち。彼らが独特の手法で作品を生み出す創作現場を、カメラが淡々と追いかけます。ほんの少しのナレーションが入るだけで、脚色は一切なし。とても興味深い良質の番組です。

障害者などによる創作が、〈アール・ブリュット〉や〈アウトサイダー・アート〉と呼ばれはじめたのは20世紀ですが、特に注目されるようになってきたのは、21世紀を超えてからのような気がします。ひとつには、商業的に成功するアーティストが生まれてきたことが理由ではないでしょうか。

確かに魅力のある作品が多いのですが、その理由はその独特の表現手法。絵画作品でも、モチーフの捉え方や彩色のセンスが独特で、まずその強い個性にひきつけられます。同時に、彼らの表現はまさに生きることそのものであるために、熱力が半端なくあって、それが作品のエネルギーとして鑑賞者に感じられるのだと、これは毎週放送される『no art, no life』を見てわかりました。

紐を結ぶ、ハサミを入れる、貼り続ける、統一のテーマを表現し続ける‥。固執する対象はさまざまで、なぜその対象を選択したのかはさっぱりわからないのですが、確かに常人を超えた集中力で見た目には楽しそうに、そして対価などを求めずに、自分のために創作している対象者たちは、まさに一流のアーティストだと感じます。

現在、サムライオークションでは、〈アール・ブリュット〉作品の取り扱いはありませんが、将来的には出品が増えてくるかもしれませんね。

【風呂敷ブームで思い出す《クリスト》の梱包アート】

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レジ袋有料化で、風呂敷が密かに人気のようです。学生時代、なぜか風呂敷を使っていた事がありました。はっきり言って、とても便利です。今は生地や柄も選択の余地が広がって、ブームもうなずけます。

今年5月、現代美術家のクリスト(1935〜2020年)が亡くなりました。歴史的な建造物や自然や公園の風景をラッピングする作品は、常に大きな話題となって、世界を騒がせました。オーストラリアの海岸やパリのセーヌ川にかかるポンヌフ橋、ドイツの国会議事堂などなど、今調べてみてもよく実現できたなぁという印象のものばかりです。日本でも1991年に茨城県常陸太田市で巨大な青い傘を立てる《アンブレラ》プロジェクトが行われています。

このような巨大な構造物や自然をラッピングする行為が、なぜアートになるのか、美術評論家のような専門家の間でも、議論の対立があったように記憶していますし、私自身ももちろんよくわからず、アーチストというよりも、何かビッグイベントのプロモーターのような印象さえ持っていました。

しかし、2016年に水戸芸術館で行われた作品回顧展などを見ると、作品の舞台となる理想的な土地を探して日本全国を探した話や細かい設置場所などについて解説があり、当然ですが明確な意図を持って巨大な傘を1340本立てていることがわかります。茨城県の山間地の谷間にならぶ巨大な傘は、壮観なだけではなく、日本に住む人間の社会を想起させる力があります。 歴史的建造物を包む行為も、鑑賞者に新しい視点を与え、その建物を包む意味を考えさせることで、人間の営みやその本質に気づかせてくれます。新しい視座の提供、物事の本質の啓示というような意味で、まさしくクリストにしかできない、唯一無二のアートなのだと思います。

【《飛鳥美人》の公開に美人を考える】

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優しくて仕事も早い、見た目も男前な知人がいます。当然、若い頃はモテモテでしたが、数年前に偶然街で再会した時、結婚したと聞かされた相手に衝撃を受けました。『蓼食う虫も好き好き』ということわざの意味を、人生で初めて実感しました。いや、お二人が幸せであるならば、何の文句もございませんです、はい。

7月18日から24日まで、『飛鳥美人』の愛称で呼ばれる国宝、高松塚古墳壁画(7世紀末〜8世紀初め)が一般公開されました。事前に募集した見学希望者は、4476人もいたそうです。熱心な美術ファン、考古学ファンの方が多いですね。

約13年にもおよぶ修復作業によって、極彩色の女子群像の汚れやカビが除去され、下地のしっくい強化などが行われたそうです。ただ、その一般公開の様子は、修復作業のためにバラバラに分割された壁画を、貸し出されたオペラグラスを使ってガラス越しに覗くという感じで、少し残念な印象でした。

やはり、壁画はできればそれが描かれた環境の中で、その当時の歴史などを想いながら、先人画家の創作活動を想像するというのが、理想的な鑑賞作法のような気がします。たしかに貴重な人類の遺産なのですが、切り出されてガラスケースに入った壁画に少し違和感を持ちました。

文化庁は「新しい常設施設をつくり、もう少し見やすい形での公開を目指す」としているので、今後に期待したいところです。

ところで、美人の定義ですが、よく時代によって変わると言われます。確かに平安時代の下膨れとか、西洋画古典のぽっちゃり体型とか、現代人のセンスとそのまま比較するのはナンセンスだと思いますが、そもそも何が美しいかというのは、いつの時代でも完全な正解があるわけではありません。

何が美しいのかは、人ぞれぞれに好みがあり、異なる基準があります。描かれる感情表現についても、わかりやすい豊かな表情が好きな人もいれば、控えめな描き方を評価する人もいます。

目の前の作品をじっくり見て味わうのと同時に、作者の意図(趣味嗜好)や時代背景なども合わせて鑑賞し考えるということが、美術の楽しみ方の大きなポイントだと思います。

サムライオークションにも、幅広い作品が出品されています。あなた好みの作品を、じっくりと探してみてください。

【ピカソの壁画に思う、アートの公共性】

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やっと夏らしくなったと少し嬉しかったのですが、もう暑すぎて弱っています。モンスーンから亜熱帯に変わってしまったような日本ですが、灼熱の都会の中でさわやかな北欧の夏に思いを馳せています。

ノルウェー・オスロの政府庁舎に描かれたピカソ(1881〜1973年)の壁画が、7月28日に撤去されました。壁画は、ピカソとノルウェーのアーティストの合作で、『漁師』と『カモメ』の2作品。特に建物外壁にサンドブラストによって描かれた『漁師』は、パブリック・アートとして人気が高く、鑑賞スポットとしても有名だったようです。

この壁画が描かれた庁舎は、2011年にテロリストの爆弾によって被害を受けたことで、建て替えられることになったのですが、解体をめぐっては市民からさまざまな反対の声があがったそうです。その理由は、建築遺産としての保存やテロに屈しなかった象徴としてなどなど。市民に愛されていた建物だったんですね。

さらに、アメリカのニューヨーク近代美術館(MoMa)もノルウェー政府に対して、解体見直しの申し立てを行いました。MoMaの申し入れは、ピカソのサンドブラストによる壁画という希少芸術の保護という観点だったようですが、この一連の流れを知って、パブリック・アートに対しての欧米の文化的な懐の深さのようなものを感じました。

パブリック・アートは、日常空間の中にあって人々が共有体験として楽しむもの。当然作品のテーマやモチーフも公共性を意識したものに変わり、楽しみ方もその他のアート作品とは大きく異なるように思います。

日本では、郊外の比較的新しい大きめの公園などに、ちょっと目を引く彫刻作品などを発見することも多くなりましたが、ごくごく身近にあって人々に愛され、大切にされているパブリック・アートというと、ピンとくるものがありません。

ちょっとニュアンスは異なりますが、渋谷駅前のハチ公広場にあった青ガエル(東急系車両の休憩所)などは、移転がニュースになるほどでしたから、ひょっとすると欧米のパブリック・アート作品に近い愛され方だったのかもしれません。

人々に大切にされるパブリック・アートが、広く社会に根付いていくためには、アートがもっと暮らしの中に溶け込んで、身近になっていくことが先決なのでしょうね。 サムライオークションは、アートが人々の暮らしの身近になるように、微力ながら頑張っていきたいと思います!

【現代アートの役割は《既成概念》を壊すこと】

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7月16日、《ろくでなし子》さんが《プロジェクトアート》だと主張する一連の作品・制作工程に対して、最高裁判所でわいせつ性が認定され、罰金刑が確定しました。罪状は『わいせつ電磁的記録等送信領布罪』です。

利休は、ろくでなし子さんやその作品について、特に思い入れはありません(笑)。ただ、このニュースに接した時、日本の司法は進化していないんだなと感じました。だって、ネットには無修正の動画がいくらでも流れているし、この作品が社会に害悪をまきちらしているようにはとても思えないからです。日本のベスト&ブライテストのハズなんですが、何かズレているなと。

日本ではこれまでにも、芸術性とわいせつ性が争点になった裁判はいくつかあります。大島渚監督の映画『愛のコリーダ』などが有名ですが、それらの法律的な解釈ではなく、ここではそもそもアートとは何か、その本質について少し考えてみたいと思います。

まず、アートには多様性、多面性があります。表現方法も多種多様であり、時代とともにその概念も変化してきました。だから全ての人間にとっての《正解》のようなものは、なかなか難しい。ただ、今回の判決に寄せて考えた時、現代アートの持つ重要な役割の一つは、同時代人が持っている《既成概念を壊す》ということがあると思います。

それは、アーティスト自身が自らの欠落感を埋めて、生き残るためだったのかもしれません。または、遠く離れた誰かを応援するために、何かを破壊する創作のこともあったでしょう。それらは、その時代、その社会ごとの常識とされているものについて、疑問を投げかけるものだったはずです。

言葉を発するのが難しいマジョリティに対して、おかしいぞと訴えるメッセージ。大きなチカラを持ち続ける偉大な作品もありますし、身近な一人を救ったささやかな作品もさまざま存在するはずです。

かつてアートそのものに対して、疑問を投げかけたアーチストがいます。マルセル・デュシャン(1887〜1968年)です。有名な代表作《泉》は、現代美術界に大きな影響を与えた、《アートとは何か?》を考えるための、教材のような作品です。常識を疑う、壊す、そんなところに創作のモチーフは隠れているようです。

サムライオークションにも幅広い時代の、さまざまなアーティストの作品が出品されています。お時間のある時に、ぜひご覧ください!

金魚は縁起物

こんにちは!《美術品・骨董品専門のオークションサイト》サムライオークションスタッフ井戸です。

夏の風物詩といえば金魚すくいですね。

金魚は、長い年月をかけて品種改良される「生きた芸術品」や「動く彫刻」などとも呼ばれます。「金」運をもたらす「魚」として人気で、癒やし系の存在でもあり、昔から庶民にも親しまれてきました。

そんな金魚を心から愛した陶芸家が「宇野仁松」という人物です。20世紀を代表する彫刻家イサム・ノグチに陶芸の手ほどきをしたこともある陶芸家で、焼き物で稼いだお金の大部分を金魚につぎ込み「宇野系らんちゅう」という品種をも生み出しました。

ガラスの鉢が無かった時代では、金魚は陶器の器に入れて上から鑑賞するものでした。そのデザインは様々で、ツボのような大きいものだったり、平べったいフリスビーのような底の浅い丸いものだったり、ユニークな形をした金魚鉢が出回ります。

ガラス製品が普及してくると、「金魚玉」と呼ばれる風鈴やヨーヨーのような、手のひらサイズの透明なガラス玉に金魚を入れて吊るして鑑賞することもありました。金魚を手に入れて移動する際の手頃な入れ物がなかったため、水が漏れないガラス製の玉が重宝されたのです。

江戸時代頃には、日常の様々な生活道具に金魚を描いたものをよく見かけるようになってきます。うちわ、小物、着物の柄、食器だったり、屏風一面に金魚が描かれたものをインテリアとして飾って涼しさを演出しました。このように、金魚が描かれている骨董品はたくさん見つけることができると思います。

骨董も金魚も好きという方であれば、コレクションしやすいひとつのジャンルであると言えます。金魚を描いた骨董品は縁起も良く人気があるので、ぜひチェックしてみてください。

文芸と絵画と本【武者小路実篤 x 岸田劉生】

こんにちは!《美術品・骨董品専門のオークションサイト》サムライオークションスタッフ井戸です。

日本では江戸時代に出版文化が開花します。その背景には、本の装丁の技術や芸術性も深く関わっていたと考えられます。木版画を用い、表紙を一枚一枚刷り上げるため、仕上がり方に微妙に違いが出ることが味わい深く、人々を魅了しました。

このような本の装丁には、画家などの芸術家も関わりがありました。小説家であり画家でもあった武者小路実篤は、自身の著作の表紙装丁も手掛けます。武者小路実篤は、当時の日本では珍しかったゴッホやセザンヌなどの絵画を紹介するなど、文学・美術・思想の面で大きな影響を与えた文芸雑誌「白樺」を創刊したメンバーの一人です。

武者小路実篤ら白樺派との出会いに大きな影響を受けた、岸田劉生という人物がいます。岸田劉生は、大正から昭和初期にかけて活躍した洋画家です。新聞記者であった父の血を引いていて文業でも成果を残している人物ですが、14歳で両親を亡くした頃から独学で絵を描き始め、展覧会で油絵が入選されるなど絵画の才能を開花させます。白樺に出会ってからは印象派ゴッホの影響を受けた画風になり、その後はゴヤなどの影響を受け、写実的な画風へと変化していきます。

岸田劉生は武者小路実篤へ、小説に敬服したことを手紙にするなど親密な関係であったとされています。また、白樺10周年記念号にて、「僕に思想や何かの固まる時代に白樺を友とすることが出来たのは本当に幸福」という言葉を残すほど、個性を重視する白樺という媒体があったからこそ今の自分があると感じていたようです。このような深い交友があり、武者小路実篤の小説『友情』は、岸田劉生が本の装丁を手掛けています。白樺という文芸雑誌が引き合わせた文学と絵画は融合が興味深いです。